|
|
フィリピン ネグロス島バコロド衣服支援 3
Bacolod, Philippines, Clothes support 3 14.Jan.2011
平成23年1月14日
*フィリピンのネグロス島、バコロド付近の農村で衣服を手渡しました.
|
|
|
わたしたちの活動した1月13日から16日ごろは、ビサヤ地域の大きなフェスティバルとかさなった
|
|
そのうちもっとも大きなセブ島のジナンガラン・フェスティバルの日は、街中のホテルが満室になる
|
|
ふだんは800ペソの部屋が1600ペソ以上にはね上がる.わたしたちにとっては痛手だった
|
|
うしろの方に砂糖きび畑と、砂糖きびを運ぶトラックが見える.まさに砂糖きびに囲まれた生活
|
|
ひとりひとりの収入はわずかであるはず.意外にも日本への出かせぎが、彼らの希望となりうる
|
|
この子どもたちも、大きくなって日本へ出稼ぎに来るかもしれない.その時に、今日のことを思い出してほしい
|
|
日比関係は、日に日に緊密になりつつある,ネグロスにも日本語を話すフィリピン人が多数いる
|
|
これまではアメリカの影響いっぺんとうだったフィリピンは、日本の影響も半分くらい受けることになる
|
|
日本語を勉強する人もふえるはずである.フィリピンの方たちに、日本を理解してもらい、日本に興味をもってもらいたい
|
|
そのためには政府ベースの支援だけではなく、その恩恵を受けられない人たちへのきめ細かい支援も力になる
|
|
人と人との、血の通った交流こそ、未来の国家間摩擦を未然にふせぐ一つの方法だろう
|
|
おおぜいの人びとに見送られて集落をあとにした
|
|
|
たくさんの笑顔にふれあえた支援でした。
村を出る途中、子供たちが、手渡した衣服を手に手に見送ってくれました。
わたしたちの行為が、少しでも日比間のよりよい未来につながればと、願ってやみません。
さて、一日のさいごに、協力者の案内により戦没者慰霊碑にたどり着きました。
わたしたち自身、予想だにしていなかった展開でした。
|
|
|
|
|
|
|
|
|