12日、野中から、明日帰るとの、電話あり。
私も、一人で三泊した。
今日で、四泊目である。
朝は、日本に電話をしてみた。携帯電話から、簡単に掛けられるのである。
本当に便利になった。
朝は、ゲストハウスのコーヒーと、ゲストハウスの前にある、手作りジュースの店で、絞りたての、みかんジュースを買う。
その店の、女主人は、全く愛想が無い。憮然としている。
10バーツを置いて、みかんを指すと、憮然として、絞ってくれる。
小さなビニール袋にいれた、ジュースを持って、部屋に入り、ストローで飲む。
みかんは、日本のみかんと、同じである。ただ、種が入っている。
ゲストハウスにある、コンピューターで、インターネットを見る。
ホームページを確認するが、日本語で、打ち込むことができない。
30分程見て、20バーツを払う。
今日は、川沿いの、お土産小路に行き、何か、買おうと思う。
基本的に、人に、お土産などは、買わない。観光旅行ではない。必要な物を、買う。
この、お土産小路には、面白いおばさんがいる。
ギターを持ち、肩のところに、マイクをつけて、歌うのだ。マイクは、効いていない。単なる飾りである。
その歌である。
ただ、アァー、アァーと、それを、繰り返すのみ。
ギターも、形だけ。それだけの芸で、勝負である。
今日で、三度目である。
私を見ると、笑顔になる。
初めて、5バーツを缶に入れる。
すると、即座に、その、小銭をポケットに入れる。
タイの、物貰いは、曲者が多いと、聞いていた。
それで十分、生活出来る。さらに、良い家に住んでいる者も、いるという。
だが、彼女は、一発芸での、勝負をしているから、大したものだと思う。
アァーアァーである。
それで、お金を得られるとは、玉である。
それとは、別に、カラオケを背中に背負って、歌う、目の不自由な、男がいる。それが、また、旨い。上手である。
最初は、歌のテープを流しているのかと、思った。しかし、本当に、歌っているのである。
感激した。
小路には、同じ物を売る店が多い。
そこで、同じ物の値段で、違いを見て歩く。
小物入れが、一つ10バーツである。それを、見た。6つで、55バーツ。それが、50バーツの店がある。
行きつ戻りつして、私は、6つで、50バーツの店で、買った。
店員が、一つ得だと、身振りで言う。その通りである。
私は、それを、薬入れにするために、買った。ただ、余れば、誰かに、お土産として、上げてもいい。
その途中で、昼の食事を買う。
フランスパンの、サンドイッチを買う。
25バーツである。きっと、食べきれない量だと、思う。
途中、中国系のスーパーに立ち寄り、色々と見て回る。
日本のダイエーのような、安売りの店である。
サンマの缶詰を買ってみた。10バーツと、安い。そのまま、缶に、サンマと、書いてある。興味である。そして、水を二本買った。
部屋に戻り、パンと水で、昼の食事をする。
そして、サンマの缶詰である。
開けて、爪楊枝で、サンマを引き上げてみた。小さい。それが、3つのみ。後は、汁である。
これだけかと、考えた。
少し考えて、タイの食事は、ご飯に、汁を掛けて食べるのが普通である。つまり、身は、3つでも、汁で、ご飯を食べるのだと、納得した。
味は、悪くない。しょうゆ味である。
フランスパンの方は、矢張り、半分で、十分だった。
ハムと、干し肉と、玉ねぎが、挟んであった。それに、小さな袋の、タレをつけて食べる。そのタレが、特性で、辛い。ところが、それが、美味しく感じられた。
魚醤に、辛子などを入れて作る。
それぞれの店で、少しつづ、その味が変化する。それが、面白い。
食べてから、私は、少し体を横にした。
夕食のことを、考えるから、また、面白い。
旅は、食べることである。
ただ、私の場合は、安くて、現地の物という、定義であるから、高級料理店には、行かない。また、行けない。
ノーン・カーイでも、高級ホテルは、ある。
そこに行けば、それなりのメニューがあるだろう。
だが、行く気にも、なれない。
以前、チェンマイのホテルで、日本食のレストランに行った。
日本並みの料金である。
