観光地化されたバリ島であるが、現地の人は、実に貧しい。
誰が利益を得ているのだろうか。
経営者である。
経営者は、バリ島の人ではなく、よそ者である。
現地の人は、豚小屋のような家に住む。
だが、土地を貸している人は、かろうじて、普通の平屋建てに、住める。
しかし、収入は、限られる。
私が、十二年ほど前に、バリ島に出掛けた時期は、一ヶ月の給料が、約一万円だった。今は、二万円だという。
知り合った人に聞くと、一万五千円から、二万円の、給料である。
しかし、物価は十倍以上になった。
それで、最低の衣食住が、保たれる。
貯金などは出来ない。
ただ、バリ島の人は、税金が無い。それが、唯一の救いである。
また、医療費も、安い。しかし、それでも、病院に行ける人は少ない。
病気は、未だに、祈祷師のところに出掛けたりする。勿論、それで、治ることもある。そこが、バリ島の不思議である。
土地を貸して、大金を手にした人の中には、狂ってしまった人もいる。人生が、金で狂うのだ。
大金を持ったことの無い人が、大金を手にすると、おかしくなるのは、どこの国の人も同じである。
今は、観光の主である、クタやレギャン地区に、土地を持つ人が、金持ちになっているが、そのうちに、ウブドゥになる。
それも、繁華街である。
そこから外れれば、外れるほど、貧しくなる。
ウブドゥは、芸術の村と、呼ばれる。
木彫り、バティック、イカットという衣、彫金、絵画などなど。
しかし、売れなければ、金にならない。
今回、お金がなくて、絵を描けないという、人もいた。
子供の教育に、奥さんの働きが、すべて消える。
主人は、田圃と、豚、鶏などを飼う。そして、絵描きである。
絵具が、買えないのだ。それは、つまり、絵が売れない。また、売れても、大半が、手数料として、取られる。
奥さんの稼ぎは、およそ、五千円である。
二人の子供の、教育費に当てられる。
それも無い子供は、学校に行けない。
時に、学校に行けない子供が、自殺することもある。
私が、子供服を支援した、学校の児童は、バリ島の人々によって、支援されている子供が多かった。
それは、実に良いことだ。
バリ島でも、人のために、支援出来る人がいる。
だが、それでも、貧しい人が多い。
手っ取り早く金を、稼ぐには、売春があるが、バリニーズで、売春をする者は、実に少ない。その、宗教的な生活に、売春は無いのである。出来ないのである。
売春を、持ち込んだのは、ジャワ人である。
最初に、書いた、レディボーイたちも、売春を主にして、お金を得る。
働く場所が無いからだ。
ただし、身体は、男のままである。
手術する金が無い。
中には、幸運にも、美容院などで、働くことが出来る者もいる。ただし、経営者が、ゲイの場合である。
バリヒンドゥーは、同性愛を基本的に禁止する。
勿論、すべの宗教が、そうである。
レディボーイたちは、宗教を超えての、付き合いがあることが、救いだ。
バリヒンドゥー、キリスト教、イスラム教が、仲良く生きている。相互扶助の精神に溢れる。
ここに、私は、新しい時代の徴候を見るものである。
イギリスの経済成長の、ゲイパワーだけではなく、新しい、物の見方、考え方が、生まれつつある。
後半に、また、それに触れることにする。
さて、戦争犠牲者の、追悼慰霊である。
今回は、テラハウスにて、行った。
その際に、テラハウスの土地を、提供してくれた、ウイディアさんのお祖父さんが、日本軍の奴隷として、働いていたという、事実がある。
テラハウスの出来上がった、二階で、それを行うと言うと、ウイディアさんが、お祖父さんを、招いてくれた。
だが、二階に上がることが、出来ず、こちらを眺められる小屋に座っていた。
丁度、オランダがバリ島に侵略開始したのが、100年前の、1998年の四月である。
すべての、王朝を破戒し、最後の、クルンクンの王朝を滅ぼし、バリ島全域を、支配下に治めた。
そして、第二次世界大戦の時、一時日本の支配下になった。
終戦後、インドネシア独立により、バリ島も、インドネシアの中に組み入れられた。
だが、インドネシア独立に至る道では、再び、オランダとの交戦があった。オランダが、再度、バリ島を支配、侵略しようとしたためである。
その時に、日本軍から、脱走して、バリ島の独立戦争に参加した日本人がいた。
多くの犠牲を出した。
そして、最終的に、国際社会と、国連が介入し、オランダの統治を、認めなかった。
