チェンマイに出掛けたのは、タイ王様の在位、60周年記念の年である。
1996年の、秋。
それから、何度も、チェンマイを訪れた。
今回は、五度目であろうか。
そして、コンサートは、三回目である。
今回の、コンサートは、私だけではなく、辻友子と、千葉真康が、参加して、総勢、四名の団体である。
追悼慰霊と、衣服支援と、コンサートの、三本柱である。
バンコク経由の、チェンマイ行き、タイ国際航空を利用した。
その日の朝に乗り、チェンマイには、現地時間で、七時前に到着する。
日本時間より、二時間遅いのであるから、日本時間では、夜の九時に到着である。
最初の問題は、衣類の重さである。
四名で、無料で積み込める量は、80キロ。
それは、80キロ目安に、バッグ、四個に詰めた。
だが、80キロ以上はある。
それを、受付の、お姉さんが、見逃すか、否かである。
更に、私は、二つの、バッグに、子供物を詰めて、機内持ち込みを、謀った。
四人が、成田空港で、合流し、搭乗手続きを行う。
さて、荷物を、秤に乗せる。
重い。
四個を乗せた。
すると、担当のお姉さんが、何と、小学生のように、紙の切れ端で、計算するではないか。
足し算である。
お姉さんが言う。
まだ、大丈夫ですよ。
えっー
内心、私は、間違っていると、思ったが、機内持ち込みの、バッグ、一つを乗せた。
すると、お姉さん、まだ、大丈夫ですよと、言う。
そこで、機内持ち込みの、バッグ、二つ乗せられた。
オッケーである。
電卓を使わなかったお姉さんは、足し算を、間違っている。
しかし、それを、言うことは出来ない。
私は、重量オーバーのために、千葉君の、機内持込バッグに、空き状況を作ってもらっていた。
もし、オーバーの場合は、引き抜いて、その中に入れようと思っていた。
ところが、オッケーである。
何と、お姉さんは、いい人なのか。
自分の計算を、信じきっている。
更に、荷物の係りの人も、それを、信じて、ベルトに流す。
誰も、傷つけることなく、私たちは、重量オーバーの、100キロを、積む事が出来て、万歳である。
ちなみに、10キロオーバーの時は、8000円ほど、料金を払うことになる。
更に、千葉君の、ギターは、機内に持ち込む事が出来たのである。
順調である。
出国手続きも、万事よし。
免税店を眺めつつ、私たちは、搭乗口に、向かった。
勿論、私は、タバコを4カートン買った。タイには、1カートンしか、持ち込めないが、今回は、総勢四名であるから、一人ずつに持たせて、4カートンである。
さて、もう、出国手続きをしたのであるから、日本を出たことになる。
バンコクに到着して、外に出ることなく、入国手続きをして、国内線の、チェンマイ行きに乗る。
タイ航空だけあって、乗り継ぎが、スムーズである。
一時間ほどで、チェンマイに到着する。
約束の通り、出口では小西さんが、待っていてくれた。
辻、千葉、両人は、小西さんとは、初対面である。
挨拶をして、小西さんが、用意してきくれた車に、荷物を、積み込む。
信じられないほどの、荷物である。
辻さんの、大きな、バッグだけは、税関のおじさんに、呼び止められて、中を開けることになった。
焦る、辻さん。
その理由は、下着である。
旅先で、はき捨てできる、古い、下着を持ってきていたのである。
それを、見られると、声のトーンが、ソプラノになった。
コータが、私に、下着見られるの、嫌なんだってと、言う。
支援物資が、半分ほど、入っている。
問題はなかったが、閉めようとすると、閉まらなくなった。
積み込み過ぎて、閉まらない。
すると、辻さんは、その上に、ドンと、体を乗せたのである。
これには、周囲も、驚いた。
しかし、蓋は、閉まったが、衣類の端が、バッグから、出る始末である。
まあ、いいーー
ということで、小西さんの車に、積み込む。
目指すは、いつもの、ターペー門の前の、ホテルである。
予約無し。
この時期なら、空いていると、想定しての、ことである。
矢張り、部屋、三つは、空いていた。
850バーツで、朝食付きである。
2500円ほどで、朝食が付いている。
日本は、一人の料金であるが、あちらは、部屋一つ、幾らであるから、一人でも、二人でも、同じ料金である。
辻と、千葉、両人は、ワンベッドルームで、私とコータは、ツーベッドルームである。
ワンベッドといっても、ダブルベッドであり、二人は、泊まれる。
部屋に、荷物を運び入れて、改めて、ホテルのレストランで、小西さんに、二人を紹介する。
ちなみに、ホテルは、リニューアルしていた。
とても、綺麗になっていた。
中流ホテルになっているが、値段は、下流ホテル並みである。
私と、コータの場合は、その半額の、ゲストハウスに近いホテルに、泊まるが、今回は、二人のために、そこにしたのである。
チェンマイ、五泊は、ホテルを変えず、そこに宿泊することにした。
|