木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第8話 

ホテル並びに、いつも、行っていた、美容院と、マッサージの店がある。

ママさんと、従業員が数名いた。

 

今回も、三人一緒に出かけた。

ママさんは、覚えていた。

二度目の、辻友子のことも、そして、その娘のことも、覚えていた。

 

さずが、この地で、13年の、キャリアである。

クタで、商売を続けることは、至難の業である。

 

今回は、そこで、実に有意義な話を聞いた。

 

辻友子は、ママさんに、ネールなんとかを、して貰い、私と、コータは、フットマッサージである。

 

コータには、娘が、私には、年配のおばさんが、ついた。

 

三人並んで、ママさんと、話をしながら、である。

 

何と、ママさんは、ティモール出身だった。

30年以上も前に、バリ島に来ていた。

 

コータの足を揉む、娘は、姪であり、その母親が、私の足を揉んでいた。

親子で、妹さん、つまり、ママの所で、世話になっていた。

 

それは、娘の看護学校費用を貯めるためだった。

 

そこで、なぜ、店に、前ローマ法王の、写真が掛けられてあるのか、理解した。

カトリックなのである。

 

少し説明すると、ティモールは、大変宗教対立の激しい土地である。

イスラムと、キリスト教である。

イスラムの村に入った、キリスト教徒が、簡単に殺されることも、多々ある。

 

インドネシアの、他の地域の紛争は、まず、宗教対立である。

更に、イスラム勢力が、圧倒的に強いのである。

 

更に、ティモールの場合は、まだある。

同じキリスト教でも、新興キリスト教と、カトリックの対立である。

例えば、エホバの証人が、乗り込んで、更に、複雑な対立を生むというようにことである。

 

こういうのは、手が付けられない。

 

東ティモールは、独立したが、経済混乱は、まだまだ拡大し、混乱している。

更に、公用語を、ポルトガル語にしたから、更に激しくなった。

 

そこに、学校を作ると、ある日本の女性歌手がいるが、彼女は、カンボジアにも、学校を作り、広く寄付を集めている。それはそれで、良しとして、建物を、作るということに、意欲を持つという、ボランティアの心には、なぜか、不審を感じる。

 

建物は、目に見えるものであるから、支援をしやすいということもある。

だが、学校とは、教育する現場であり、そのためには、先生が必要である。

それまで、維持するとなると、大変な事業である。

 

建物を、作ることは、簡単である。しかし、先生を雇い、維持することは、大変なことであるということ。

更に、あくどい者がいて、学校を建てて、日本から、寄付を募り、現地で、優雅に暮らすという者も、いる。

 

ベトナムでは、そういう、日本人の男が、現地の人の反感を買い、行方不明になった。

また、タイ、チェンマイでは、日本のNPO団体の代表の男が、世話をしていた、施設の女の子に性的行為を繰り返し、懲役刑である。

 

寄付をしても、それが、どんなことに、使われているのか、解らない。

もっと悪いのは、善意の寄付が、途中搾取されることである。

その団体も、気づかないのである。

ミャンマーに、その事務所を、作り、政治家を介して、活動を行う団体が、寄付金を、その政治家に、搾取されていたことを知り、撤退した。

 

私の衣服支援だって、丸投げしての、支援ならば、どうされるか、解らない。だから、手渡しするのである。

 

さて、ティモールには、日本人の血をひいた人々が多い。

それは、真珠取りに出た日本人たちが、ジャワから、美しい女を連れて、ティモールに来たからだと、ママさんは、言う。

そして、ママさんの、お母さんも、少しの日本語ができるという。

 

戦争前から、ティモールに渡った日本人たちが、いるのである。

 

ティモールは、とても、貧しい。

しかし、出稼ぎに出る人は、幸運である。

こうして、ママさんの、お姉さんと、その娘は、ママさんを、頼って、働きに来ているのである。

 

バリ島から、ティモールのクパンまで、国内線が出ている。

今度、私は、ティモールに行くと言うと、行く前に、寄ってくれと、ママさんが言う。

色々、情報を教えるというのである。

 

彼女たちは、カトリックかと、尋ねると、そうだと言ったのみで、後は、何も言わなかった。宗教の話は、一切したくないという雰囲気である。

それは、彼女たちの、環境を物語る。

 

宗教対立で、人を殺すことほど、哀れなことはない。

 

彼女たちの、母親は、フローレンス島にいて、今、その母親を、ティモールに転居させる準備をしていると、言った。高齢であり、暖かい、ティモールの方がいいと、言う。

 

同じ緯度にありながら、寒い土地もあるのだと、知った。

勿論、寒いといっても、日本の冬のようなものではない。

 

辻友子は、その娘に、後で、支援物資から、何枚か、衣服を抜き取り、渡していた。

日本円にすれば、大した額ではない、入学金や、授業料は、彼女には、大変な額なのである。

この場所で、働くことが出来なければ、体を売るしか方法がないのである。

 

バリ島には、擬似恋愛をして、外国の男に、貢がせるという、凄腕の、娘たちも、多い。

それで、大学を出て、資格を取り、一番給料の高い、公立学校の教師などになる者もいる。

 

ホント、頭と、体は、使いようである。

 

足を、よく揉まれると、随分と楽になる。

だが、タイと違い、単なるマッサージの店に入り、後悔することも多い。

技術の未熟な、若い女にやられて、何度も、具合が悪くなった。

 

しかし、タイと、違うのは、マッサージ店では、ノーセックスである。

決して、エロ行為に及ぶことはない。

それは、バリ島の文化ゆえである。

 

その手の、マッサージは、サヌールに多い。

その店は、ナンバーがつけられて、分るようになっているという。

ゲイ専用のマッサージ店もある。

 

さて、ママさんは、よくぞ、このクタの、競争激しい中で、生き残っていると思う。

それは、ママさんの、英語能力も、大きい。

自然に、覚えたものである。

必要に迫られると、人は、覚えるものである。