夜の闇。
私は、二度、目が覚めた。
目が覚めて、目を開ける。しかし、本当に目を開けているのだろうかと、思った。
何も、見えない。
闇である。
自分の手すら、見えない。
どこにいるのかすらも、解らない程、深い闇。
私は、枕元の、奥さんが用意してくれた、電灯を探した。
それを、取り、スイッチを入れる。
光の線が、走る。
当てた部分だけが、照らし出される。
私は、蚊帳から出て、部屋を抜けて、階段を下った。
そろそろと、降りた。
電灯の光のみが、便りである。
このような、闇を、私は、知らない。
山の中の闇。一つの光も無い。皆無。
物の姿も、勿論、見えない。
私は、階段を下りた、すぐ側で、小便をした。
トイレに行くまでもない。
近いはずのトレイが、遠くに思えた。
目の前の、ハバナの木も見えない。
電灯を消してしまうと、何も、見えないのである。
私は、足探りで、また、階段を上がった。
蚊帳に入り、また、体を横たえた。
横に寝ている、野中も、光を消すと、見えない。
そして、時計を見ると、3:30である。
次に、目覚めたのは、5:30である。
まだ、闇だった。
再度、私は、電灯を持って、下に降りた。
矢張り、闇である。
同じように、小便をした。
その時、トイレの方から、水音がする。
まさか、誰かが、水浴びをしている、はずない。
だが、確かに、その音を、聞いた。それは、何度も、聞こえた。
朝方、霊が動くという、昔の話を、思い出した。
だが、もしや、この家の、おかあさんが、水浴びをしているのかもしれないと、思いつつ、また、階段を上がった。
次に、目覚めたときは、朝の六時である。
日が登り、闇は、消えた。
私は、すぐに、下に降りた。
奥さんが、朝ごはんの仕度をしていた。
鶏が、凄まじく鳴く。
これ見よがしに、鳴く。
隣近所の鶏も鳴く。兎に角、煩いくらいに鳴く。
一羽の鶏が、籠に入られていた。
私は奥さんに、これは、どうしてですかと、問い掛けた。
奥さんは、おかあさんに、声を掛けて、聞いている。
しかし、私にすぐに、答えない。
私は、もしかしたら、食べるのと、尋ねた。
奥さんが、浅く頷く。
私は、昨日、ここの鶏や、ヒヨコを見ていると、もう、ここの鶏は、食べられないと言った。それを、奥さんが、気にしていると、思った。
一度、その場を離れて、戻ると、鍋に、蓋がしてある。
そろそろと、鍋を開けた。
鶏の、頭があった。口を開けていた。
これが、朝のごはんの、おかずになるのである。
伝統的な、鶏のスープである。
香辛料の役目をする、山菜が、幾種類も、入っている。
野中と、小西さんは、酒の飲み過ぎか、中々、起きてこない。
私は、その辺を、周り、時々、鍋の蓋を開けて、中を見た。
お湯の色が、変わってゆく。
鶏の出汁が出ているのだ。
食事である。
おとうさんと、小西さんと、私たち二人が、鶏のスープを囲んで座る。
私と、小西さん、野中の前に、別の一つの椀があった。
インスタントの、味噌汁だった。
折角なので、私は、鶏のスープを試した。塩で、味付けしただけである。ハーブが利いて、美味しい。そこで、一つ、肉を取り出して、食べた。悪くない。もう一つ、食べた。
朝、殺した、締めた、鶏である。
人は、命を頂いて、命を繋ぐという、当たり前のことを、実感した。
その後は、ご飯を、半分にして、味噌汁で、食べた。
こんな、貴重な体験は無い。
バリ島、ウブドゥの、朝ごはんも、地元の人は、塩をかけるだけで、食べるという。
おかずが、何種類もある、日本の朝の食卓とは、雲泥の差である。
どちらが、云々ということではない。
私は、日本の、メタボなどという言葉など、どうでもいいと思っている。
食べられるのである。
何でも、食べる。
世界の三分の二が、飢えているという。
体脂肪が、云々とは、何事かと、思っている。
これ以上になると、とんでもなく、過激になるので、省略する。
本日の朝、それは、結婚式のある朝である。そして、私たちが、バンコクへ向かう日である。
夕方四時頃に、この村を、出なければならない。
貴重な一日が、始まった。
朝ごはんを食べて、私は、顔を洗うために、トイレに行った。
水瓶が用意されて、そこから、桶で、水を掬い、顔を洗う。
非常に、不便である。
私は、日本の生活に慣れている。
ただ、水で、顔を洗うだけである。髭も、そらない。
そして、初めて、大便をした後、左手で、尻を拭いた。
右手で、水桶を持ち、尻に水を落としつつ、左手で、尻を洗う。
尻の穴を触る。
自分の、糞を触る。それを、水で流す。
感動。
これこそ、エコであろう。
何も言うことが無い。
自分が、糞をしない者のような、顔をして生きている者、多く、その匂いも、即座に消臭するという、文明社会。いいではないか。しかし、私は、糞小便をする者であることを、明確にしたのである。
子供の頃、私の田舎では、喧嘩した後などに、糞して寝ろ、という言葉を吐いた。
何と、やさしい、罵倒であろうか。
糞して、寝ろ、である。
お前は、糞をする者である。
私は、糞をする者である。
これ、最高の哲学であり、思想であり、実存である。
糞が、出なくなったら、死ぬ。
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