木村天山旅日記

タイ・ラオスへ 平成20年2月

第七話

12日、野中から、明日帰るとの、電話あり。

私も、一人で三泊した。

今日で、四泊目である。

 

朝は、日本に電話をしてみた。携帯電話から、簡単に掛けられるのである。

本当に便利になった。

 

朝は、ゲストハウスのコーヒーと、ゲストハウスの前にある、手作りジュースの店で、絞りたての、みかんジュースを買う。

その店の、女主人は、全く愛想が無い。憮然としている。

10バーツを置いて、みかんを指すと、憮然として、絞ってくれる。

小さなビニール袋にいれた、ジュースを持って、部屋に入り、ストローで飲む。

みかんは、日本のみかんと、同じである。ただ、種が入っている。

 

ゲストハウスにある、コンピューターで、インターネットを見る。

ホームページを確認するが、日本語で、打ち込むことができない。

30分程見て、20バーツを払う。

 

今日は、川沿いの、お土産小路に行き、何か、買おうと思う。

基本的に、人に、お土産などは、買わない。観光旅行ではない。必要な物を、買う。

 

この、お土産小路には、面白いおばさんがいる。

ギターを持ち、肩のところに、マイクをつけて、歌うのだ。マイクは、効いていない。単なる飾りである。

その歌である。

ただ、アァー、アァーと、それを、繰り返すのみ。

ギターも、形だけ。それだけの芸で、勝負である。

 

今日で、三度目である。

私を見ると、笑顔になる。

初めて、5バーツを缶に入れる。

すると、即座に、その、小銭をポケットに入れる。

 

タイの、物貰いは、曲者が多いと、聞いていた。

それで十分、生活出来る。さらに、良い家に住んでいる者も、いるという。

 

だが、彼女は、一発芸での、勝負をしているから、大したものだと思う。

アァーアァーである。

それで、お金を得られるとは、玉である。

 

それとは、別に、カラオケを背中に背負って、歌う、目の不自由な、男がいる。それが、また、旨い。上手である。

最初は、歌のテープを流しているのかと、思った。しかし、本当に、歌っているのである。

感激した。

 

小路には、同じ物を売る店が多い。

そこで、同じ物の値段で、違いを見て歩く。

小物入れが、一つ10バーツである。それを、見た。6つで、55バーツ。それが、50バーツの店がある。

行きつ戻りつして、私は、6つで、50バーツの店で、買った。

店員が、一つ得だと、身振りで言う。その通りである。

 

私は、それを、薬入れにするために、買った。ただ、余れば、誰かに、お土産として、上げてもいい。

 

その途中で、昼の食事を買う。

フランスパンの、サンドイッチを買う。

25バーツである。きっと、食べきれない量だと、思う。

途中、中国系のスーパーに立ち寄り、色々と見て回る。

日本のダイエーのような、安売りの店である。

サンマの缶詰を買ってみた。10バーツと、安い。そのまま、缶に、サンマと、書いてある。興味である。そして、水を二本買った。

 

部屋に戻り、パンと水で、昼の食事をする。

そして、サンマの缶詰である。

開けて、爪楊枝で、サンマを引き上げてみた。小さい。それが、3つのみ。後は、汁である。

これだけかと、考えた。

少し考えて、タイの食事は、ご飯に、汁を掛けて食べるのが普通である。つまり、身は、3つでも、汁で、ご飯を食べるのだと、納得した。

 

味は、悪くない。しょうゆ味である。

 

フランスパンの方は、矢張り、半分で、十分だった。

 

ハムと、干し肉と、玉ねぎが、挟んであった。それに、小さな袋の、タレをつけて食べる。そのタレが、特性で、辛い。ところが、それが、美味しく感じられた。

魚醤に、辛子などを入れて作る。

それぞれの店で、少しつづ、その味が変化する。それが、面白い。

 

食べてから、私は、少し体を横にした。

 

夕食のことを、考えるから、また、面白い。

 

旅は、食べることである。

ただ、私の場合は、安くて、現地の物という、定義であるから、高級料理店には、行かない。また、行けない。

 

ノーン・カーイでも、高級ホテルは、ある。

そこに行けば、それなりのメニューがあるだろう。

だが、行く気にも、なれない。

 