タバナンにある、マルガ英雄墓地には、その際に、亡くなった、イ・グスティ・グラライ将軍以下92名の墓がある。
更に、日本人の墓もある。
私は、次の機会に、その地で、追悼慰霊を行う予定である。
毎年、11月20日には、盛大な慰霊祭りが行われる。
兎に角、戦争により、多くのバリニーズ、日本人、オランダ人が亡くなっている。
日本軍を、脱走して、独立派に加わった日本兵は、義侠心に駆られ、当初の日本の目的であった、インドネシア独立のためという、大義を遂行するためだった。
つまり、日本軍は、その大義名分を掲げたが、実際の行為は、違ったということだ。
単なる、侵略行為になった。
いずれにせよ、多く戦争の犠牲になったのは、現地の人である。
日本軍の、奴隷として働いた人も、多くは、亡くなった。
先の、お祖父さんは、遠い記憶であり、怨みも忘れたと言う。
中には、日本軍に反抗した者もいて、背中を斬られ、その傷を持ったまま、生きていた人もいるという。
彼らは、特に、日本軍に、米などの食料を、海岸まで運んだという。
ウブドゥから、東、西に歩いても、相当な距離である。
それは、重労働だった。
敗戦後、日本は、戦後保障として、多くの金額を、インドネシアに支援した。
現在も、毎年、約990億円の無償支援をしている。
しかし、両国の国民の、多くは、知らない。
その支援金が、果たして、インドネシアの国民のために、使用されているのかといえば、違う。
政治家の汚職は、凄まじいものがある。
英雄とされる、人物も、日本の支援金を、思うように使った。
これ以上書くと、命の危険があるので、省略する。
インドネシアも、軍事政権であることを、忘れてはならない。
兎も角、私は、追悼慰霊を、行う。
しなければ、治まらないのである。
追悼とは、思い起こすことである。慰霊とは、霊を慰めるということである。
思い起こし、霊を、御霊を尊称して、御祭りするということである。
日本の伝統は、霊を命、みとこ、として、尊称する、礼法がある。
人類の歴史は、戦争の歴史である。
そして、戦争は無くならない。何故か。
慰霊を正しく行わないからである。
現在の宗教では、それを成す威力が無い。
簡単に言う。
清め祓いが、出来る宗教が無いのである。
そうそうたる宗教家が、何人いても、詮無いことである。
彼らは、清め祓いが、出来ないのである。
バリ島では、土に、供物を置く。
下にあるモノに、霊を見ている。
つまり、それらの霊を、鎮める行為が、バリ島の、供物の意味である。
天には神、地には人の霊と、魔物がいるのである。
それらを、ただ、鎮めるのみの行為であり、昇華させ得ない。それは、すべての宗教にいえる。
溜まりに溜まる。
幽霊を、別の場所に、移動することを、供養するという、仏教家が、精々で、成仏などある訳が無い。更に、往生など、出来るはずもない。
霊は、成仏も、往生もしない。
更に、天国などに、行かない。
極楽、天国という、空間など無い。そして、地獄という空間も無い。
すべて、観念であり、現実ではない。
観念により、現実であると確信していた、時代は終わったのである。
まして、何も無いという、空間は、無い。
あるとすれば、宇宙の外である。
宇宙の中にいるモノ、すべてが、有の中にある。
無とか、空とかいう言葉は、言葉遊びである。
あるとすれば、はかなき、あわれ、たゆたい、である。
大和言葉のみにしか、真実は、あり得ない。
霊というもの、人間の属性ではない。
人間はモノである。物と、書いても良い。
人間に、霊性などあるわけがない。
言霊、音霊、数霊、
ことたま、おとたま、かずたま、に、霊性があるのである。
人間が、それを用いて、はじめて霊性を得る。
今までの、宗教が言うこと、すべて嘘であることが、解る。
人は、神の子であるだの、仏性があるだの、すべて、妄想である。
そんなものが、あれば、生まれる必要は無い。
人間が死ねば、土に成るのである。
ゆめゆめ、勘違いしないように。
私が、追悼慰霊をするのは、人間の、ことたま、おとたま、かずたま、に、対しての、所作である。
それを、尊称して、命、みこと、御言、みこと、さらに、神と書いて、みこと、と、するのである。
宇宙にあるもの、それは、音である。その、音を尊称して、御言、みこと、という。
きっと、解らないであろうと、思いつつ、
以下省略。
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