味は、駄目。
完全に、駄目。それで、料金は、現地の価格の何倍である。
二度と行かないと、決めた。
それは、現地の物で、食あたりしたせいで、ホテルの和食と、思ったのである。
しかし、それ以後は、止めた。
さて、ここで少し、イサーンと、タイとの、相違を見ることにする。
それは、信仰形態である。
ゲストハウスの近くにも、お寺があり、中でも、僧を養成するお寺もあった。
小僧さんたちを、多く見た。
また、地元の食堂に、托鉢に来ている、小僧さんたちもいた。
おおよそ、仏教徒であろうが、他の地域と、その温度差が違うと感じた。
熱心さが違うのである。
それ程、強い意識は無い。それでは、元からの信仰があるのかといえば、そうでもない。
バンコクの空港などでは、僧が、警備の者に、何か尋ねると、帽子を脱いで、対応するほどの、姿勢だが、それ程のものはないようである。
そして、仏教の前の、ピーという精霊信仰である。
あるにはあるが、それ程、熱心ではない。
ゲストハウスの、玄関の横にも、ピーの、祠があったが、一度も、そこに、供え物を置いたのを、見ていない。
国王の肖像も、他の地域より、少ない気がした。
勿論、道路を車で走ると、国旗と、王旗が、たなびいている。これでもか、というほど、掲げられてある。
お寺には、必ず、国王の、出家した時の写真もある。
だが、少し違う気がする。
まだ、私の、滞在期間が、短いせいもあろうと思う。
イサーンの人々は、生活することに、追われて、そこまで、手が回らないのではないかと、思えた。つまり、余裕を持てない。
日々が、戦いである。生活との。
また、中国系の活躍が、目覚しく、それに、飲み込まれているのかもしれない。
ゲストハウスには、国王の写真も、仏教関係のものも無かった。
ラオスから、1975年に亡命して、ワット・ケータという、異色の寺院を作った、ルアンブー・ブンルア・スラリット師の寺院を見た。
仏教というより、ヒンドゥーの影響が強く、驚いた。
色々な、像を見た後、寺の中に入った。
一階は、仏陀の像があったが、二階に上がると、そこは、ヒンドゥーの世界である。
仏陀を、ヒンドゥーの一部と、捉えていると、感じた程である。
また、メコン河に、生息する、魚の一種である、パヤナークという長い魚の像が多く、信仰の対象となっている。
七頭の、パヤナークの像の下に、仏陀を置いている像などは、明らかに、仏陀の保護として、扱われている。
日本で言えば、八大竜王のようである。
きっと、生命力が、旺盛なのであろう。
町の至るところにも、パヤナークの、像があるのだ。
ピーという精霊信仰より、パヤナーク信仰の方が、勝っているようである。
原始信仰を観る時、その地の、生き物に、一種の呪術的なものを、投影する。
メコン河、周辺は、この、パヤナーク信仰が、それに当たるのだろう。
ラオスの方は、どうかと、興味がある。
中国寺院もあり、私は、そこに行かなかったが、道教、儒教のものだろう。
ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアは、仏教が主である。
しかし、歴史を見ると、侵略、戦争の跡が多い。
歴史家は、マンダラ型の、国家という、表現を使う。
王室を中心に置いた、マンダラである。
それが、紆余曲折を経て、現在に至る。
後で、それについてを、書くことにする。
兎も角、イサーンは、他のタイと、違う雰囲気があるということだ。
ピーの、祠は、ほとんど見ないといってもよい。
ただ、面白いのは、祠があり、仏陀が置かれている前に、髪の長い、女の像があり、それが、何を意味するものかが、よく解らない。
野中が、ラオスでも、それを、多く見たという。
何でも、仏陀を、助ける者のようである。
仏陀に、乳粥を差し出した、スジャータという、娘かとも思ったが、違うらしい。
タイの仏教は、小乗であるが、多分に、ヒンドゥーの影響を受けていると、思われる。
恐るべし、ヒンドゥーの魔力である。
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