木村天山旅日


 

  バリ島再考の旅
  
平成21年
  2月
 

 第10話

ジンバランは、空港より、南にあり、漁村である。

その、南は、高級ホテルが建つ、バドゥン半島、ヌサドアがある。

 

近年、ジンバランは、浜辺に屋台や、レストランが立ち並び、観光名勝の一つになっている。

魚介類を食べるなら、ここだと言われる。

ただし、バリ島、その近海で、捕れるものである。

南の魚介類は、美味しくないのであるが、バリ島で、食べるから、美味しいとも、言える。

 

北海道の魚を食べている、私には、あまり、興味のないことであるが、ジンバランの漁村を見たいと思い、帰国するまで、時間を過ごすことにした。

 

実は、衣類が残れば、そこでも、支援をしようと思ったが、もうすでに、何も残っていないから、ただ、見るだけである。

そして、浜辺に出て、魚介類を、食べてみることにする。

 

ジンバランで、面白い話を聞いた。

バリ島に、14年間住んでいる、日本人の方に、お逢いすることが出来た。

勿論、偶然である。

 

その方は、見合い結婚で、バリ島の人、バリニーズの女性と、結婚し、二人の子供が、いる。

 

その方から、聞いた、新鮮な話は、実に、有意義だった。そして、また、バリ島という島を、考える新しい情報だった。

 

まず、五年前に、インドネシア政府は、日本人の、退職者向けに、退職者ビザというものを、発行したという。しかし、それは、あまり知られていない。

だが、それを、知った人で、バリ島に住むべく、バリ島にやって来た人が、いるという。

 

その話で、それらの人は、皆、帰国してしまったという。

その訳は、こうである。

 

バリ島で、外国人が、土地を買うことが出来ない。

そこで、地元の人の名義を借りなければ、ならない。

 

日本人は、親しくなったバリ島の人を、頼んで、その人の名義で、土地を買ったという。

ところが、いざ、家を建てるという段になると、名義を貸した人が、これは、俺の土地だと、言い始めたという。

 

つまり、名義は、俺のものだから、俺のものである。そして、それを譲らなかったという。裁判でも、日本人は、皆、敗訴した。

当然である。

お金を出したという、証拠の一つも無いのである。

 

皆、その方の所に、相談に来たが、証文の一つもなく、方法がなかったという。

 

その方は、必ず、証書を作り、名義を貸してくれた人に、お金を貸したという証拠の書類を作り、土地の名義は、その人だが、お金は、私が出したというものが、必要であるという。そして、土地を売った時に、そのお礼として、売り上げの、5パーセントを渡すという、書類を作るべきだったという。

 

ところが、日本人は、相手が善い人なので、信用して、そんなものを、作らない。

また、付き合いをして、信頼関係のある人に、それを言うことが、出来ない性格を持つのが、日本人だと言う。

 

皆々、結果、騙されて、帰国することになったという。

 

それを、聞いて、私は、その人たちは、二度と、バリ島に来ないし、バリ島の名前も、聞きたくないだろうと、思った。

 

そこで、私は、信頼出来る、バリニーズという、イメージ、観念を、打ち砕かれた。

 

また、その方が、見合い結婚であるというのが、気になった。

 

通常、バリ人と、結婚するのは、ジゴロなどと、付き合い、妊娠して、結婚する、女が多いのが、普通だった。勿論、大半は、悲劇である。

また、その後は、日本人の男が、地元の女と、付き合い、妊娠して、結婚となるというもの。

 

見合いとは、始めて、聞いた。

 

その方曰く、バリ島には、家柄というものがある。

家柄が違う者同士の結婚は、実に大変で、難しいと、言う。

 

つまり、家柄とは、カースト制である。

それは、表立っては、見えないが、確実にある、存在するのである。

 

恋愛結婚もあるが、現地の人では、実に少ないという。

私が、聞いていた話と、随分違う。

 

日本人や、外国人と、結婚する場合は、そのカースト制が、見えないのである。

 

だが、厳然としてある。

緩やかなカースト制である。

 

確かに、極貧の人と、富む人の家が、結婚することは、実に難しいと、思う。

 

観光客は、カーストの上位の人と、逢うことは、稀である。

昔の、王族の流れを汲む人や、貴族の流れを汲む人と、逢うことは、まず無いといって、よい。

 

町に出て働いている人は、下層の人である。

それを見て、バリニーズと、思っていた、私は、改めて、バリ島の、身分階層というものを、意識した。

 

ということは、政治家などは、上位の人になるのだろう。

これで、何となく、貧富の差というものが、理解出来た。

 

緩やかでも、身分制度は、貧富の差を作り出す。

そして、それを、善しとする、風潮があるはずである。

 

これは、バリ島を理解する上で、大変参考になった。

カーストの上位の人と、逢ってみなければ、それは、解らないのである。

だが、その方の話で、想像することが、出来たのである。

 

バリ島を、理解するということも、幾層の段階があるのだ。

 

極端な話、シャツが、一枚しかないという人がいて、当たり前なのである。

そして、それは、その人に与えられた、運命なのである。

 

ある知り合いの、バリニーズは、一枚のシャツを大切に着ていた頃が、幸せだったという人がいる。

それも、一つの価値観であるが、そういう人が多いと、政治は、実に、楽に進められる。つまり、精神論で、その生活の貧困を超えてくれるから、政治的に、混乱を起こさないし、また、政治的活動もしないのである。

実に、支配しやすい。

 

それは、また、宗教の熱心な信者のようでもある。

つまり、この世のことを、心の世界で解決、処理するからである。

 

バリ島の、下水道の、不足、不完備なども、それを善しとする、バリニーズの、政治的意識欠落の故である。

 

それで言えば、ゴミ処理問題も、河川の汚染も、皆々、心の世界で、完結する。政治家にとって、こんな良い市民はいない。

 

更に、これを、インドネシアの国全体に、広げてみると、バリ島以外は、イスラムが大勢を占める。つまり、現状は、アッラーの神の、まにまに、ということになり、政治家にとっては、実に、楽チンなのである。

 

どおりで、汚職まみれであることが、理解出来る。

 

国民は、皆、信仰と、心の問題として、解決し、完結するのであるから、政治は、適当にやっていれば、よいのである。

 

更にである。

インドネシアは、言論統制を強いる国である。

 

政権批判は、命取りになることも、多々ある。

それについては、ジャワ島の、スラバヤから来た、留学生に聞いた。

彼の父親は、それで、何度も、危ない目に遭っていると言った。

 

ジンバランの、魚介類は、私の思った通りの味であった。期待しなかった分、悲観もしなかった。

今度行く時は、色々な店を回り、一番、値段の安い店に行くことだ、ということが、解った。