第1話
はじめに
マニラから、南に車で、一時間ほどのところに、モンテンルパという街がある。
そのモンテンルパには、フィリピン最大の、刑務所がある。
私は、戦後の、東京裁判で、B級、C級戦犯となった、兵士たちが、収容されていた、その、モンテンルパの、収容所と、そこで、思わぬ罪を着せられて、処刑された皆様の、追悼慰霊に出掛けた。
勿論、処刑された方々だけではない。その地で、命を落とした、兵士の皆様の追悼慰霊も、執り行った。
東京裁判にて、戦犯とされた、兵士たちは、日本の法律では、無い。
アメリカの指揮する、戦勝国が、敗戦国を裁くという、実に、茶番な裁判によって、決められたものである。
日本の法律に、戦犯という、罪状は無い。
当時の国民も、そのように、考えていた。
それの、一つの例が、モンテンルパである。
実は、このモンテンルパにて、収容されていた兵士が、作詞したものに、最初で最後の、作曲をした、伊藤正康さんが、86歳で、今年の六月に、鎌倉の自宅で、亡くなった。
彼も、そこで、死刑の判決を受けていた。
その死刑の日を、待つ間に、曲を作ったのである。
しかし、彼は、処刑されることなく、帰還できた。
それが、この歌、ああモンテンルパの夜は更けて、である。
彼の、仲間は、無実を訴えても、処刑された。
モンテンルパの夜は更けて
募る思いにやるせない
遠い故郷偲びつつ
涙に曇る月影に
やさしい母の夢を見る
昭和27年、1952年、四月に占領が終わると、各地の戦争裁判の結果、戦犯とされ、服役していた人たちの、早期釈放を求める、国民運動が起こった。
戦地や、収容所の慰問を続けていた、歌手の、渡辺はま子が、ああモンテンルパの夜は更けて、を、歌った。
それによって、フィリピンのモンテンルパに、収容されている、兵士たちの、存在が、国民に知られることになる。
監獄に収容されていた、死刑囚が作詞した歌詞に、国民は、泣いた。
つばめはまたも来たけれど
恋し我が子はいつ帰る
母の心は一筋に
南の空に飛んでゆく
定めは悲し呼子鳥
彼らの、減刑を求める、五百万人の署名が、集まるのである。
翌年、28年7月4日、フィリピン独立記念日にあわせて、元日本兵の、全員釈放が、決まった。更に、減刑されて、巣鴨プリンズに送還されたのである。
その年の、7月22日、モンテンルパ監獄から、釈放されて、故郷日本の、地を踏んだのは、百八名の、元日本兵である。
それを、横浜港で、出迎えたのは、二万八千人という。
誰もが、帰還を喜んだのである。
縁も、ゆかりも無い人たちも、彼らの帰還を、喜んだ。
モンテンルパに朝がくりゃ
昇る心の太陽を
胸に抱いて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは
しかし、作詞した者は、処刑された。
今、戦争を、どうのこうのとの、話ではない。
少なくとも、国のために、戦うという、不可抗力の中で、亡くなった皆様は、その国が、追悼慰霊を篤くするものである。
私は、追悼慰霊の所作なくして、平和運動は、また、無いと、言うものである。
戦争の犯人は、誰かと、左翼、左派の夢見る人々は、犯人探しをする。
しかし、それでは、戦争は、終わらない。
戦争に至るまでの道は、実に、複雑である。
戦争関係の、秘密文書が、どんどんと、公開されている。
東条英機が、天皇に、涙ながらに、戦争をしなければ、日本は、立ち行かないと、迫った。
そして、昭和天皇は、私が、戦争に反対すれば、暗殺されるとも、知っていた。
しかし、国民に、天皇が無くなれば、どんなことになるのかも、天皇は、知っていた。
天皇無くして、日本という国は無いのである。
それが、2600年の伝統日本の、面目である。
今年は、建国2669年である。
敗戦の際も、昭和天皇は、退位せず、国民を救わなければならないとの、使命を持つ。そして、それが、できるのも、天皇だからである。
天皇とは、そのような存在であることを、天皇自身、知っていた。
昭和天皇は、国民を救わんがために、心を砕き遊ばされたと、言う。
史観というものに、囚われると、天皇の姿が、見えなくなる。
どんなに、納得した、論文にても、私が、納得しない部分は、宗教的行為による、慰霊は、どこの国もあり、それを、行うこと、日本も当然である。無宗教施設による、慰霊は、無いという。
しかし、私は言う。
日本は、宗教の国ではない。
伝統の国である。
死者を、奉る行為も、伝統である。
その、伝統を、宗教的と、置き換えてもいいのだが、私は、あえて言う。
伝統の死者に対する、所作を有するのが、日本である。それは、他の、どの国にも無い、伝統であると。
私の、追悼慰霊の行為が、どうしても、宗教、あるいは、宗教的と言われる。つまり、そのカテゴリーにしか、頭が回らないのである。つまり、アホである。
私が、御幣を、作り、言霊の、清め祓いをするのは、伝統である。
更に、言わせてもらえば、日本には、宗教という、概念も、観念も無い。皆無である。
そんな国は、日本以外に無い。
天皇を、上とし、民を、下として、この国は、伝統により、成り立ってきたのである。
かけまくも かしこき
とは、自然に対する、言挙げである。
更に、太陽を、天照と、お呼びする、太陽崇敬と、祖先崇敬の伝統の国なのである。
それは、この国が、島国ゆえに、出来上がった、独特の、伝統である。
更に言えば、死者、祖先は、我々と共に、在るという、心象風景を持つ伝統である。
明治期に、西洋から入ってきた、宗教学なるものは、キリスト教国のものであり、日本には、そのような、詭弁は、無い。
言霊が、音霊、おとたま、に、支えられてあり、音霊は、数霊、かずたま、に支えられてあることを知る民族である。
それを、伝統と、言う。
万葉集を読めば、解ることである。
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