以前、チェンマイのホテルで、日本食のレストランに行った。

日本並みの料金である。

味は、駄目。

完全に、駄目。それで、料金は、現地の価格の何倍である。

二度と行かないと、決めた。

それは、現地の物で、食あたりしたせいで、ホテルの和食と、思ったのである。

しかし、それ以後は、止めた。

 

さて、ここで少し、イサーンと、タイとの、相違を見ることにする。

 

それは、信仰形態である。

ゲストハウスの近くにも、お寺があり、中でも、僧を養成するお寺もあった。

小僧さんたちを、多く見た。

また、地元の食堂に、托鉢に来ている、小僧さんたちもいた。

おおよそ、仏教徒であろうが、他の地域と、その温度差が違うと感じた。

熱心さが違うのである。

それ程、強い意識は無い。それでは、元からの信仰があるのかといえば、そうでもない。

 

バンコクの空港などでは、僧が、警備の者に、何か尋ねると、帽子を脱いで、対応するほどの、姿勢だが、それ程のものはないようである。

そして、仏教の前の、ピーという精霊信仰である。

あるにはあるが、それ程、熱心ではない。

ゲストハウスの、玄関の横にも、ピーの、祠があったが、一度も、そこに、供え物を置いたのを、見ていない。

 

国王の肖像も、他の地域より、少ない気がした。

 

勿論、道路を車で走ると、国旗と、王旗が、たなびいている。これでもか、というほど、掲げられてある。

 

お寺には、必ず、国王の、出家した時の写真もある。

 

だが、少し違う気がする。

まだ、私の、滞在期間が、短いせいもあろうと思う。

 

イサーンの人々は、生活することに、追われて、そこまで、手が回らないのではないかと、思えた。つまり、余裕を持てない。

日々が、戦いである。生活との。

 

また、中国系の活躍が、目覚しく、それに、飲み込まれているのかもしれない。

ゲストハウスには、国王の写真も、仏教関係のものも無かった。

 

ラオスから、1975年に亡命して、ワット・ケータという、異色の寺院を作った、ルアンブー・ブンルア・スラリット師の寺院を見た。

仏教というより、ヒンドゥーの影響が強く、驚いた。

色々な、像を見た後、寺の中に入った。

一階は、仏陀の像があったが、二階に上がると、そこは、ヒンドゥーの世界である。

仏陀を、ヒンドゥーの一部と、捉えていると、感じた程である。

 

また、メコン河に、生息する、魚の一種である、パヤナークという長い魚の像が多く、信仰の対象となっている。

 

七頭の、パヤナークの像の下に、仏陀を置いている像などは、明らかに、仏陀の保護として、扱われている。

日本で言えば、八大竜王のようである。

 

きっと、生命力が、旺盛なのであろう。

町の至るところにも、パヤナークの、像があるのだ。

 

ピーという精霊信仰より、パヤナーク信仰の方が、勝っているようである。

 

原始信仰を観る時、その地の、生き物に、一種の呪術的なものを、投影する。

メコン河、周辺は、この、パヤナーク信仰が、それに当たるのだろう。

ラオスの方は、どうかと、興味がある。

 

中国寺院もあり、私は、そこに行かなかったが、道教、儒教のものだろう。

 

ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアは、仏教が主である。

しかし、歴史を見ると、侵略、戦争の跡が多い。

歴史家は、マンダラ型の、国家という、表現を使う。

王室を中心に置いた、マンダラである。

 

それが、紆余曲折を経て、現在に至る。

後で、それについてを、書くことにする。

 

兎も角、イサーンは、他のタイと、違う雰囲気があるということだ。

 

ピーの、祠は、ほとんど見ないといってもよい。

ただ、面白いのは、祠があり、仏陀が置かれている前に、髪の長い、女の像があり、それが、何を意味するものかが、よく解らない。

野中が、ラオスでも、それを、多く見たという。

何でも、仏陀を、助ける者のようである。

仏陀に、乳粥を差し出した、スジャータという、娘かとも思ったが、違うらしい。

 

タイの仏教は、小乗であるが、多分に、ヒンドゥーの影響を受けていると、思われる。

恐るべし、ヒンドゥーの魔力である。