木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第六話

 

チェンマイ行きのバスに乗る。

約三時間のバス旅である。最高のバスを選んだ。一人、280バーツである。約900円。

その下が、エアコン付きで、その下が、普通のバスである。

エアコン付きでいいと思ったが、野中が、最高の方が、私のためにいいと言うので、そうした。

確かに、足を伸ばせて、背凭れは、大きく倒すことが出来る。そのまま、眠られる大きさである。

 

大半の客が、外国人である。

変なのは、香港映画が大きな画面で、放映されていることだった。ジャッキーチェーンの映画だった。しかし、それが終わると、静かになったから、良かった。

水のボトルと、クッキーの袋が渡された。サービスである。

出発すると、女性の係員が長い挨拶をする。それが、可笑しくて、声を上げそうになったが、我慢する。

 

さて、チェンライを去るにあたり、少しチェンライのことを書く。

 

13世紀に、ラーンナー・タイ王国の首都であった。

現在、タイ最北の県都としてある。

 

私たちが、空港から街に出た中心部に、時計台があり、改装中だった場所から南側が、ツーリストエリアである。

バスターミナルがあり、ナイトバザールや、デパート、土産物屋、スーパーなどがある。

レストラン、旅行会社、バーなどが、集中している。

 

少し小路に入ると、マッサージの店が多い。

タイマッサージであるが、腕前は、それぞれ。巧い人に当たると、感動ものだ。

先にも書いたが、小数部族出身の女性が多い。

勿論、売春の匂いもある。明らかに、看板に、レディマッサージと謳うものもある。

ただ、大半は、普通のマッサージである。

マッサージ中に交渉して、何とかなる場合もあるのだろう。

 

国境の街、メーサイから車で、戻る時に、温泉に立ち寄ったことを書いた。

その温泉の後で、道端に、果物を売る店が立ち並ぶ地域がある。

バナナ、パイナップル等である。

 

野中が、車を止めた。

オーナーが、言った言葉で、食べようと思ったのだ。

チェンライは、タイで、一番が三つあると言う。

一つは、米である。

そして、パイナップルと、ライチである。ライチを、私は知らない。

 

疲れている私は、何だと、少し苛ついた。早くホテルに戻りたいのにと。

皆、車から降りるので、私も降りた。

野中が、パイナップルを買った。

すると、その場で、皮を切り取り、果肉のみにしてくれる。

その間に、味見用も、出してくれた。

それの、旨いことといったらない。甘くて、何ともよい歯ごたえと、舌ざわりである。

思わず、うまーい、と大声で言った。

 

皆、うまい、うまいと、食べた。

運転の少年が、四つ買っていた。

余程安いとみえて、100バーツで、お釣りが出た。一つ20バーツとしても、70円程である。

 

これを書いていて、思い出したことがある。

夜の食事が、思い出せなかったが、和食を食べたことである。

 

ミャンマーのタチレクから戻って、疲れていたので、和食にしようと、日本レストランに入ったのだ。

レストランと言っても、普通の店である。

そこで、私は、天ぷらそばを、注文して、驚いた。

 

どんぶりに、そばがあり、てんぷらが、別の皿で出てきた。

天ざるの、温かいバージョンである。

驚いた。その量である。

一つ一つを、そばのどんぶりに入れて食べた。

腹一杯になった。

誰が教えたのか、随分な量で、天ぷらそばというより、そば天ぷらと言う感じだった。

野菜が多かった。エビもあった。三本ほどである。

 

北海道弁では、たまげた、と言う。

ホント、たまげた。

 

その後の胃のもたれに、胃腸薬を飲んだのだった。

記憶というのは、それに関連することから、呼び起こされる。食べ物は、食べ物によって、呼び起こされる。

 

パイナップルは、ホテルに着いてから、また、ゆっくりと、味わって食べた。

矢張り、旨いのである。

それで、思い出したのは、バリ島のパイナップルジュースである。

最初にバリ島に出掛けた時、朝食で、最後に、パイナップルジュースを飲んだ。あまりの美味しさに、何度か、お代わりして、たらふく飲んで、とんでもないほど、腹をふくらませてしまったのである。

 

それから、暫く、パイナップルジュースを飲まなかった記憶がある。

何事も、程々ということだが、ハメを外してしまうこともある。特に、飲む食べることに関しては、そうだ。

 

貧乏に生まれたせいか、ホテルのバイキングの朝食は、あれもこれもと、食べ過ぎる。

結局、食べ過ぎて、後悔する。

ただ、私の場合は、最初は、少しだけ取り、また、少し取りとしているうちに、結果、大量になっているということだ。

最初から、多めに取れば、それで十分なのだろうが、取り方が、怪しいのである。分量が解らなくなる。

 

チェンライの街を観光することはなかったが、一つだけ、野中と、お寺に入った。

最初のホテル近くにある、ワット・チェットヨートという、お寺である。

 

私が最初に入った。

玄関にいたおじいさんに、土足で上がるなと、言われた。勿論、言葉は、解らないが、伝わった。

野中が後から来た。

 

最初に、私は、合掌して、黙祷したが、般若心経を唱えることにした。

最後の言葉のみ、原語の梵語、サンスクリット語で唱えた。

 

タイのお寺は、どことなく、乱雑な感じがしていた。雑然としているのである。

厳かというより、気楽さである。

これが、伝統なのである。

 

小乗仏教が伝わり、タイという国に、自然に同化した。実は、タイの仏教は、宗教ではない。伝統なのだ。

国民の九割が仏教徒だからということではない。

タイ族の人に、自然に受け入れられたと言う方が当たっている。

仏陀の慈悲の思想が、すんなりと入ったのである。

 

そして、仏像である。

姿から、その微笑まで、日本の仏像とは、違う。

 

伝統であるところの、仏教というものを、宗教として、認識すれば、誤る。

それでは、キリスト教や、イスラム教の場合は、どうかと言えば、伝統にならず、宗教になるのである。

それは、教えによる。

神に成るということは、出来ない教えと、仏に成ることが出来る教えとでは、まるで違う。

神という、対立したものを置くものと、仏という、我が内にあるものを観る教えとでは、全く違う。

 

一神教でも、人間は神の子であると言うが、便宜上の言葉である。人間は、神には、成れないのである。

一神教の最大の矛盾は、神という、超越したものを、理解するということである。同じものでなければ、理解出来ないのである。

つまり、完全無欠、全知全能という神を、人間は、理解出来ない。理解不能なものを、信じるということは、嘘である。

 

仏陀が、生き方を説いたというと、一神教の人は、それは道徳のようなものであり、宗教ではないという。その通りで、仏陀は、宗教を起こしたのではない。生き方を、説いたもので、宗教ではない。

宗教という、概念は無い。

宗教という概念を置いた、キリスト教、イスラム教とは、意を異にする。

ただし、仏教を宗教として捉える仏教がある。日本の仏教である。その観念を持って信仰するという。観念を信仰するというのである。

違う。これについては、更に、後で語ることにする。