タイビルマ国境メーソート
中野さん宅訪問慰霊〜孤児院〜教育施設衣服支援
平成23年10月2日
Visiting "last Japanese soldier" Nakano's house,
Clothes support in orphanage and Burmese institute of education
Burmese populations support, along the Thailand-Burma border
02.Oct.2011
”最後の日本兵”として有名になった、中野さんのお宅を訪問し、仏前に焼香しました。
今回は、故中野さんの奥様のご同席も賜りました。
将来は日本の故郷へ遺骨を返す計画ということです。
焼香が済むと、キリスト教系の孤児院へ行き、衣服支援をしました。
それから、ゴミの山で廃品回収をしたりする、ビルマの子供たちのための教育施設を訪問しました。
そこで残りの衣服をほとんど手渡しました。
中野さんは、衛生兵であり、一度も銃を撃ったことはなかったという
戦後もビルマ・タイに残り、裸一貫から、土地付きの家屋を買うほど成功した.その経緯をHさんよりうかがう
キリスト教系の孤児院へ来た.日曜日だったので、子供たちは教会に行っていて、いつ帰るか分からないという
残っていた人たちに、衣服を渡した.インド系の人や、イスラム教徒の赤ちゃんもいた
ビルマという国が、いかに多様な民族で形成されているかが、仄見える
教会に行っている子供たちのために、ぬいぐるみや、衣服、お菓子を置いていった
さて次は、廃品回収などをして日銭を稼いでいる子供たちのための、教育施設へ
ちょうど英語の授業中だった.にも関わらず、ちゃんと受け入れて下さった
難民ではなく、働くためにタイへ入ってきたビルマ人の子も含まれる
ビルマには、とにかく仕事がないという
たくましい身体つきの、十代後半の少年たちにも、ジーパンなどを渡す
それぞれ、身体に合うものを探して、着る
年齢の幅は広く、およそ小学校から高校生までといったところだ
全員に、一律に勉強を教えるのは、簡単ではないだろう
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若い先生が二人いた.しかし教員としての給料だけでは食べれず、週末には働く
ビルマの農村からやって来たのだろう
ここでも辻友子さんに、大活躍していただいた
女の子担当は、ほぼ辻友子さんだった
非常に屈強な青年たち.彼らのような少年たちが、場合によっては兵士になるのか
手渡す衣服は豊富にあった
機会があれば、彼らの働く姿も見てみたい
若いのに、しっかりした男の顔をした少年たち.日本ではもうあまりお目にかかれない
彼らは、英語やタイ語ができれば、仕事の範囲も広がる
若い女の先生も、手渡しを手伝ってくれた.映画「24の瞳」に出てくるような、美人の先生だった
笑顔が見れたのは幸いだった
先生が衣服を選ぶ
また文房具も渡した
引き続き、教育施設での支援の様子をごらんください→
☆☆☆
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