木村天山旅日記

 フィリピンへ
 
平成21年
 1月
 

 第8話

サンチャゴ要塞は、イントラムロスの突端にある。

川縁に面している。

 

実に見事な造りで、よくぞ造ったと思えた。

すべて、石である。

石を掘り、大きな穴を造り、それが、幾つもある。

 

日本軍が占領した時、この穴に市民を閉じ込めて、満潮になり、水死させた。

地下牢であるから、逃れられないのである。

 

しかし、それ以前にも、スペイン人によって、多くの人の命が、奪われている。

 

上から見ると、単なる穴であるが、下に降りる石段を下り、中を覗くと、真っ暗闇である。だが、その、中は広く、すべてつながっている。

 

さて、慰霊である。

 

多くの観光客がいる。

 

どこで、慰霊の儀を執り行うかと、周辺を歩く。

 

その中には、フィリピンの英雄とされる、ホセ・リサールの記念館がある。

後で、彼のことは、紹介する。

 

リサールは、その場所で、処刑されるまで、生活していたという。

 

比較的人のいない、広場を、見つけた。

一人、木陰に、機関銃を抱いた、ガードマンがいた。

彼とは、一緒に写真を撮った。

 

最初は、不審に思ったことだろうと、思う。

 

木の枝を、一本頂いて、御幣を、作る。

 

太陽が出でいるので、太陽に向かい、神呼びを、行う。

暫く、神呼びを行っていると、何と、フィリピンの国鳥といわれる、ツバメに似た、ロイヤル・ターンという、鳥が、突然のように、群れをなして、飛んできた。そして、私の上で、大きく回るのである。

 

感応。

霊的感応が、生き物を通して、表現することは、多々ある。

しかし、これは、私の妄想だと、思ってもらっていい。

私も、妄想だと、思っている。

意味はない。ただ、鳥達が、飛びたかったのであろう。

 

祝詞を献上する。

ただし、日本語であるから、日本兵には、理解出来るだろう。

 

祓い清めの、言霊を、唱えて、更に、祝詞を続けた。

 

日本の兵士に、語り掛けた。

国にお帰り下さい。故郷にお帰り下さい。母の元にお帰り下さい。靖国に、行きたい方は、靖国に、お戻り下さい。

 

送りの、音霊 おとたま、で、霊位を先導する。

 

普通は、それで、御幣を川に流して終わる。

しかし、日本兵だけではない。

ここでは、多くの人が亡くなっている。

 

憐れみの讃歌を唱える。

憐れみの讃歌を歌う。

キリエレイソンである。

 

主よ、憐れみ給え、キリストよ、憐れみ給え。

 

多くは、キリスト教徒として、亡くなっている。

 

私が、キリスト教徒の祈りを上げることには、何の問題もない。

アベマリアの祈りも、上げる。

 

そして、清め祓いを行う。

四方を清め祓う。

 

コータが、ここだけではなく、別の場所でも、しようと言うので、御幣を持って、回った。

そして、四方を清め祓いつつ、歩いた。

 

時に、観光客が、足を止めて見ていたが、それに反応している間は無い。

 

突端に出て、私は、石の囲いの上に上がり、清め祓いをして、再度、キリエレイソンを唱えた。

 

目の前を流れる河は、バッシング川である。

船が行き来する、大きな流れである。

 

心に、未練があり、何度も、哀れみの讃歌を唱えた。

 

再度、太陽を拝して、引き上げ給えと、唱えた。

 

最後に、御幣を、川に投げ入れる。

 

だが、何と、見ると、遊歩道があり、その遊歩道の上に、落ちたのである。

 

遊歩道の存在を知らなかった。

 

コータが、一度、ここを出て、外から回って行こうと言うので、それに従った。

 

その時も、少しばかり、支援物資を持っていた。それが、幸いした。

遊歩道は、長く、その歩道の上で、生活している人が多数いた。

 

最初に出会った親子は、母と娘三人である。

バッグを開けると、丁度、女の子用のものがある。

一つ一つ取り出して、差し上げた。

 

懐かしい付き合いの人のように、私に接してくれた。

六歳くらいの、女の子は、私に、最高の挨拶である、手を取り、それを、額につけて、敬意を表した。

一番、小さな子は、両手を合わせた。

 

遊歩道には、まだまだ、人がいて、大人用の、男物を、差し上げつつ、要塞に、向かった。

 

中には、付いてくる男もいる。

漸く、御幣の落ちた場所まで出た。

 

御幣を拾い、再度、清めて、心を込めて、流すために、川に投げ入れた。

驚いた。

 

どんな大きな、木も流れているのである。

しかし、投げ入れた御幣が、一、二、三というように、沈んだのである。

 

見ていた男が、声を上げて、指を指した。

あーあー

 

私達も、驚いて見ていた。

見る見る間に、沈んだ。

 

今までに、こんなことは無い。

必ず、流れてゆく。

 

川の底に、引っ張られるようにして、沈むのである。

 

強烈な霊位の想念を、感じない訳にはいかなかった。

 

実は、マニラ湾の、慰霊の際も、見る見る海に沈んだのである。

 

何故、浮かないのか。

 

カトリックでは、聖水という、清めの水がある。

それは、悪魔祓いなどにも、使用される。

しかし、カトリックの祈りと、その方法では、清めも祓いも、出来ない。

ただ、上から、ペタペタと貼り付けるようなものである。

つまり、覆い隠すことしか、出来ない。

 

それは、清め祓いという、感覚がないからである。

 

発掘調査で、人骨などが出ると、他国の人は、何でもないが、日本人の中には、具合が悪くなる人が、出る。

そういう時は、神主による、清めを行って貰うと、直るという。

 

日本人には、特別な感受性があるのだ。

 

この、清めという行為は、実に自然なものであり、自然によって成るものである。

自然の、あらゆるものが、清める。

風、水、草木、空気も、そうである。

 

私の、清め祓いは、太陽によるものである。

太陽光によって、清め祓う。

 

太陽を天照る光として、日本人は、特別に扱ってきた。

太陽は、毎日天に上がる。ゆえに、そのままで、清めている。

しかし、人為的に起こした、穢れ、汚れは、人為的に、太陽光を、もって、清め祓う。

 

私が、太陽に、拍手を打つのを、不思議そうに、観光客が見ていた。

 

キリスト教は、太陽も、神の被造物と認識する。

更に、自然も、神の創りたもうものである。

 

日本には、それらの、神観念は無い。

日本には、自然共感と、共生の心のみである。

 

自然を神という言葉を使うならば、神と言うのである。

 

その象徴が、太陽、天照る光である。

 

その、光によって、私は、清め祓いを執り行う。

 

兎に角、フィリピンの慰霊は、大変なことであると、知った。

霊的にも、大変なことである。

何一つ、浄化されていないと、判断した。