チェンマイ行きのバスに乗る。
約三時間のバス旅である。最高のバスを選んだ。一人、280バーツである。約900円。
その下が、エアコン付きで、その下が、普通のバスである。
エアコン付きでいいと思ったが、野中が、最高の方が、私のためにいいと言うので、そうした。
確かに、足を伸ばせて、背凭れは、大きく倒すことが出来る。そのまま、眠られる大きさである。
大半の客が、外国人である。
変なのは、香港映画が大きな画面で、放映されていることだった。ジャッキーチェーンの映画だった。しかし、それが終わると、静かになったから、良かった。
水のボトルと、クッキーの袋が渡された。サービスである。
出発すると、女性の係員が長い挨拶をする。それが、可笑しくて、声を上げそうになったが、我慢する。
さて、チェンライを去るにあたり、少しチェンライのことを書く。
13世紀に、ラーンナー・タイ王国の首都であった。
現在、タイ最北の県都としてある。
私たちが、空港から街に出た中心部に、時計台があり、改装中だった場所から南側が、ツーリストエリアである。
バスターミナルがあり、ナイトバザールや、デパート、土産物屋、スーパーなどがある。
レストラン、旅行会社、バーなどが、集中している。
少し小路に入ると、マッサージの店が多い。
タイマッサージであるが、腕前は、それぞれ。巧い人に当たると、感動ものだ。
先にも書いたが、小数部族出身の女性が多い。
勿論、売春の匂いもある。明らかに、看板に、レディマッサージと謳うものもある。
ただ、大半は、普通のマッサージである。
マッサージ中に交渉して、何とかなる場合もあるのだろう。
国境の街、メーサイから車で、戻る時に、温泉に立ち寄ったことを書いた。
その温泉の後で、道端に、果物を売る店が立ち並ぶ地域がある。
バナナ、パイナップル等である。
野中が、車を止めた。
オーナーが、言った言葉で、食べようと思ったのだ。
チェンライは、タイで、一番が三つあると言う。
一つは、米である。
そして、パイナップルと、ライチである。ライチを、私は知らない。
疲れている私は、何だと、少し苛ついた。早くホテルに戻りたいのにと。
皆、車から降りるので、私も降りた。
野中が、パイナップルを買った。
すると、その場で、皮を切り取り、果肉のみにしてくれる。
その間に、味見用も、出してくれた。
それの、旨いことといったらない。甘くて、何ともよい歯ごたえと、舌ざわりである。
思わず、うまーい、と大声で言った。
皆、うまい、うまいと、食べた。
運転の少年が、四つ買っていた。
余程安いとみえて、100バーツで、お釣りが出た。一つ20バーツとしても、70円程である。
これを書いていて、思い出したことがある。
夜の食事が、思い出せなかったが、和食を食べたことである。
ミャンマーのタチレクから戻って、疲れていたので、和食にしようと、日本レストランに入ったのだ。
レストランと言っても、普通の店である。
そこで、私は、天ぷらそばを、注文して、驚いた。
どんぶりに、そばがあり、てんぷらが、別の皿で出てきた。
天ざるの、温かいバージョンである。
驚いた。その量である。
一つ一つを、そばのどんぶりに入れて食べた。
腹一杯になった。
誰が教えたのか、随分な量で、天ぷらそばというより、そば天ぷらと言う感じだった。
野菜が多かった。エビもあった。三本ほどである。
北海道弁では、たまげた、と言う。
ホント、たまげた。
その後の胃のもたれに、胃腸薬を飲んだのだった。
記憶というのは、それに関連することから、呼び起こされる。食べ物は、食べ物によって、呼び起こされる。
パイナップルは、ホテルに着いてから、また、ゆっくりと、味わって食べた。
矢張り、旨いのである。
それで、思い出したのは、バリ島のパイナップルジュースである。
最初にバリ島に出掛けた時、朝食で、最後に、パイナップルジュースを飲んだ。あまりの美味しさに、何度か、お代わりして、たらふく飲んで、とんでもないほど、腹をふくらませてしまったのである。
それから、暫く、パイナップルジュースを飲まなかった記憶がある。
何事も、程々ということだが、ハメを外してしまうこともある。特に、飲む食べることに関しては、そうだ。
貧乏に生まれたせいか、ホテルのバイキングの朝食は、あれもこれもと、食べ過ぎる。
結局、食べ過ぎて、後悔する。
ただ、私の場合は、最初は、少しだけ取り、また、少し取りとしているうちに、結果、大量になっているということだ。
最初から、多めに取れば、それで十分なのだろうが、取り方が、怪しいのである。分量が解らなくなる。
チェンライの街を観光することはなかったが、一つだけ、野中と、お寺に入った。
最初のホテル近くにある、ワット・チェットヨートという、お寺である。
私が最初に入った。
玄関にいたおじいさんに、土足で上がるなと、言われた。勿論、言葉は、解らないが、伝わった。
野中が後から来た。
最初に、私は、合掌して、黙祷したが、般若心経を唱えることにした。
最後の言葉のみ、原語の梵語、サンスクリット語で唱えた。
タイのお寺は、どことなく、乱雑な感じがしていた。雑然としているのである。
厳かというより、気楽さである。
これが、伝統なのである。
小乗仏教が伝わり、タイという国に、自然に同化した。実は、タイの仏教は、宗教ではない。伝統なのだ。
国民の九割が仏教徒だからということではない。
タイ族の人に、自然に受け入れられたと言う方が当たっている。
仏陀の慈悲の思想が、すんなりと入ったのである。
そして、仏像である。
姿から、その微笑まで、日本の仏像とは、違う。
伝統であるところの、仏教というものを、宗教として、認識すれば、誤る。
それでは、キリスト教や、イスラム教の場合は、どうかと言えば、伝統にならず、宗教になるのである。
それは、教えによる。
神に成るということは、出来ない教えと、仏に成ることが出来る教えとでは、まるで違う。
神という、対立したものを置くものと、仏という、我が内にあるものを観る教えとでは、全く違う。
一神教でも、人間は神の子であると言うが、便宜上の言葉である。人間は、神には、成れないのである。
一神教の最大の矛盾は、神という、超越したものを、理解するということである。同じものでなければ、理解出来ないのである。
つまり、完全無欠、全知全能という神を、人間は、理解出来ない。理解不能なものを、信じるということは、嘘である。
仏陀が、生き方を説いたというと、一神教の人は、それは道徳のようなものであり、宗教ではないという。その通りで、仏陀は、宗教を起こしたのではない。生き方を、説いたもので、宗教ではない。
宗教という、概念は無い。
宗教という概念を置いた、キリスト教、イスラム教とは、意を異にする。
ただし、仏教を宗教として捉える仏教がある。日本の仏教である。その観念を持って信仰するという。観念を信仰するというのである。
違う。これについては、更に、後で語ることにする。
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