フィリピン・ネグロス島バコロド、孤児女子寮衣服支援

  Clothes support at girl's orphanage, Bacolod city, Phillipines 
  
05.september.2011

   平成23年9月5日
    
 

 

 つぎに向かったのは、”バコロド少女たちの家”。

 16才までの、両親を亡くした子や、家族に無視された子、捨て子や家出した子たち、31人を保護しています。

 食事、衣服を与え、また教育を施しています。

 またそれにとどまらず、施設を出た後の、就職の世話もします。

 教会の儀式や活動を通じて、精神性の高い生き方ができるよう、助けています。

 その施設で、衣服支援を行いました。


やはり、はじめは写真撮影は禁止と言われた


しかし、私たちの活動を理解してくれ、名前を出さない条件で、撮影・掲載の許可を得た


ゆえに、所在地と名前は出せない.日本語訳すると、”バコロド少女たちの家”


はじめのうちこそ、固さがあったが、だんだんと、打ち解けた


カソリック系など、組織に属する施設は、通常、事前に連絡を入れてから、訪問するもの


そこはフィリピンのふところの深さか、事前連絡無しで訪れた私たちも、快く受け入れてくれる


入所している女の子たちも、私たちをまったく警戒しない


バコロド出身の若者二人の、協力者がついていたことも、よかったか


ネグロス島のバコロドという町は、小さいながらも、必要なものはそろっている


食費や物価が、マニラに比べて安い.現地人も、たいへん住みやすいという


また、別名”笑顔の街”ともいい、みんな本当によく笑う


私たちのこれまで訪れた、アジアの町のなかでも、幸福感でいえば、1,2を争う


それはフィリピンに古くからある、相互扶助の精神が、壊されずに残っているからだろう


バコロドの方言と、セブの方言は違うらしく


セブアノ語が話せないと、セブで働くのも一苦労だという


一軒屋を持つ人は、学生に間貸しをしている.その家賃、なんと一ヶ月680ペソ.およそ1360円.


銀行員の初任給が1万ペソ.高学歴でも月給は安く、海外へ頭脳流出する元になる


学生の向学心は一般的に高く、宿題をするのに、朝5時までかけ、その後通学するのも、普通だという


英語力はアジア一である.これはアメリカ植民地時代、アメリカ人が英語教師を、


たくさん派遣したことによる.独立後は、英語力の低下が懸念される


日本の標準語にあたるものは、戦後まで存在せず、マニラ近辺の地方言語であるタガログ語が、とりあえずの


国語として採用されている.バコロドの子供は、母語・タガログ語・英語の最低三つを学ぶ

 ひきつづき、「少女たちの家」の衣服支援を、紹介します→☆☆☆

テラの会活動報告