木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第七話

チェンマイ郊外に来て、私は目を開けた。

眠っていた。

 

街というものにも、波動がある。生きている。動いている。

チェンマイの活気が感じられる。

ああっ、懐かしい。一年前の風景が広がる。

 

どの辺りなのかが、解る。

バスの車掌が、紙タオルを配った。そして、また、挨拶である。

どうも、可笑しい。それがまた、長いのである。

ありがとうございました、だけではなく、時候の挨拶でもしているのだろうか。

笑いそうになるが、堪える。

 

タイ語は、何となく、柔らかな感じがする。

ほんにゃら、ほんにゃら、と、私には、聞こえる。それがまた、いい。

挨拶が、ほんにゃら、だから、可笑しい、楽しい。

 

最後の、コープクンカーという、感謝の言葉のみ、理解した。

最後に、カーとは、女性の語尾で、カップと言えば、男の語尾になる。

間違って、カーと言うと、女性、特に年配の女性に、正される。

男は、カップだよって。

夜に、カーと言えば、間違いなく、ゲイになるのだろう。

 

バス停に到着すると、大混乱である。

タクシーから、トゥクトゥクから、ソンテウという、乗り合い車である。ソンテウは、タクシーのように使用することも多い。

野中が、ソンテウを捕まえた。

 

それに乗り込み、行き場所は、私が言う。

ターペー門。モントリーホテル。日本語である。

だが、ターペー門は、チェンマイの中心部である。旧市街と、新市街の境目である。ターペーと言えば、必ず解る。

 

自慢じゃないが、私の英語は、大半がタイ人に通じないのである。

前回の時に、エアポートが通じず、何度言っても駄目で、結局、野中に言わせた。

発音と、抑揚が違うのである。

ェァポートのようになる。

エ・ア・ポー・ト、では通じない。

 

モントリーホテルは、勿論、予約していない。

行けば、何とかなるのである。

また、その辺りは、ゲストハウス等々、無数にある。泊まれないということはない。だから、安心して、モントリーと言う。

 

そのモントリーホテルに到着した。

ボーイが、お待ちしていましたという風情で、出迎える。

 

二人、あっ、ツインルーム。

スリーデー。三泊と言っている。

部屋は、空いていた。料金は、一泊750バーツである。安い。二人で、2300円程度である。

定価は、900バーツである。暇だと、安くなる。暇なのだ。

 

野中に言わせればいいものを、黙っていられないのだ。

書き込みも、私がする。

全部、大文字で書く。

これっ、何。

仕事だよと、野中が言う。そこだけ、面倒で、デザイナーと、カタカナで書いた。

オッケーである。

 

ボーイが、荷物を運ぶ。

前回も、最初は、このホテルだった。ただし、知った顔がいないのが、残念。

キティーちゃんのカードを出して、得意になるが、前回は、皆にワーッと言われたが、今回は、誰も言わないので、キティーちゃんと、言うが、反応なし。

野中は、無視している。

 

クレジットカードの、キティーちゃんが、何となく情けなく思えた瞬間である。

 

部屋は四階。

眺めは、ホテルの裏側である。だから、旧市街が見える。

目の前は、お寺である。

宿が決まれば、安心する。

時間は、夕方四時過ぎである。

 

荷物を解き、色々と、着替えを出して、整理する。

これから、暫くチェンマイ滞在である。

明日一日は、のんびりする予定。落ち着くと、今夜の食事である。

疲れたから、和食にしようと言うと、野中も、いいと言う。

 

バリ島もそうだが、チェンマイも、和食の店が、竹の子のように出来ている。あまりに多いので、競争が大変だろうと思う。

後で聞くところ、矢張り、消滅する店も多いと言う。

 

六時を過ぎたので、食事に出る。

ホテルの道沿いにある、和食の店に出掛ける。

その間に、市場がある。その、表の棚に並べられた物を見て、驚くのが好きだ。

鳥の頭の空揚げとか、ゴキブリの空揚げとか。見て、驚く。その繰り返し。

怖いもの見たさで、見る。

 

和食の店に入り、ビールを一本注文する。

だが、この日から、私は酒を飲まなかった。

不思議だった。全く飲まなくても、いいのだ。

飲みたくないのだ。翌日の、バーでも、水割りを貰ったが、全然飲みたくない。ただ、口をつけるだけ。

 

日本では、毎日、日本酒を飲む。癖である。

場所が変われば、飲まずともよいのだ。

 

焼きシャケと、寿司を頼む。

野中も、寿司セットである。

味は、期待しない。ただ、それらしきものを、食べるという満足感である。

疲れた時は、タイの食べ物が、負担になるのだ。ストレスになるのか。

 

腹七部程度で、済んだ。

後は、部屋で、のんびりして、寝るだけである。

野中は、夜中が忙しい。友人たちが、待っている。皆、夜の商売をしている。中でも、レディーボーイたちである。前回に、多くのボーイと知り合いになっていた。それに、七月、八月と、二ヶ月、タイ語を学ぶために滞在していて、親友も出来た。

 

私が寝る頃に、出掛けて行った。

部屋の扉は、少し開けたままである。これは、海外では、絶対に駄目である。危険が危ないのである。要するに、危険大である。

ところが、このホテルは、安いホテルであり、金持ちが泊まらないと、相場が決まっている。ドロボーさんも、損な場所である。ということで、少し扉を開けて、寝た。

野中がキーを持って出ればいいのだが、互いにそれが、癖になっていた。

しかし、海外では、決してしない方がいい。

 

どんなに安全でも、フロントのセーフティボックスに、貴重品を預けるのである。部屋の合鍵を、従業員の誰かが、持っているのである。誰が入るか、知れない。

前回は、私も、セーフティボックスに物を預けた。

 

ホテル側でも、警備員を配置して、深夜の巡回がある。

一度、深夜、部屋の扉を開けて、タバコをふかしていた。警備員が通る。不審そうに、部屋を覗く。当たり前である。そんなことを、する者はいない。

 

警備員は、考えたはずである。何故かと。この日本人は、空手をするのだ。だから、扉を平気で開けていると。いや、この日本人は、柔道をするからだ。色々と、考えて、通ったはずである。

 

タイでは、相撲が人気だ。丁度、私が出掛けた時、バンコクでは、世界の相撲大会が開催されていた。

この日本人は、相撲をするのだ。そう考えたのかも、しれない。

そんなことを、考えているうちに、眠たくなって寝た。

 

不思議なもので、野中が戻ると、目覚める。

確認して、また、眠るのである。

 

人間には、意識下の意識がある。もう一人の意識である。

これが、曲者である。

必ず、野中が戻ると、目覚めるのだ。そして、確認する。

もう一人の意識を、幽体と呼ぶ場合もある。幽体が、感得して、肉体に教えるという、言い方が出来る。

しかし、あまり真剣に考えることはない。自然の力である。元からあった、力である。