木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第3話 

雨上がりの中を車が走り、25分程で、クタ地区のホテルに到着する。

はじめての、ホテルだった。

その付近のホテルには、四箇所泊まっている。

 

二件隣のホテルも、ツアー専門のホテルだ。

顔馴染みの、従業員と、挨拶したり、立ち話をする程になった。

 

このホテルの、感激は、シャワーが、威勢良く出ることと、朝食のバイキングである。

私は、昼の分も、食べることにして、朝、たらふく食べていた。

実に、賎しい根性である。我ながら・・・

 

荷物を入れ、着替えて、早速、夕食に出た。

 

知っていた、店が、二軒潰れていたので、驚いた。

クタは、激戦地である。

 

ここまで、書いて、最初の夜、どこの店で、何を食べたのか、忘れた。

ただ、酒は、飲まなかった。

飲んだのは、一度だけ、それも、ビール小瓶を、コータと、二人で飲んだだけ。

後は、一切、口にしなかった。

 

旅先では、酒を飲まない。

飲めないのである。

 

更に、日本では、微熱続きだったのが、治った。

日本に戻ると、また、微熱が出る。

 

翌日は、サヌールのホテルの、予約をし、支援物資の、仕分けを行う。

三人で、バッグに、入れ直すのである。

 

サヌールビーチでの、支援と、海がめの島で、有名な、スラガン島での、支援、そして、クタのストリートチルドレンたちである。

 

今回、ぬいぐるみは、サヌールの子供達への、挨拶として、持参する。

 

サヌールの、ホテルは、ゲストハウスに近い、こじんまりとした、一泊、2500円のホテルである。

 

実は、2000円のはずだが、26ドルと、言われた。更に、三人で、一つの部屋なら、26ドルですよと言う。

しかし、二つの部屋が必要である。

 

そこで、コータに交渉させて、25ドルにした。

 

次に、車の手配である。

荷物が多いので、バンが必要だが、250000ルピアである。

つまり、2500円。

 

ホテルに尋ねても、同じ料金だった。

駄目だと思い、メータータクシーにすることにした。

 

前々回のエッセイで、私が、メーターを下ろさなかったタクシードライバーに、怒鳴り散らしたことを書いたが、それ以来、タクシーは、すべて、メーターを下ろすのである。

 

まさか、私の旅日記が、読まれていることはないと思いつつ、望外な料金を、吹っかけるタクシーには、遭わなくなった。

 

翌日、タクシーで、サヌールに向かったのが、午後二時である。

朝食を、たらふく食べているので、腹が空かない。

 

普段は、朝食など、ほんの少ししか食べない、食べられない、辻友子も、私と、競うように、食べていたから、面白い。

 

どうして、こんなに、食べられるのか、しら、である。

 

それは、バリ島だから。

当然である。

 

感受性の解放である。

 

今回は、慰霊の儀に、使用する、日本の国旗を、持参した。

伊勢神宮の、日の丸の旗である。

 

すでに、テラの会の、活動に掲載しているように、辻友子が、私の傍で、国旗を、掲げていた。

 

白地に赤丸である。

インドネシアの国旗も、白と赤の、国旗である。

 

バリ島では、オーストラリアの国旗が、目立つ。

店や、タクシーの中にも、貼ってある。

聞くと、オーストラリア人が、依頼してくるという。

 

それなら、今度は、私も、日の丸の、シールを作り、持参しようかと、思った。

 

日の丸は、実に、目立つ。

それを、掲げて道を歩くと、皆々、声を掛ける。

 

慰霊の儀には、三人共に、浴衣を着たので、更に、声が掛かった。

 

インドネシアの公立学校では、日本語の選択科目がある。

それは、日本の支援に、応じたものである。

毎年、約、990億円という、大金を、支援しているのである。

 

学生の、集団から、おはようございます、と声を掛けられた時には、驚いた。

 

サヌールのホテルに、チェックインして、はじめての、サヌールの大通りに出て、レストランに入った。

コータが、この辺の人は、日本語が出来ますねと、言うと、ええ、ややさん、がーー、と言う。

 

この、ややさん、とは、何なのか、誰なのかが、私たちの、疑問になった。

 

サヌールにも、日本人が住んでいると、タクシー運転手に聞いたので、その人のことかと、思ったが、それも違うようである。

 

ややさん、とは、何かと、尋ねるが、誰も、明確に答えない。

 

日本語を、学ぶ場所が、ややさん、なのかという、結論に達したが、それでも、謎である。

 

私たちは、道々、ややさん、と、声に出して、歩いた。

馬鹿みたいである。

 

一度、ホテルに戻り、夕方のビーチに出ることにした。

その時、子供達への、プレゼントとして、挨拶として、少しの、子供服と、ぬいぐるみを、持参した。