夜、繁華街を通り、歩いて、ナイトバザールまで、出掛けることにした。
私は、その通りに、ホームレスの人々が出ていることを、知っている。
夜になると、物乞いが出てくる。
子供用の、衣類のバッグを持って出掛けた。
本当は、チェンマイで、差し上げるのではなく、その後の、スタッフとの、旅で、HIV感染の子供の家に、持ってゆくはずだった。
しかし、どうしても、持って行きたかった。
その前に、少し、マッサージの子供のいる、人たちにも、手渡していたのである。
ナイトバザールに行く途中に、橋がある。
そこに、矢張り、ミャンマーから、逃れて来た、親子たちが、いた。
その後、出掛けた、パタヤでも、カンボジアから逃れて来た、親子に多数出会ったのである。
世界の経済危機は、貧しい国を、直撃したのである。
さて、橋の上で、一組の、母と子に、衣服を渡すと、周囲から、どんどんと、集って来た。
その橋を、主にして、物乞いをしている、親子の、何組も出て来た。
辻さんと、千葉君が、少し驚いて、見ていた。
スタッフが、写真を撮る。
そんな形で、支援をしている様子を、二人は、初めて、見たのだ。
一つの、バックは、すぐに、空になった。
物乞いの人たちは、それぞれが、助け合う。
一人に渡すと、あちらにもいると、言う。
ただし、この物乞いの人たちも、一つの組織になっている。
つまり、道端で、貰ったお金は、あるグループのものになり、彼らは、その代わり、寝る場所と、食べ物を保障される。
ただ、それだけである。
着るものなどは、与えられない。
だから、私は、お金を渡すのではなく、衣服を渡す。
タイの多くの場所で、物乞いする人々は、そうして、日本流に言えば、ヤクザのような、グループの後ろ盾で、物乞いが出来るのである。
ただし、将来は、無い。
食べて、寝るだけのこと。
子供たちは、結局、ストリートチルドレンになる。
彼らは、タイの国民カードも持っていない。
ある種、違法入国なのである。
だが、それでも、タイに来る。
食べられるだけ、いいからだ。
ミャンマーの軍事政権は、甚だしい、人権侵害を犯す。
更に、国民は、誰が、誰を、政府関係に、密告するか、解らないという、監視社会である。
政府を批判は、出来ない。
北朝鮮と、同じく、全体主義である。
中国も、然り。ただ、領土が広い分だけ、少しは、増しである。
兎に角、国民は、人として、見なされない。
一部の者が、国のためにある。
北朝鮮もそうであるが、国を挙げて、麻薬密売などをする。
ミャンマーも、中華系が、麻薬密売をする。
それを、政府も、見て見ぬ振りをする。
政府関係者の、一部だけは、普通の生活が出来るが、他は、人間とは、見なさないのである。
国を出るしかなくなる、悲しさである。
一度、国を出て、他国で、働く人は、もう二度と、国に戻れない場合もある。
そうでなければ、スパイにされる。
タイに入り、物乞いをする人は、最低限の生活を出来ずに、タイに出るのである。
更に、ミャンマーは、このように、外国人が、ミャンマー批判や、ミャンマーの現状を、書かれることを、嫌うゆえに、入国を、限りなく、制限する。
一時期、観光として、外国人を、受け入れる旨を、表明したが、その後、ミャンマーの現状を書く人が多いので、今は、日本人はじめ、強い規制をしている。
基本的に、ミャンマーで、外国人が、ボランティア活動することは、出来ない。それを、正式にするには、政府に申請して、更に、色々なことを、規制される。
兎に角、国情を知って貰いたくないのである。
衣服を手渡すのは、簡単であると、見えるが、実は、非常に気を使うので、疲れる。
一人一人に、手渡すというのは、大変な労力である。
感謝されるのが、嬉しいなどといってられない。
私が、確実に、定期的に、彼らと接触するならば、いいが、今しかないのである。
今、渡して、終わり。
これで、今生の別れになること、多々あり。
同じ人たちに、持続した、支援を続けないと、駄目。
しかし、それは、出来ない。
更に、同じ場所にて、支援活動していると、別の問題が生ずる。
要するに、誰かに、目をつけられるのである。
それが、よい場合と、悪い場合がある。
手渡しの支援は、実は、危険なのである。
だから、団体が、団体を通して、丸投げする。
しかし、必ず、そこに、不正などが、入る。
監視体制が、しっかりしていないと、それらが、横流しされて、甚だしい場合は、売られて、金にされ、誰のものになるのか、解らない。
国連が、支援したものが、ヤンゴン市内で、売られていたのを、目撃して、国連職員が、驚いたという、話もある。
要するに、政府高官が、それを、搾取したのである。
支援物資を、売るという、体質。
ホント、信じられないのである。
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