天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第3話

成田から、ベトナム航空に乗り、ホーチミンに到着したのが、現地時間で、午後二時半である。

日本時間では、午後12時半。

二時間、早い。タイと、同じである。

 

バンコクに向かう人が、このベトナム航空を使う。

 

私は、ホーチミン三泊の予定である。

 

速やかに、入国審査を終えて、ベトナム、ホーチミンに出た。

ベトナム空港の前から、タクシーに乗る。

 

荷物を持って出ると、必ず、タクシー、タクシーと、近寄って来る者あり。

ハウマッチ。

15ドル。

 

ちょっと、待って、と、向こうにいる、お姉さんのいる、タクシー乗り場に行く。

ハウマッチ。

8ドル。

 

何で、15ドルと、8ドルなの・・・

勿論、8ドルの方に乗る。

 

ベトナムでは、ドルと、ベトナムのドンが、両方使えるのである。

これがまた、私の頭を、こんがらかせるのである。

一ドル、15000ドンである。

つまり、日本円の百円が、約一万五千ドンなのである。

 

これで、私は、老化防止をする。

 

タクシーに乗り、知った風に、行き先を告げる。

初めての、場所である。

一泊、22ドルの部屋のある、ホテルの名を告げる。

 

22ドルは、約2200円である。

そのホテルは、無かった。というより、名が変わっていた。

ある、旅行雑誌に、出ていたホテルである。

しかし、何とか、そのホテルであるということで、探し当てた。

 

兎に角、二人で、泊まるダブルベッドの部屋が、空いていた。

 

東南アジアの国は、一部屋の料金である。

一人につきの、料金ではない。

一つの部屋についての、料金である。

 

日本の、ビジネスホテルの、シングルルームの広さの部屋だった。しかし、設備は、整っていた。

綺麗な部屋である。

 

しかし、後の、二泊は、他のホテルにしようと、思った。

もっと、安いホテルがあると。

その付近は、多くのホテル、ゲストハウスがある。

 

夕方の、ホーチミンである。

 

まず、用意するものは、水。

水を買うために、荷物を置いて、外に出る。

ホテルの前に、コンビ二がある。

 

ベトナム、ドンでの、買い物である。

空港で、一万円をドンに替えた。

約、150万ドン。

 

水は、五千ドンから、一万ドンまである。

一番安い、五千ドンの水を、二本買う。

そして、周囲の状況を見るのである。

 

コーヒーを飲むために、一件の店に入る。

ベトナムは、コーヒーの国であると、知ることになる。

ブラックコーヒー。

驚いた。

出てきたコーヒーの、味は、抹茶のようなもの。コーヒーのエキスのようなものである。

初めて、コーヒーのそのままを、味わった。

コーヒー本来の、甘さである。

 

非常に濃い。その濃い加減が、コーヒー本来の、甘さを引き出している。

 

私は、お湯を、貰った。お湯で、割るのである。

到底、飲めないのである。

濃すぎる。

 

ベトナムは、コーヒーの産地で、有名である。

 

茶の湯を、やっていたので、茶本来の味というものを、知っていたことが、幸いした。

苦味にある、甘味である。

そして、その、香り。

ベトナムでは、それが、当たり前のコーヒーなのである。

 

支払いの時、二人分で、三万ドン。約、200円である。

 

支払いの後で、私は、いつも、ドルに換算し、そして、日本円に換算した。ボケない、頭の体操である。

 

さて、ベトナムで、最初に食べたのが、フォーである。

米の麺による、スープ麺。

薄味で、実に美味しく感じた。

何も、味付けをせずに食べて、私は、十分だった。

 

最初は、レストランのような店で、食べたが、それからは、屋台、路上で店を出している所で、食べた。

一万ドン程度、つまり、75セント、約75円である。

 

朝の食事は、フランスパンと、玉子焼きで、二人で、八千ドン。

二人で、百円もしない、朝食である。

 

フランスパンは、どこにでも売っていた。

フランスの植民地時代に、ベトナムの食生活が、大きく影響を受けたのである。

一本の長さが、日本で売られているものより、半分である。

もう少し食べたいと、思う量だ。

 

泊まったホテルは、9月23日公園の近くで、有名なベンタイン市場にも、歩いて10分の場所で、ホーチミンの中心部である。

旅行誌では、フアングーラオ通り付近となる。

 

そこは、ホテルや、ゲストハウスが、混在している。

三泊の予定だったので、翌日からは、もっと、安いホテルを探し、二泊することにした。

 

ただ、小路を歩いて、とんでもない場所にも、ホテルがあることを、知った。

庶民の、買い物通りのような場所に、突然、ホテルがあるというもの。

 

細い路地に、所狭しと、肉や野菜、生活必需品が、売られていた。

観光客は、決して行かない小路を、私と、スタッフは、歩いた。

 

勿論、着物を着ているから、日本人と、すぐに解る。

ベトナム人は、笑わないと、知った。

特に、戦争体験者の世代は、ニコリともしない。

その、彼らに、微笑みをもたらしたものが、縫ぐるみであったという、驚き。

 

同じ路を通ると、私に手を上げたり、微笑む人が、現れた。

インターネットカェフに入ると、お姉さんが、何と、私の持ってきた、縫ぐるみを、二つ持ち上げて、私を歓迎した。

小さな、二つの縫ぐるみを、私の知らないうちに、持っていた。

 

一変に、無くなった時、彼女も、手を出していたのだろう。

 

それから、物売りのおばさんたちが、また、親切にしてくれるのである。

 

ホーチミンの人は、何かあると、必ず、二三人が、寄って来るようになった。

言葉は、解らないが、色々と説明してくれるのである。

 

ベトナムには、二度と行きたくないという人もいる。その気持ちも、解る。笑わないベトナム人は、怖いのである。

しかし、それも、打ち解けると、変わる。

ただし、二三日の旅では、それ以上を知ることはない。

だが、人間である。

タクシー運転手が言う。

良い人もいる。悪い人もいる。

どこも、同じである。

 

縫ぐるみと、衣服を街中で、配ったことで、次に行く時は、私を知る人がいるというのが、楽しみである。

 

ある小路の前で、衣服の大きなバッグを持った私に、やーというように、声を掛けて、案内する、屋台のおばさんがいた。

案内した先は、小路の中にある、小さなホテルである。

私が、ホテルを探していると、思ったようだ。

そんな、親切は、考えられないという、ベトナム人である。だが、矢張り、人情は、健全にある。

 

私の活動を見ていた、屋台のおばさんたちは、実に親切にしてくれた。