パラオ・ペリリュー島追悼慰霊 その2

  Peleliu island, Palau, War victim memorial act Page 2
  
11.May.2011

   平成23年5月11日
    
 

 

 ペリリュー島の戦跡を慰霊して巡っています。

 日本軍司令部跡にも行きました。

 ペリリュー島の激しい戦闘について、くわしくは木村天山旅日記を参照して下さい。 

木村天山旅日記へ



かく挫した米軍海兵隊の装甲車


日本のペリリュー守備隊が設営したトーチカの砲台


日本の神社跡を訪れた


ウィリーさんが運転手、ガイド、写真撮影など全てをこなしてくれた


南洋の日本人入植者たちは、ほうぼうに神社をつくった


サイパンや、トラック島、その他南洋の各地に数多く神社が残っている.敗戦とともに置き去りにされた


荒れ果て、手入れする者もいない神社は、現地の人の同情をかっている

 ペリリュー神社の前で。

 日本の南進政策の遺物です。

 その他、日本語が現地語化して残っている言葉もあります。

 「べんとう」などです。

 追悼慰霊をあらかた終え、島を歩きながら、人々と触れ合いました。

 衣服なども、そのつど渡しました。

 ペリリュー島の人々→☆☆☆

テラの会活動報告