ビルマ視察 子供服支援   ページ2

平成19年11月4日


ビルマの一休さんたち。背後に広がるのがビルマです。鉢を持って托鉢をしているのです。小銭をあげると、お経を唱えてくれました。

寺が身寄りのない子供たちを受け入れているという話もききます。立派になって欲しいと思いながら、この間の民主化デモの中心となり、虐殺された多くの若い僧侶たちのことが頭をよぎりました。


金色に輝く仏塔。そのまわりをぐるりと七つの仏像が囲んでいて、生まれた曜日によってお参りする仏さんが違います。

生々しいほどに写実的な仏像で、白い肌に赤い唇をしているのもありました。手に本物の木の枝を抱えていたり、足元に虎の置き物があったりして、それに水を二回、三回と決まった数かけます。

かたわらのパゴタには中国のブッダ、タイのブッダ、ビルマのブッダと、三つの国のブッダがいっぺんに拝める仕組みになっていました。

暗くなるまでにチェンライの宿まで戻らなければならないので、長居はできません。後ろ髪をひかれる思いで、国境まで戻りました。


とつぜんトイレに行きたくなり、どこかの民家で借りようと、タイとビルマを分かつ川沿いの細道を入っていきました。すると、金網で囲まれた、居留地のように見えるインド人の集落がありました。その入り口に座っていた、このあたりの実力者のような風格をもった男性に、トイレを使わせてくれるように頼んだのです。

男性は、9歳くらいの女の子に声をかけ、私たちを家のなかに案内させました。なかは暗く、床の上に布をひいて赤ん坊たちを寝かせてありました。日本の生活水準からすると、最低限の住環境です。奥まった台所のわきの、水びたしの便所で用を足し、ひとまずほっとしました。

※この人にも、みんなで分けて下さいといって、子供服を託しました。おそらくこのあたりの警備をしている人なのでしょう。胸ポケットに警棒が入っています。

じつは、ビルマに来た目的の一つは、必要とする人に、支援物資として子供服を手渡すことでした。

世の中には数えきれないほどの慈善団体があり、それぞれ寄付を募って発展途上国の子供を支援しているといいます。しかしその中でどれだけが、じっさいに現地の人のためになることをやっているでしょうか。

中には、ボランティアしたい人を募集して、高い参加料をとり、莫大な利益をあげながら、施設入所者の子供たちにはインスタントラーメンしか食べさせないような団体も実際に存在します。

※「ありがとう」の思いを込めて、子供服をもらってくれるかどうかきき、了承を得たので、子供たちの背丈に合うものを選んで、手渡しました。

ほんとうの支援活動とは、自分の足で現地に赴き、自分の手で、必要としている人に必要なものを手渡す、それに尽きるのではないでしょうか。

その信念に基づき、微量ながら、子供服をたずさえて来たのでした。とはいえ、高所から施しをするつもりはありません。親切にしてくれた人に、感謝の気持ちとして進呈しようと思っていたのです。


この子たちは、家事をする手を止めて、どこの馬の骨ともわからない私たちに、便所を使わせてくれました。

子供服は、このあたりでは相当高価な部類に入ります。ラーメン一杯が20バーツくらい(約60〜70円)なのに子供服は一着180バーツ以上(約540〜630円)もします。

それに加え、このあたりは温暖なアジアとはいえ山岳地帯にあたり、朝夕はそうとう冷え込むのです。


暖房器具のない彼らは、服で身を暖める他ないのです。子供服を持ってきたことは正解でした。これで少しでも子供たちが寒さをしのげるなら、それ以上のことはないでしょう。また着替えが一着増えることは、洗濯ができるので汚れた服を着続けて感染症にかかりやすくなることを未然に防ぐことにもなります。

テラの会ではこうした実質的な支援活動を、今後も続けていきたいのです。そのためには日本の皆様の支えが必要不可欠です。

支援の方法はこちら⇒


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