オーストラリア アーネムランド アボリジニ ヨォルング族追悼慰霊 海辺にて

平成20年7月9日


   

アボリジニの集落で追悼慰霊をしました。

ジャルーという有名な長老の住む海辺です。  

かずかずの偶然が重なり、そこへ辿りつきました。


 

ジャルーはエルコ島に儀式にいっていて不在でした。

娘のセルマさんが、留守を預かっていました。

追悼の儀式をしていいかきくと、許してもらいました。


  

供物を捧げて、儀式をはじめます。

太陽が海を照らす、うつくしい浜辺です。

供物は、ヨォルングの好むものを選びました。

あとで受け取ってもらうためです。 

紅茶、清涼飲料水、肉、ペロペロキャンディなどです。  

  


 

太平洋戦争中、アボリジニの部落が爆撃を受けました。

ここに住む人たちと同じヨォルングの部落です。

その他、当時入植していた日本人とヨォルングの間でトラブルもありました。

その問題は政治問題にまで発展しました。

ヨォルングが何人か亡くなりました。

また戦時中、オーストラリア人としてアボリジニは日本軍と敵対関係にもありました。


      

アボリジニは、目に見えない世界を大切にします。

私たちの追悼慰霊のことも、すぐ理解してくれました。

セルマさんに、先祖にささげた供物を手渡しました。

こころよく受け取っていただきました。


  

木村天山になついてくる子供がいました。

木村が踊ると、子供も踊ります。

足を踏み鳴らす、ブングルの踊りです。

ここでは儀式のことをブングルといいます。

  

男の子と、ぱちり。

みんなすぐに心を開いてくれます。

テラの会スタッフも、ずっとにこにこしていました。


  

まん中の女の子は12歳ということでした。

とても大人びた印象を受けました。

ひとりの女性に、「もうスピリットはいったか?」ときかれました。

「いった」と答えると、安心したようでした。


  

ジャルーの息子の、ラリーさんと。

フットボールの練習から帰ったところでした。

とてもスター性があり、輝いて見えました。


たくさんの好運に恵まれ、追悼慰霊を無事おえることができました。

私たちの行為が、日本人とアボリジニを結ぶ礎になれば、これほど嬉しいことはありません。

アボリジニと日本人は、いろいろな面で縁が深いのです。

どこか他人と思えない人たちです。

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