長旅では、決して無理な予定は立てない。
必ず、一日を置き、間を置いて行動することにしている。
前回のタイでは、野菜サラダを食べて、当たり、一日寝ていることになった経験がある。それは、消耗が激しく、辛いものだった。吐き気が止まり、下痢だけになったので、病院に行くことはなかったが、24時間、動くことが出来なかった。
ミャンマーに入る前日は、一日、のんびりと過ごすことにした。
と言っても、ホテルを変更しなければならない。
朝、ホテルの豪華な朝食バイキングを食べて、休み、チェックアウトの12時まで、ホテルにいた。
ホテル探しの前に、昨日の旅行会社に向かった。そこで、紹介されるホテルなら、良いホテルを紹介されると思った。
行くと、私たちを待っていたかのように、昨日のオーナーがいた。
あらら、と思った。社員で、良いのに・・・
ホテルの紹介を言うと、オーナーが、一番良いホテルを紹介した。
通常の日本のホテル並みの料金である。
違う、違う、もっと、安いホテルだと言うと、次のレベルに落とすが、まだ、駄目だ。私の和服のせいで、お金があると、勘違いしている。
「もっともっと、安いホテルでいいの」私が言った。日本語で。通じた。
コテージ風のホテル、実に、その会社の向かいの、ゴールデントライアングルインという、一泊800バーツ、二泊で、1600バーツのホテルに決めた。二泊で、約5200円ほどである。朝食付き。
実は、私は、一泊600バーツほどのホテルを望んでいた。約2000円である。
しかし、妥協した。
オーナーが、私たちを連れて、ホテルに向かった。
二階建てのコテージである。私たちの部屋は、二階の角部屋である。道路に面していて、目の前に、ソニーの看板が見える部屋である。
十分だった。
オーナーは、また私に、オマンコと言った。笑って、済ませた。
その日は、タイマッサージの予定である。
一時間200バーツ、約660円のマッサージである。それが、また、凄かった。
アカ族の女マッサージ師である。うまい。マッサージというより、指圧に近い。
日本の一割の料金で、十分なマッサージを受けられる。これが、タイの魅力でもある。
野中は、少しタイ語が出来るので、アカ族の女と親しくなり、色々と、彼女の境遇を聞いた。未婚の子持ちである。息子は、ミャンマーの孤児の施設にいるという。
ミャンマーのアカ族には、古代の乱交の風習があり、誰の子か解らないらしい。
いずれ、息子には、英語を学ばせたいと言う。日本円にして、一月3000円ほどの資金があれば、それが出来るが、その3000円を得ることが出来ないのだ。
その日の、朝食は、ホテルで取ったが、昼食が思い出せない。手帳見ると、夜に和食とあるが、その和食の内容も、思い出せない。矢張り、細かに書いておかなければ、忘れる。
実は、日本から出る前に、私は、鼻風邪を引いていた。それも、強烈なものである。親切に、子供の鼻をかんであげて、その紙で、自分の鼻をかんで、移ったものである。免疫がなく、治りが悪いので、抗生物質を飲んでいた。
引き続き、風邪薬と、抗生物質を飲み続けていた。
夜の食事をして、野中と別れて、私は、ぶらぶらと、小路を歩いた。
小路の端の、オープンな中華料理の店で、緑茶を頼んだ。
禁煙ではないが、灰皿が無い。
オープンだが、店先のイスに座り、タバコに火を点けた。
灰は、ブリキの缶に入れるらしい。いちいち、立ち上がって、その缶に捨てる。
禁煙運動家には、実に、気分の良い、対処である。
タバコを吸うのが、面倒になるのである。
少しして、私は、ホテルに戻る道を歩く。
その辺りは、マッサージの店が多い。妖しい店もある。
わざわざ、レディーマッサージとある。何となく、理解できる。
そこを通ると、マッサージマッサージと、声がかかる。
その時の私は、タイパンツと、Tシャツなので、それほど、強引な誘いはなかった。
ただ、可愛らしい女の子が、じっと、こちらを見ているのに、心が弾かれた。その顔には、悲しみがある。悲哀といってもいい。
抗えない運命の中に身を置くという、風情である。
生きるため。
生きるためにと、考えて、生きるということを、知らない、日本の若者には、理解出来ない風情である。
食うために、男の性の処理を行う。
チェンマイに行くと、チェンライから来たという者が多い。そのチェンライで、更に、田舎から出てきて、働く。
少数部族の女が多い。
マッサージも然り、体で稼ぐしかない。
うまくいけば、レストランのボーイ、ウエイトレス。ホテルの下働きである。
その給与は、一月、3000バーツ程度。約、一万円である。
しかし、生活が出来ない。それと同じ分を、チップに頼るという。
それで、約二万円。
しかし、私は、哀れむことはしない。する必要も無い。
それが、現実である。
私も、日本にて、現実を生きる。
観光旅行なら、私は、来ることも無い。また、そんな余裕は無い。
慰霊と、ボランティアをするための、支援を受けて、旅をしている。
私も、哀れまれる存在である。
悲しい顔をした彼女は、私を悲しい顔をした、男だと、見ていたはずである。
例えば、私が彼女の一時間を買ったとして、私は、彼女に解消して貰う、欲望は無い。
私のマッサージをして貰う歴史は、長い。マッサージを受けるプロである。つまり、余程の力量のある者でなければ、私を満足させられない。オイルマッサージを、何度かしたが、あんなものは、子供だましである。
逆に、後味が悪くて、凝りが出て、具合が悪くなる。
凝りを取り除くという技は、並大抵ではない。
変な整体に、痛みのないソフト整体などという者がいる。あれは、逃げである。凝りを取り除こうとすれば、当然、痛みがある。生殺しのような、整体マッサージを受けて、何度も、具合が悪くなった。二度と、受けない。
どんなマッサージ師、整体師より、私の方が巧い。何せ、マッサージを受け続けて、30年以上のキャリアである。
理屈ではない。
ちなみに、死んだ人間には、凝りというものが無い。
生きている人間にだけ、凝りというものがある。
生きている証拠が、凝りである。
凝りには、その人の、全人生が表現される。
一時的にでも、凝りを取り除くということは、その人を、一時時に、人生から、解放するということである。
その意識無い者が、マッサージなど、出来るはずもない。
更に言う。
性処理のマッサージも、二度としたくないというものが、本当である。
性とは、繰り返しである。
繰り返しから、逃れられない。つまり、性とは、排泄の快感である。糞、小便と同じである。それが、崇高な生殖に繋がると考えるのは、愚かである。
妊娠から、出産に至り、そこから子育てが始まる。そこに、崇高な行為がある。
性行為が、崇高ではない。
子供が出来てからが、本当である。
だから、生み逃げする男などは、最低最悪である。
性処理マッサージは、商売として、堂々としたものである。
毎日、食堂で、食べるように、性処理マッサージで、処理をする。それでいい。それで、生計を立てる者がいる。
経済行為である。
日本も、戦後、女の股で、ドルを稼いだ。
韓国でも、女の股で、外貨を稼いだ。中国もであり、その他、多々ある。
政府は、女に感謝して、余りある。
女の股が、国の経済を立てる。
正統な売春に、異議申し立て出来る者はいない。
正統な売春とは、児童買春以外である。男も、体を売って稼ぐといい。売れればである。
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