カンボジア ウドン慰霊塔追悼

    平成22年12月2日
    
 

 プノンペン市内から、三輪タクシーで1時間20分。ウドンに着きました。

 ウドンには仏教寺院のある山があります。

 その麓に、ポルポト時代にクメール・ルージュが使った軍事施設跡があります。

 そのあたりでも、大勢の人が亡くなりました。

 その遺骨は一部掘り出され、追悼慰霊塔に収められています。

 右の動画は、追悼慰霊の儀を行う様子です。遺骨がアップになる場面がありますが、亡くなった方を冒涜するものではありません。

 なお、カンボジアと日本で、繰り返し祓い清めを行ったので大丈夫です。気になる方は、ご安心下さい。


途中でチャム族の村に寄って、衣服支援をする予定だった


がたがたの道路を、1時間20分ゆられて行ったので、下半身がむずがゆくなった


追悼慰霊塔は、観光地の中に、ぽつんとある


慰霊の儀のため、近くの木から小枝をもらう


ガイドをしてかせぐ子どもや、花売りたちが、わっと群がってくる.我々の目的は寺院参りではないので、みんな断った


ほとんど誰からも見向きもされない慰霊塔.追悼の儀をはじめる


なかには掘り出された遺骨が積まれている.じっさいはこの何倍もあるだろう.


公衆の面前に開示されてある.周りのおみやげ屋なども、気にしていないふうだ


午後2時をまわった、直射日光の厳しい中での慰霊だった


ひとびとは、不思議そうに遠くから眺めていた


土ぼこりの舞う、さびれた雰囲気のウドン


週末には、寺院の参拝客でひきもきらないというが、本当だろうか.外国人だけ、入場に2ドル払わされる


来る道のとちゅうから、寺院の案内をしてチップをもらおうとする子供が、自転車で追いかけてくる


目的のちがう我々にとっては、ありがた迷惑であった.後ろに、大部分の観光客がめざす、山上の仏塔がのぞく


みすぼらしい慰霊塔とは、月とスッポン.ほんの20年前のことを忘れたのだろうか


目をおおわんばかりの貧しさが、ここにも見られる.私たちが客にならないとわかると、遠くから眺めるだけ


しかし人々は木村の慰霊をよく見ていた.子供がすぐ「ハレ〜タメ〜、キヨメタメ〜」とやったのには、脱力した


帰り道で、川のほとりで三輪タクシーを停めてもらう.数10メートルで、メコン川につながっている


道路はメコン川沿いにずっとつづく.川風が強かった.御幣を流す

 ウドンでのクメール・ルージュ虐殺現場での追悼慰霊は、何とか無事に済みました。

 御幣は、ゆっくりと、悠久のメコンの流れに、帰っていきました。

 慰霊の帰り道、運転手の提案で、クメール人の集落へ寄ることにしました。

 イスラム系のチャム族より、クメール人の方が貧しいときき、そちらで衣服支援をすることに。

 次は、クメール人集落衣服支援です→☆☆☆

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