木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第一九話

 

帰国の日である。

ホテルは、12時にチェックアウトする。

バンコクへの飛行機は、夕方の六時半である。

大分、時間がある。

 

だが、私が野中に言った。

早めに、空港に行こう。チェックアウトしたら、そのまま、空港に行く。

 

それが、よかった。

空港に着く。

早い飛行機があれば、それに変更する旨、カウンターに言う。

ところが、空きが無い。そして、驚いたことに、六時半の飛行機が、九時になっていた。つまり、それでは、日本行きの飛行機に、乗れないということである。

 

それからが、大変だった。

別の航空会社に掛け合う。しかし、全滅。結局、一時間待つことになった。

どうなるか、解らないが、兎に角、良い方法を考えると、エアーアジアのカウンターの者が言う。

 

こういうことが、多々あるという。

もし、そのまま、六時半の飛行機に乗ると、行動していたら、日本行きの飛行機に乗ることが、出来なかったのだ。

 

結局、私と、野中と、別々の航空会社の飛行機に乗ることになった。

私が、最初で、その一時間後の、別の航空会社の飛行機に、野中が乗る。

 

何とも、慌しいことだった。

 

私が、飛行機に乗り込み、座席に座り、飛び立つのを待つ。

すると、最後に、野中が、乗ってきた。

一人分の席が空いたというのだ。

 

驚いて、焦り、心配して、落ち着き、そして、目出度し目出度しと、なった。

だが、これは、うまくいったケースである。

うまく、いかない場合もある。

 

どうなるか解らないという状態は、実に、心身に悪い。

動揺を無視するように、飛行機が、飛び立つ。

 

一時間後にバンコクに着いて、少し、落ち着く。

時間は、四時を過ぎていた。

日本行きは、夜の、10時50分である。

大分、時間がある。

 

まず、食事をした。

タイで、最後の食事である。

勿論、タイの料理を選んだ。タイ風ラーメンである。

 

そして、出国手続きである。

その当たりになると、随分と、余裕が出てくる。

すんなりと、問題なく、出国手続きを終えて、搭乗ゲートの中に入った。

後は、乗るだけである。

 

免税店の並ぶ、空港内をゆっくりと、歩く。

目に付いた幟がある。

ラーメン、餃子である。そして、何と、寿司屋の看板だ。

まさか、日本に戻るのに、食べる人はいないだろうと思うが、いるのである。

日本に帰るから、なお更、食べたくなる心境は、解るが、日本に着いてから食べた方が、はるかに、旨いはずである。

人の食べている物を、覗いて、そう思った。

 

それに、値段が高い。

日本円にすると、寿司一つが、300円前後である。

空港内は、高いと、解っても、矢張り、高いのである。

 

私たちは、飛行機の中でも、食事が出るので、食べなかった。

それは正解だった。

飛び立って、少し寝ると、食事が出た。

 

私は、眠気が襲い、実は、途中から、何を食べたのか、覚えていない。

気づいた時は、眠っていた。

更に、気づいた時は、飛行機が着陸態勢に、入っていた。

あっという間の、時間である。寝ていたからだ。

飛行機は、眠るに限る。

 

着陸した時、安堵と、ある不思議な感覚になった。

すぐに、タイに引き戻したい気分である。

日本で、行動するというこが、不安になった。

また、あの緊張感があるのかと思うと、佇むのである。

 

入国審査も、問題なく、スムーズに終った。

そして、世の中に戻った。日本に戻った。

旅といっても、所詮は、日本脱出である。脱日常であり、脱、世の中である。

タイでは、世の中ではなく、別の世界である。

 

世の中というのは、八方に、私という、存在が広がっているということだ。日本では、八方に存在が広がる。

私は、木村天山になるのだ。

タイでは、テンだった。

テン・ジャパンと言っていた。

 

日本時間では、朝の七時頃になる。

横浜行きのバスに乗る。

そのまま、眠る。

乗り物の疲れは、また格別で、寝るしかない。

 

夏の着物のままだったが、それ程の寒さがない。

というより、感覚が麻痺しているのかもしれない。自律神経が、狂うのだ。寒いが暑い、暑いが、寒いという。更年期障害に出る症状に似る。

 

兎に角、部屋に着いた。

まず最初に、米を研いだ。米が食べたい。日本米が食べたい。

そして、魚である。タイでは、一度だけしか、魚を食べていない。市場で買ったものだけである。

冷凍庫から、カレイを取り出して、解凍する。

荷物は、そのままである。

眠気が襲うが、今寝ると、昼夜逆転する恐れあり、我慢した。

 

やることが、沢山ある。

慧燈財団へのお礼状である。日本では、NPO慧燈である。

そして、小西さんへの、お礼状である。

こういうことは、すぐやらなければならない。

ところが、メールを開けると、小西さんから、すでに、メールが入っていた。

さすがである。

 

それにしても、迷惑メールの多さである。あまりの多さに、愕然とした。

500通ほどある。

こういう、どうでもいいものの、処理に、毎日時間を使うと思うと、呆然とする。

どうでも、いいことを、出来るだけ無視するが、矢張り、どうでもいいものが、多い。

 

郵便物の整理をする。

どうでもいいものもあるが、大切なものもある。慎重に、捌く。

次第に、日本のテンポを取り戻す。

だが、半月後には、バリ島である。

この、新しい感覚に慣れるしかない。

一月には、ミクロネシアのトラック諸島に慰霊に行く。

それから、暫く、日本にいようと思う。支援は、日本の皆様から頂くのである。

チラシや、通信、手紙を書くことである。

あくまでも、私の個人的活動であるから、対面式の案内を目指す。

大枚なお金を使い、広告告知して、寄付を募る組織などは、作らない。実に、可笑しい話である。寄付を募るための、広告告知は、膨大なお金が必要であろうと。

 

ある巨大新興宗教のトップが、平然と言う。

組織を作ることが先決だった。兎に角、組織の力が必要であると。

世界190カ国に延びているという。おかしい。組織力を持っての布教が、いかに誤りであるかは、キリスト教を見れば解る。しかし、ローマカトリックを目指しているのであろう。世界に威力ある、法王を目指しているのである。

こういう、野心は、宗教というものの、定義があるのだ。つまり、詐欺集団である。

信じる者は、騙され続けてきた。

そして、これからも、信じる者は、騙され続ける。

宗教法人とは、合法的な、詐欺を許すのである。

人間とは、愚かな者である。