慧燈財団の、チェンマイ事務所、事務局長小西誠さんが、ホテルまで、迎えに来てくれた。
丁度、午後二時である。
すぐに、車に乗り込み、チェンマイの郊外を目指した。
バンカート村は、約一時間程かかる。が、車がスムーズに進み、早く到着した。
学校の敷地にあるので、校門を入る。
学生が、帰り道を、歩いていた。
小西さんは、昨年まで、そこで日本語の先生をしていたのである。
財団派遣の先生であった。
小西さんは、顔見知りの学生に、車の窓から顔を出して、挨拶する。
私たちも、挨拶した。
車は、慰霊碑の場所に、向かった。
校舎を通り、そこを越えて行く。
全く、学校の中である。
車を降りた時、曇り空に、太陽が照った。
慰霊碑の前に行く。
立派な慰霊碑である。
私は、早速、準備をした。といっても、木の枝を少し取り、それに、用意していた、御幣のための、大麻、つまり、紙を用意していた。
おおあさ、大麻と書く。おおあさには、穢れを取り除く力があるとされ、祓いのために、利用された。
それを、木の枝に、取り付けて、完成である。簡単である。
祭壇の前に、花籠と、果物を奉じて、準備が整う。
小西さんが、井戸の上の蓋を開けて、中を見てくださいと、言う。
私と野中が、階段を上り、慰霊碑の上の、蓋を開けて、中を見た。
水が見える。
この下に、500柱の遺骨があると思うと、体が、打ち震えた。
ただ、無臭であり、遺骨が眠るとは思えない、清浄な空気、風である。
創立者の調さんという方は、浄土真宗の僧侶である。当然、読経し、渾身の慰霊を行ったのであろう。
清められていた。
私は、古神道に、則り、清め祓いのために、祝詞を献上することにした。
追悼慰霊の行為である。
石畳に正座して、皇祖皇宗、総称して、天照大神を、お呼びし、続いて、天津神、国津神、そして、その地を治める、産土の神の降臨を願う。
更に、八百万の神、祓い戸の神々の降臨を願う。
ここで、慰霊についてを言う。
生きている者の、満足感を満たすものではない。
私が、追悼慰霊をしたという、満足感を満たすものではないということである。
霊の存在を知る者、その心を透かして、見抜かれると、知る者である。
単なる追悼なのか、慰霊なのかを、見破られる。それは、不遜になる場合もある。
誠心誠意を尽くして、慰霊を行うのであり、自己満足の行為ではない。
故に、私は、語り掛けた。
靖国に、戻られたい方は、靖国に、故郷の地に戻られたい方は、故郷に、次元を別にしたい方は、次元を別にしていただくようにと、宣り言を申し上げた。
私のためではない。
霊的存在になった、皆様のためにである。
強制して、天国へなどとは、言わない。
誰もが、道順というものがある。
百人百様の、道順がある。
また、古神道の形で、神道への誘いではない。
それぞれの、求める、宗派の想いがあるならば、そちらの方である。
祝詞は、言霊のものであり、更に、音霊のものである。
その、音に乗り、それぞれの思いの、道順を行かれるべきである。
前半の祝詞を正座のままで、そして、後半の祝詞を、立ち上がり、献上した。
宗教としての、神道の形式ではない。
無形式の、伝統である、言霊の、力を頼む祝詞である。
朝風夕風の吹き払う如く
祓い給え清め給えと申す
その、祝り詞の、言霊の音によって、霊的存在が、流れるのである。
その際に、多くの心霊、神霊が、動く。
最早、私の力以外の力が働く。
神も祈られて神である。
更に、御幣を持ち、太陽に差し向けて、太陽の霊気を頂き、清め給え、祓い給えと申す。
辺り一体を、清め祓う。
私の力ではない。
私は、道具になる。
それが終わり、私は、再び正座して、口から出る言葉に任せた。
最初に、念仏が出る。暫くの念仏である。
そして、次に、題目が出る。暫くの題目である。
そして、般若心経になる。
求められるままに、唱える。
30分程の時間を要しての、慰霊の行為であった。
実際、古神道には、祈りの言葉は無い。
黙祷のみある。
言挙げするものは、善き言葉だけである。
実際、最後は、ただ、おーーーと、お送りする言霊、音霊のみになる。
日本語は、一音に意味がある。ただ、それを行うだけでいい。
古神道にも、様々な考え方がある。しかし、私は、宗教という認識は無く、また、行者のような考え方も無い。勿論、人それぞれの方法があってよい。否定はしない。
ここで、私が宗教家のように、考えられては、誤るのである。
私は、日本の伝統に添って、行っている。つまり、誰もが、実践出来た時代の様である。持ち回りで、誰もが、祈りの主になれた、古代の伝えを行為しているのである。
特別な霊的能力があるとか、宗教の形にあるというものではないこと、再三言う。
私でなければ出来ないということは、一点も無いのである。
誰もが、行うことが出来るものである。
宗教的論争はしないのである。
古神道は、宗教では無い。
次に、私たちは、梵鐘に向かった。
鐘楼に上がり、未だ遺骨の発見されない兵士の霊位に、心を込めて、その音を響かせた。
これも、音である。
原始体験にある、音の威力を知るものである。
音は、波動である。霊は、波動に乗り、流れる。
これ以上は、省略する。
語り切れない。
追悼慰霊が終わり、学校の事務室に行き、子供たちのプレゼントである、ノートと、ボールペンを先生たちに、手渡した。
いつも、慰霊碑を清掃してくれる生徒たちへの、お礼である。
次に、学校の体育館にて、コンサートを開催する約束をした。
これから、縁ある活動を願いつつ、学校を後にした。
ホテルに戻ったのは、五時を過ぎていた。
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