木村山旅
 沖縄・渡嘉敷島へ
 
平成20年
 12月
 

 第4話

朝、目が覚めたのが、八時過ぎである。

驚くほど、寝た。

 

朝食券を買っていたが、食欲がなく、食べずに、少し部屋で、ボーっとする。

九時になったので、泊港ターミナル、とまりん、に向かう。

 

乗船チケットを買っていないのだ。

昨日は、一時間前から、船が来ていると言われていたので、急いだ。

 

受付で、10時発の、フェリーです。と言う。

二時に変更になりました。

えっ

帰りの便は

高速船になります、五時発です。

うーん

日帰りですか

そう

あまり時間がないですよ

そうだよね

 

どうして、変更になったのかを訊かなかった。

 

後で知るのだが、修学旅行生によるものだった。

百名以上乗船の時は、貸切ということになり、時間を融通するというのだ。

 

私は、とまりんの、外のコーヒー売り場で、ベンチに座り、コーヒーを注文した。

 

時間があり過ぎる。

 

一時間程度、そこにいて、向こうの公園を見ていた。

路上生活の人が見えないかと。

昨日、衣服を誰にも、差し上げられなかった。

今日は、どうかと、見ていたが、人影はない。

 

あのまま、持って帰ることになるのか。しょうがない。

 

私は、一度ホテルに戻った。

 

そうそう、その時も肉が食べたくなり、弁当屋に寄って、豚のしょうが焼き弁当を買った。

それを、部屋で食べた。

どうして、こんなに国が食べたいのかなーと、思う。

 

毎日、肉を食べるなんて、考えられないのだ。

 

弁当を食べて、ベッドに横になり、一時を待つ。

 

私が、一番乗りである。

乗船のチケットを渡して、その場で、写真を撮ってもらう。

 

一番上のデッキに上る。

とまりんの、横に、修学旅行生が、大勢、たむろしていた。

ああ、あいつらが乗るんだと、見ていた。

彼らが、乗ってくる前にと、私は、船の中を、見学して、回った。

 

二階に、身体を横に出来る、場所があり。すでに、三人ほどの、老人が寝ていた。

私も、ここに決めた。

枕も、用意されてある。

 

旅行生が、どんどんと、乗船して来たので、私は、その場所に身体を横にして、寝た。

気づいた時は、船が進んで、波の上を走る、ゆったりとした、振動が、感じられた。

眠っていたのだ。

 

これはこれはと、起き上がり、カメラを持って、デッキに出た。

一番の上のデッキに行き、一人の女の子に話しかけた。

 

どこから

栃木です

高校

はい、商業高校です

修学旅行で、何するの

体験学習です

体験って

マリンスポーツとか、バーベーキューとか

そう

 

それが、体験学習というものなのか。変な気分である。

兎に角、写真を撮ってもらい、ついでに、他の女の子たちも、入ってもらい、写真を撮った。

 

そして、船先に向かう。

日差しが当たり、眩しい。

そこは、学生が占領していた。

隙間に入り、前方を見る。

渡嘉敷島と、その周辺の無人島が、美しく見える。

悲劇の島とは、思えない、美しい島、山並みである。

 

そこでは、女の子、男の子と、話した。

渡嘉敷島のこと、知ってる

いいえ

アメリカ軍が最初に上陸した島ですよ

えーホント

そう、そこから、沖縄戦が始まったの

男の子が、身を乗り出す。

島では、集団自決があったんだよ

へー

 

女の子が

今日は泊まるんですか

いや、日帰り

なにしに行くのですか

慰霊

いれい

そう、慰霊だけ

一人でですか

 

とても、興味を持ったようである。

女の子は、

今夜の、報告会で、今の話しますと言う。

うん、皆に、話してください。

どうして、自決したんですか

色々な理由があるよ、これだという決め手の理由はない。アメリカ軍が攻めてきたんだから、怖かったんだろうね、死ぬしかないと、思った人もいると思うよ

 

そんなことが、あった島だとは、知らずに、彼らは、体験学習にやって来たのだ。

学校は、何をしているのだろうか。

 

この話が、聞きたければ、いつでも、学校に行きますよ

本当

知りたいでしょう

はい

 

彼女は、船を下りるとき、私の名前を尋ねにきたので、名刺を渡した。

 

私も、学生たちと、一緒に、船を下りた。

そして、彼らの向かう場所とは、別に、私は、ターミナルに入った。

帰りの、高速船の、チケットを買うためである。

 

その時、携帯電話が鳴った。

昨夜、頼んでいた、タクシーのおばさんからだった。

その、おばさんは、私のすぐ、後ろにいた。

 

こちらです

よろしくお願いします。

 

用意されていたのは、八人乗り程の、バンである。

丁度、三時十分を過ぎた。

 

私は、地図を取り出して、白玉の塔と、集団自決跡碑に、お願いしますと、言った。

帰りは、五時の、高速船ですと言うと、解りました、大丈夫ですよ、と答える。

 

その、おばんさは、那覇の高校を卒業して、沖縄のバスガイドの仕事をしていた。それで、沖縄戦について、実に詳しいのである。

また、渡嘉敷島の、状況も、勿論、詳しい人だった。

これが、幸いした。