チェンマイ郊外に来て、私は目を開けた。
眠っていた。
街というものにも、波動がある。生きている。動いている。
チェンマイの活気が感じられる。
ああっ、懐かしい。一年前の風景が広がる。
どの辺りなのかが、解る。
バスの車掌が、紙タオルを配った。そして、また、挨拶である。
どうも、可笑しい。それがまた、長いのである。
ありがとうございました、だけではなく、時候の挨拶でもしているのだろうか。
笑いそうになるが、堪える。
タイ語は、何となく、柔らかな感じがする。
ほんにゃら、ほんにゃら、と、私には、聞こえる。それがまた、いい。
挨拶が、ほんにゃら、だから、可笑しい、楽しい。
最後の、コープクンカーという、感謝の言葉のみ、理解した。
最後に、カーとは、女性の語尾で、カップと言えば、男の語尾になる。
間違って、カーと言うと、女性、特に年配の女性に、正される。
男は、カップだよって。
夜に、カーと言えば、間違いなく、ゲイになるのだろう。
バス停に到着すると、大混乱である。
タクシーから、トゥクトゥクから、ソンテウという、乗り合い車である。ソンテウは、タクシーのように使用することも多い。
野中が、ソンテウを捕まえた。
それに乗り込み、行き場所は、私が言う。
ターペー門。モントリーホテル。日本語である。
だが、ターペー門は、チェンマイの中心部である。旧市街と、新市街の境目である。ターペーと言えば、必ず解る。
自慢じゃないが、私の英語は、大半がタイ人に通じないのである。
前回の時に、エアポートが通じず、何度言っても駄目で、結局、野中に言わせた。
発音と、抑揚が違うのである。
ェァポートのようになる。
エ・ア・ポー・ト、では通じない。
モントリーホテルは、勿論、予約していない。
行けば、何とかなるのである。
また、その辺りは、ゲストハウス等々、無数にある。泊まれないということはない。だから、安心して、モントリーと言う。
そのモントリーホテルに到着した。
ボーイが、お待ちしていましたという風情で、出迎える。
二人、あっ、ツインルーム。
スリーデー。三泊と言っている。
部屋は、空いていた。料金は、一泊750バーツである。安い。二人で、2300円程度である。
定価は、900バーツである。暇だと、安くなる。暇なのだ。
野中に言わせればいいものを、黙っていられないのだ。
書き込みも、私がする。
全部、大文字で書く。
これっ、何。
仕事だよと、野中が言う。そこだけ、面倒で、デザイナーと、カタカナで書いた。
オッケーである。
ボーイが、荷物を運ぶ。
前回も、最初は、このホテルだった。ただし、知った顔がいないのが、残念。
キティーちゃんのカードを出して、得意になるが、前回は、皆にワーッと言われたが、今回は、誰も言わないので、キティーちゃんと、言うが、反応なし。
野中は、無視している。
クレジットカードの、キティーちゃんが、何となく情けなく思えた瞬間である。
部屋は四階。
眺めは、ホテルの裏側である。だから、旧市街が見える。
目の前は、お寺である。
宿が決まれば、安心する。
時間は、夕方四時過ぎである。
荷物を解き、色々と、着替えを出して、整理する。
これから、暫くチェンマイ滞在である。
明日一日は、のんびりする予定。落ち着くと、今夜の食事である。
疲れたから、和食にしようと言うと、野中も、いいと言う。
バリ島もそうだが、チェンマイも、和食の店が、竹の子のように出来ている。あまりに多いので、競争が大変だろうと思う。
後で聞くところ、矢張り、消滅する店も多いと言う。
六時を過ぎたので、食事に出る。
ホテルの道沿いにある、和食の店に出掛ける。
その間に、市場がある。その、表の棚に並べられた物を見て、驚くのが好きだ。
鳥の頭の空揚げとか、ゴキブリの空揚げとか。見て、驚く。その繰り返し。
怖いもの見たさで、見る。
和食の店に入り、ビールを一本注文する。
だが、この日から、私は酒を飲まなかった。
不思議だった。全く飲まなくても、いいのだ。
飲みたくないのだ。翌日の、バーでも、水割りを貰ったが、全然飲みたくない。ただ、口をつけるだけ。
日本では、毎日、日本酒を飲む。癖である。
場所が変われば、飲まずともよいのだ。
焼きシャケと、寿司を頼む。
野中も、寿司セットである。
味は、期待しない。ただ、それらしきものを、食べるという満足感である。
疲れた時は、タイの食べ物が、負担になるのだ。ストレスになるのか。
腹七部程度で、済んだ。
後は、部屋で、のんびりして、寝るだけである。
野中は、夜中が忙しい。友人たちが、待っている。皆、夜の商売をしている。中でも、レディーボーイたちである。前回に、多くのボーイと知り合いになっていた。それに、七月、八月と、二ヶ月、タイ語を学ぶために滞在していて、親友も出来た。
私が寝る頃に、出掛けて行った。
部屋の扉は、少し開けたままである。これは、海外では、絶対に駄目である。危険が危ないのである。要するに、危険大である。
ところが、このホテルは、安いホテルであり、金持ちが泊まらないと、相場が決まっている。ドロボーさんも、損な場所である。ということで、少し扉を開けて、寝た。
野中がキーを持って出ればいいのだが、互いにそれが、癖になっていた。
しかし、海外では、決してしない方がいい。
どんなに安全でも、フロントのセーフティボックスに、貴重品を預けるのである。部屋の合鍵を、従業員の誰かが、持っているのである。誰が入るか、知れない。
前回は、私も、セーフティボックスに物を預けた。
ホテル側でも、警備員を配置して、深夜の巡回がある。
一度、深夜、部屋の扉を開けて、タバコをふかしていた。警備員が通る。不審そうに、部屋を覗く。当たり前である。そんなことを、する者はいない。
警備員は、考えたはずである。何故かと。この日本人は、空手をするのだ。だから、扉を平気で開けていると。いや、この日本人は、柔道をするからだ。色々と、考えて、通ったはずである。
タイでは、相撲が人気だ。丁度、私が出掛けた時、バンコクでは、世界の相撲大会が開催されていた。
この日本人は、相撲をするのだ。そう考えたのかも、しれない。
そんなことを、考えているうちに、眠たくなって寝た。
不思議なもので、野中が戻ると、目覚める。
確認して、また、眠るのである。
人間には、意識下の意識がある。もう一人の意識である。
これが、曲者である。
必ず、野中が戻ると、目覚めるのだ。そして、確認する。
もう一人の意識を、幽体と呼ぶ場合もある。幽体が、感得して、肉体に教えるという、言い方が出来る。
しかし、あまり真剣に考えることはない。自然の力である。元からあった、力である。
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