第3話
追悼慰霊の、間は、食事などの、休憩はしない。
ホテルに戻ったのは、出発してから、およそ、五時間後である。
三時過ぎだった。
皆で、遅い昼食をする。
ホテルのレストランである。
もう、歩いて、どこかへ行くのは、疲れて出来ない。
私が、である。
小西さんから、皆が、慰霊碑の話を伺いながら、食事をした。
その後は、しばらく、それぞれが、部屋で休むことにした。
小西さんとは、明日の、学校への支援の時間などを、打ち合わせし、出発の時間を、決める。
昼過ぎということにした。
実は、その日の、夜の食事は、民族舞踊を見ながら、食事が出来る店でということで、小西さんに、予約していただいたが、私は、スタッフと、相談し、それは、中止にすることにした。
そして、夜は、小西さんと、じっくりと、話し合いたいと、希望した。
これからの、活動は、小西さんと、連携を強めて、更に、広く活動したいと、考えていたのである。
支援物資も、バンコクに、場所を借りて、そこに、保管するということまで、考えていた。
夜の食事は、それぞれでするということになった。
その前に、辻さんの、希望である、タイマッサージを紹介することにした。
その下見に、男三人が、いつも、私が出掛けている、格安マッサージの店に出掛けた。
一時間の、タイマッサージが、100バーツである。300円。
マッサージ料金が、少しずつ、安くなっている。
価格破壊である。
フットマッサージが、一時間、150バーツである。450円。
私たち男グループは、フットマッサージを受けた。
私の顔馴染みの、マッサージ嬢がいた。何と、娘もいた。
私が服を上げた、娘である。
両手を合わせて、挨拶する。
三人揃っての、フットマッサージである。
会話が弾む。
勿論、私は、ブロークン英語で、スタッフは、タイ語である。
千葉君は、目を瞑り、マッサージを堪能していた。
私の英語が、通じなくなると、スタッフに、皆、尋ねるという・・・
私も、自分で言う英語が、自分でも、分からなくなるのである。
今回は、出掛ける前に、中学二年生の英語の教科書を、眺めてきたのであるが・・・
ただ、私のよさは、兎に角、話すこと。
出鱈目でも、話す。
相手も、こちらも、よく分からない。それでいい。
開き直っているのではない。
何となく、通じれば、いいのである。
恋愛するわけではないから、何となくでいい。
タイマッサージは、下半身に関しては、実によい。
上半身に関しては、物足りないが・・・
それは、民族的なものだろう。
私は、足裏を、棒で、強く強く押してもらった。
私の担当の穣は、汗をかいているほど。
痛くないの・・・
オッケー
何せ、人に、足裏療法をする身である。
足は、どんなに痛くしても、事故は、起きない。
逆に、終わった後は、すっきりする。
死の床にある人の、足裏を、揉むだけで、死の恐怖と、体を楽に出来る。
ガン末期の妹の、見舞いに行くと、必ず、足裏を、揉んだ。
妹は、生き返るようだと、感激していた。
最後は、足裏に、すべての、苦痛がくるのである。
足裏の、浮腫みを取るだけで、十分に、気持ち良くなる。この、気持ち良さが、救いである。
そして、万が一、死んだらねーーーと、話す。
光に向かって、真っ直ぐに行きなよーーー
この世に、未練を持たないでねーーー
あちらの世界に早く行けば、こちらの人々を、守ることが、出来るからねーーー
妹に、そう語り掛けた。
拝みたくなったら、太陽を拝みなよーーー
そして、妹は、死んだ。
時々、私の心に語り掛けてくれる。
おおよそ、注意事項である。
無理するな、行かない方がいい、などである。
さて、マッサージを終えて、後で、仲間が来るから、頼むと言っておく。
オッケーオッケー
テン・ハウロング・・・
今回は、セブンデー
オッケー、カムな
オッケー、ツモロ、カム
何となく、通じる。
その後、辻さんが、出掛けて、感激のタイマッサージを、体験した。
何せ、300円である。
それから、辻さんは、毎日、通ったのである。
|
|