木村天山旅日記 

  チェンマイへ

  平成21年10月 

第3話

追悼慰霊の、間は、食事などの、休憩はしない。

ホテルに戻ったのは、出発してから、およそ、五時間後である。

 

三時過ぎだった。

皆で、遅い昼食をする。

 

ホテルのレストランである。

 

もう、歩いて、どこかへ行くのは、疲れて出来ない。

私が、である。

 

小西さんから、皆が、慰霊碑の話を伺いながら、食事をした。

 

その後は、しばらく、それぞれが、部屋で休むことにした。

 

小西さんとは、明日の、学校への支援の時間などを、打ち合わせし、出発の時間を、決める。

 

昼過ぎということにした。

 

実は、その日の、夜の食事は、民族舞踊を見ながら、食事が出来る店でということで、小西さんに、予約していただいたが、私は、スタッフと、相談し、それは、中止にすることにした。

そして、夜は、小西さんと、じっくりと、話し合いたいと、希望した。

 

これからの、活動は、小西さんと、連携を強めて、更に、広く活動したいと、考えていたのである。

 

支援物資も、バンコクに、場所を借りて、そこに、保管するということまで、考えていた。

 

夜の食事は、それぞれでするということになった。

 

その前に、辻さんの、希望である、タイマッサージを紹介することにした。

 

その下見に、男三人が、いつも、私が出掛けている、格安マッサージの店に出掛けた。

 

一時間の、タイマッサージが、100バーツである。300円。

マッサージ料金が、少しずつ、安くなっている。

価格破壊である。

 

フットマッサージが、一時間、150バーツである。450円。

 

私たち男グループは、フットマッサージを受けた。

 

私の顔馴染みの、マッサージ嬢がいた。何と、娘もいた。

私が服を上げた、娘である。

両手を合わせて、挨拶する。

 

三人揃っての、フットマッサージである。

会話が弾む。

勿論、私は、ブロークン英語で、スタッフは、タイ語である。

千葉君は、目を瞑り、マッサージを堪能していた。

 

私の英語が、通じなくなると、スタッフに、皆、尋ねるという・・・

 

私も、自分で言う英語が、自分でも、分からなくなるのである。

 

今回は、出掛ける前に、中学二年生の英語の教科書を、眺めてきたのであるが・・・

ただ、私のよさは、兎に角、話すこと。

出鱈目でも、話す。

相手も、こちらも、よく分からない。それでいい。

 

開き直っているのではない。

何となく、通じれば、いいのである。

 

恋愛するわけではないから、何となくでいい。

 

タイマッサージは、下半身に関しては、実によい。

上半身に関しては、物足りないが・・・

それは、民族的なものだろう。

 

私は、足裏を、棒で、強く強く押してもらった。

私の担当の穣は、汗をかいているほど。

痛くないの・・・

オッケー

 

何せ、人に、足裏療法をする身である。

足は、どんなに痛くしても、事故は、起きない。

逆に、終わった後は、すっきりする。

 

死の床にある人の、足裏を、揉むだけで、死の恐怖と、体を楽に出来る。

 

ガン末期の妹の、見舞いに行くと、必ず、足裏を、揉んだ。

妹は、生き返るようだと、感激していた。

最後は、足裏に、すべての、苦痛がくるのである。

 

足裏の、浮腫みを取るだけで、十分に、気持ち良くなる。この、気持ち良さが、救いである。

 

そして、万が一、死んだらねーーーと、話す。

光に向かって、真っ直ぐに行きなよーーー

この世に、未練を持たないでねーーー

 

あちらの世界に早く行けば、こちらの人々を、守ることが、出来るからねーーー

 

妹に、そう語り掛けた。

 

拝みたくなったら、太陽を拝みなよーーー

 

そして、妹は、死んだ。

時々、私の心に語り掛けてくれる。

おおよそ、注意事項である。

無理するな、行かない方がいい、などである。

 

さて、マッサージを終えて、後で、仲間が来るから、頼むと言っておく。

オッケーオッケー

テン・ハウロング・・・

今回は、セブンデー

オッケー、カムな

オッケー、ツモロ、カム

何となく、通じる。

 

その後、辻さんが、出掛けて、感激のタイマッサージを、体験した。

何せ、300円である。

それから、辻さんは、毎日、通ったのである。