木村天山旅日記 

  沖縄本島南部慰霊

  平成21年9月 

 

第2話

小道に散乱する戦闘の残骸を見て、私はあまりに不条理なことに愕然とした。この沖縄の島で、島民は昔ながらの過酷な農法で土を肥やしてきた。そこへ戦がやってきた。それとともに、最新の最も精密な殺人技術が入ってきたのだ。狂気としか思えなかった。戦争とは人間に取り付いた病のようなものではないか。ペリリューでの経験から、私は無意識のうちに、戦闘といえば、むっとする暑さや、砲列に掃射される浜辺や、マングローブの密生するかげろう立つ沼地や、ぎざぎざに切り立った珊瑚の山を連想するようになっていた。だが、ここ沖縄では、その病は絵のように美しい田園をずたずたに引き裂こうとしている。

スレッジ

 

何故、今、追悼慰霊なのか。

 

それは、忘れるからである。

今年、敗戦から、64年を経て、人々は、戦争の記憶を忘れようとしている。

ただ、8月15日を、終戦の日として、慰霊という、形を、儀式をするのみ。

毎年の、習慣のような行事に堕落する。

 

忘れるな。

ただ、それだけである。そして、何故、忘れてはいけないのか。

それは、平和を求めるからである。

戦争を知らずに、いったい、何の平和を求めるのか。

 

更に、平和とは、何か。

戦時にあっても、平和である。

平和の反対が、戦争なのか・・・

 

戦争がなければ、平和なのか・・・

 

私は問う。

 

しかし、まもなく、このうえなく心地よい四月の朝ののんびりした偵察も、戦争という恐ろしい現実の一端に直面して、終わりを告げた。それがこの美しい島のどこかにひそんでわれわれを待っていることはわかっていたのだ。道路下の小川の土手に、まるで戦争を表す忌まわしいトレードマークのように、完全武装した日本兵の死体があった。

 

上から見ると、ヘルメットをかぶり、走っている形に膝を曲げた死体は、クッキーでつくった人形のようだった。このときは死後まだ何日もたっているようには見えなかったが、われわれは四月のあいだに何度もその小川を越えたから、死体が腐乱して次第に沖縄の土に還っていくさまを見ることになった。道には風が吹いて、松葉のさわやなか甘い香りがわれわれの鼻腔を満たしてくれたし、小川よりかなり高くなっていたから、死体を目にしないかぎりその存在を感じることがないのが、ありがたかった。

スレッジ

 

しかし、彼は、

放置された日本兵の遺体は数えきれなかった。

という、現状を何度も見ることになる。

 

白梅の塔に着いた。

 

私たちが、到着した時、別の十人程度の、団体の人も、慰霊に訪れていた。

彼らは、白梅の塔の横にある、遺骨を納めた、塔に、読経した。

 

私は、すでに、心が整っていたので、オーという、音霊による、送りの、所作で、塔に向かっていた。

そして、四方を清め祓いした。

 

団体は、私に、終わりましたので、どうぞと、場所を空けてくれた。

遺骨の塔に、御幣と、日の丸で、清め祓いをした。

 

そして、その上に建つ、山形県の慰霊碑に、黙祷し、白梅の塔の向かい側に、向かった。

 

その、下のガマ、洞窟が、問題の場所だった。

 

そこで、多くの人が、亡くなっている。

 

白梅隊の少女たちもである。

 

暗い。

不気味。

 

私は、恐れながらも、いや、恐れ多くも、

そこに向かって、皇祖皇宗をお呼びして、引き上げたまえと、唱えた。

 

もし、いまだに、苦しむ霊位の方々がいれば、引き上げるほかは無い。

 

開放である。

意識の、想念の開放である。

 

もう、苦しむ必要は無い。

肉体を失ったのであるから、霊位であることを自覚して、行くべきところに、行くことである。

 

コータも、辻友子も、頭が、締め付けられると言った。

それは、霊位の存在のゆえである。

 

亡くなった状況のままにある、霊位は、その時のままである。

そこからの、開放である。

 

沖縄には、ユタという、霊的能力者が、多数いた。

しかし、戦後、沖縄を席巻したのは、左翼、左派系であり、その、ユタたちを、非科学的、迷信として、退け、彼らの活動を阻止した。

もし、それがなければ、もっと、多くの霊は、開放されていた。

 

霊の存在を知らない者は、霊というものが、無いと、判断する。

知らないことを、知らないと言わない。

 

知らない者は、知る者に、任せるべきである。

 

勿論、霊能者と自称する者に、ロクな者はいないというのも、事実である。

 

しかし、沖縄のユタは、違う。

 

ユタになるべく、特別の、苦難を負い、また、それを、クリアーしているのである。

 

私は、洞窟を見て、胸が締め付けられた。

物理的ではない。精神的に、である。

この場所で、息を引き取るという、絶望である。

 

意識あるうちは、何のために、ここで、死ぬのかと、問うたはずである。

御国のために、天皇のために・・・

 

国を守るために、死ぬんだ・・・

 

戦争という、狂気の中で、正気を失わず、考え続けた人。

それを、思うと、私は、黙祷以外の方法しか、術がないのである。