パプア・ニューギニア ラバウル追悼慰霊
Papua New Guinea, New Britain island, Rabaul, Memorial act for war victim
05.June.2011
平成23年6月5日
首都ポートモレスビーを出入りできるのは、飛行機だけです。
船もありますが、あまりにも時間がかかるのです。
ポートモレスビーからラバウルへ飛びました。
その航路は、日本軍のたくさん亡くなった東海岸を通ります。
写真は、4000メートル級のオーエンスタンレー山脈。この尾根を、陸軍さんは、重火器を抱えて越えていきました。
目もくらむような高峰でした。
餓死や病死で亡くなった兵隊さんへ、しずかに黙祷を捧げました。
ニューブリテン島は九州ほどの大きさがあり、その99.9パーセントはジャングルに覆われる。これは中部の火山
ラバウルに降り立った。正確にはラバウルは飛行場から車で3時間。ここはトクナというところ
ラバウルは1994年に火山が噴火し、灰に埋もれた。いまだに荒廃しており、街の機能はココポという集落にうつった
当初ラバウルに行く予定だったが、やめにしてココポに泊まった。ここはココポの海岸
このココポも戦禍にさらされた。教会に野戦病院があった。山腹に横穴を掘って傷病者を収容した
制空権をにぎられていた日本軍は、毎日のように空襲にさらされ、なすすべもなかった
ラバウルの飛行場にあった戦闘機も、どんどん減って、さいごは一機も応戦できなくなった
連合軍の空爆がはじまると、とにかくやられないように祈るしかなかった
海岸線に遠く、ラバウルの火山が見えます。小さい方が噴火していて、戦時中も噴煙があがっていたとか。
いまでも、ここの原住民トーライ族の神聖な崇拝の対象です。
そちらへ向けて、祈りを捧げました。
追悼慰霊の儀式は、翌日も行いました。
つぎはココポの病院での、衣服手渡しの様子です→
☆☆☆
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