帰国の日である。
ホテルは、12時にチェックアウトする。
バンコクへの飛行機は、夕方の六時半である。
大分、時間がある。
だが、私が野中に言った。
早めに、空港に行こう。チェックアウトしたら、そのまま、空港に行く。
それが、よかった。
空港に着く。
早い飛行機があれば、それに変更する旨、カウンターに言う。
ところが、空きが無い。そして、驚いたことに、六時半の飛行機が、九時になっていた。つまり、それでは、日本行きの飛行機に、乗れないということである。
それからが、大変だった。
別の航空会社に掛け合う。しかし、全滅。結局、一時間待つことになった。
どうなるか、解らないが、兎に角、良い方法を考えると、エアーアジアのカウンターの者が言う。
こういうことが、多々あるという。
もし、そのまま、六時半の飛行機に乗ると、行動していたら、日本行きの飛行機に乗ることが、出来なかったのだ。
結局、私と、野中と、別々の航空会社の飛行機に乗ることになった。
私が、最初で、その一時間後の、別の航空会社の飛行機に、野中が乗る。
何とも、慌しいことだった。
私が、飛行機に乗り込み、座席に座り、飛び立つのを待つ。
すると、最後に、野中が、乗ってきた。
一人分の席が空いたというのだ。
驚いて、焦り、心配して、落ち着き、そして、目出度し目出度しと、なった。
だが、これは、うまくいったケースである。
うまく、いかない場合もある。
どうなるか解らないという状態は、実に、心身に悪い。
動揺を無視するように、飛行機が、飛び立つ。
一時間後にバンコクに着いて、少し、落ち着く。
時間は、四時を過ぎていた。
日本行きは、夜の、10時50分である。
大分、時間がある。
まず、食事をした。
タイで、最後の食事である。
勿論、タイの料理を選んだ。タイ風ラーメンである。
そして、出国手続きである。
その当たりになると、随分と、余裕が出てくる。
すんなりと、問題なく、出国手続きを終えて、搭乗ゲートの中に入った。
後は、乗るだけである。
免税店の並ぶ、空港内をゆっくりと、歩く。
目に付いた幟がある。
ラーメン、餃子である。そして、何と、寿司屋の看板だ。
まさか、日本に戻るのに、食べる人はいないだろうと思うが、いるのである。
日本に帰るから、なお更、食べたくなる心境は、解るが、日本に着いてから食べた方が、はるかに、旨いはずである。
人の食べている物を、覗いて、そう思った。
それに、値段が高い。
日本円にすると、寿司一つが、300円前後である。
空港内は、高いと、解っても、矢張り、高いのである。
私たちは、飛行機の中でも、食事が出るので、食べなかった。
それは正解だった。
飛び立って、少し寝ると、食事が出た。
私は、眠気が襲い、実は、途中から、何を食べたのか、覚えていない。
気づいた時は、眠っていた。
更に、気づいた時は、飛行機が着陸態勢に、入っていた。
あっという間の、時間である。寝ていたからだ。
飛行機は、眠るに限る。
着陸した時、安堵と、ある不思議な感覚になった。
すぐに、タイに引き戻したい気分である。
日本で、行動するというこが、不安になった。
また、あの緊張感があるのかと思うと、佇むのである。
入国審査も、問題なく、スムーズに終った。
そして、世の中に戻った。日本に戻った。
旅といっても、所詮は、日本脱出である。脱日常であり、脱、世の中である。
タイでは、世の中ではなく、別の世界である。
世の中というのは、八方に、私という、存在が広がっているということだ。日本では、八方に存在が広がる。
私は、木村天山になるのだ。
タイでは、テンだった。
テン・ジャパンと言っていた。
日本時間では、朝の七時頃になる。
横浜行きのバスに乗る。
そのまま、眠る。
乗り物の疲れは、また格別で、寝るしかない。
夏の着物のままだったが、それ程の寒さがない。
というより、感覚が麻痺しているのかもしれない。自律神経が、狂うのだ。寒いが暑い、暑いが、寒いという。更年期障害に出る症状に似る。
兎に角、部屋に着いた。
まず最初に、米を研いだ。米が食べたい。日本米が食べたい。
そして、魚である。タイでは、一度だけしか、魚を食べていない。市場で買ったものだけである。
冷凍庫から、カレイを取り出して、解凍する。
荷物は、そのままである。
眠気が襲うが、今寝ると、昼夜逆転する恐れあり、我慢した。
やることが、沢山ある。
慧燈財団へのお礼状である。日本では、NPO慧燈である。
そして、小西さんへの、お礼状である。
こういうことは、すぐやらなければならない。
ところが、メールを開けると、小西さんから、すでに、メールが入っていた。
さすがである。
それにしても、迷惑メールの多さである。あまりの多さに、愕然とした。
500通ほどある。
こういう、どうでもいいものの、処理に、毎日時間を使うと思うと、呆然とする。
どうでも、いいことを、出来るだけ無視するが、矢張り、どうでもいいものが、多い。
郵便物の整理をする。
どうでもいいものもあるが、大切なものもある。慎重に、捌く。
次第に、日本のテンポを取り戻す。
だが、半月後には、バリ島である。
この、新しい感覚に慣れるしかない。
一月には、ミクロネシアのトラック諸島に慰霊に行く。
それから、暫く、日本にいようと思う。支援は、日本の皆様から頂くのである。
チラシや、通信、手紙を書くことである。
あくまでも、私の個人的活動であるから、対面式の案内を目指す。
大枚なお金を使い、広告告知して、寄付を募る組織などは、作らない。実に、可笑しい話である。寄付を募るための、広告告知は、膨大なお金が必要であろうと。
ある巨大新興宗教のトップが、平然と言う。
組織を作ることが先決だった。兎に角、組織の力が必要であると。
世界190カ国に延びているという。おかしい。組織力を持っての布教が、いかに誤りであるかは、キリスト教を見れば解る。しかし、ローマカトリックを目指しているのであろう。世界に威力ある、法王を目指しているのである。
こういう、野心は、宗教というものの、定義があるのだ。つまり、詐欺集団である。
信じる者は、騙され続けてきた。
そして、これからも、信じる者は、騙され続ける。
宗教法人とは、合法的な、詐欺を許すのである。
人間とは、愚かな者である。
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