ガムランとの共演は、ウブドゥ、クトゥ村の、アナンガサリ楽団である。
六時に、クトゥ村の寺院集会所にて、リハーサルの予定。
私たちが、到着した頃には、すでに、楽団の主な人々が、練習をしていた。というより、私の舞踊の、音楽を作っていた。
初めて、ガムランの曲を作る場面に、出会った。
一人の指導者が、太鼓で、調子を作り、それに、合わせて、曲調を積み上げてゆく。
特に、熟練者たちが、最初にそれをすることを、知った。
後で来る者は、彼らの作ったものに、合わせて、演奏するのだ。
通常は、ラーマヤナ物語の、場面などを踊るので、おおよその曲は、出来上がっているのだが、私の場合は、日本舞踊である。
イメージを作るのが、難しいであろうと、思った。
音作りを、聞いていると、一度、舞台に立ってくれと、言われた。
そして、彼らの音に合わせて、少し踊ってみた。
私が、静かに動くと、音も静かになり、激しく動くと、激しく演奏する。それが、基本だった。
私は、作曲の方に、好きなように、作って下さいと、言った。
後は、イメージで、踊ると、告げた。
約10分程度の曲である。
作り上げる曲を、舞台の前で、聴く。
ところが、作曲は、数名でするが、本番は、大勢が加わるのである。
全然別物に、聴こえることもあると、後で知る。
おおよそ、出来上がると、指導していた方が、私のところに来て、簡単な英語と、身振り手振りで、曲が静かな時は、静かに、激しい時は、激しく踊ってくれという。
その表現は、バリ舞踊の姿で、思わず、微笑んだ。
日本舞踊の形も何も、解らないのだから、本当に気の毒に思えた。
結局、やってみなければ、解らないのである。
私の出番は、丁度、真ん中あたりである。
最初の舞台を、見学していた。
バリ舞踊は、兎に角、一瞬も、止まることがない。止まっていても、手の指が、動いている。その、指の動きに、意味があるのだろう。
そして、目である。
首振りと、目の動きに、特徴がある。
インドの舞踊にも、影響を受けていると、共に、沖縄などの、踊りの要素もある。
それを、見ていて、私も、一瞬も止まらずに、舞うことを、考えた。
日本舞踊は、止まる、留まるという姿が、見せ場である。しかし、今回は、バリ舞踊に、準じてみようと、思った。
そして、バリ舞踊の手の動きに、私も、日本舞踊の手の動きを、特に強調してみようと、考えた。
それは、正解だった。
まだ、出演に間があると、思って舞台を見ていたが、突然、出演が早まったようで、迎えが来た。
団長の意見で、順番が変わった。
一人で踊るバリ舞踊の次に、私が、踊ることになった。
それは、また、正解だった。
バリ舞踊と、日本舞踊の違いが、よく解るような、順番である。
実は、日本人は、私だけではなかった。
一人の日本の女性が、出演していた。バリ舞踊である。彼女は、前回も、出演していた。バリ島に、留学して、バリ舞踊を学んでいる女性だ。
彼女は、翌日の、テラハウスのコンサートにも、来てくれた。
さて、私の出番である。
男振りの良い、指揮者の、男性の合図で、出ることになっていた。
私は、彼の、指示を待って、舞台の、奥に立った。
しかし、彼は、私の方を見ない。
おかしい。
合図が無い。
演奏が始まっている。
しかし、私に合図がないのだ。
彼を見つめたが、彼は、私を見ない。
はて、どうしたのかと、思いつつ、私は、そろそろ出た方が良いと判断して、舞台に出た。
舞台は、真ん中から、出るようになっている。
静々と、私は、能舞のように、ゆっくりと、出た。
そして、舞台の中央に、進んだ。
すると、演奏が、次第に激しくなる。
いよいよかと、私は、扇子を掲げて、右に進んだ。
音が、激しくなったので、大きく動き出した。
私の舞に、ガムランが、呼応するように、鳴り響く。
もう、思うように舞うことだと、必死に、男舞を舞う。
後半は、女舞にする予定だった。
ガムランの音が、少し、落ち着いた時、私は、扇子を後ろに、投げて、女型になった。
そして、手の舞を、存分に表現した。
ガムランが、それに、呼応する。
十分に、女踊りを舞った。
最後に、もう一つの扇子を出して、極めた。
そして、先ほど、後ろに捨てた扇子を拾い、両手で、扇子を持って、いよいよ、最後の舞に移った。
そのまま、登場した、舞台の真ん中に、向かって入った。
その時の、気持ちを、書くのは、難しい。
残心。
名残惜しく、舞台から、遠のくという、後姿の舞を見せて、舞台から去った。
汗だくに、なっていた。
ガムランの音、更に響いて聴こえた。
拍手が聞こえた。
団長が、私に、握手をする。
言葉は、解らないが、何かを言う。
ホッとして、私は、外に出た。
まさか、こんな展開になるとは、思ってもみないことだった。
今回は、千葉真康のギター伴奏で、辻知子も、歌うことになっている。
私は、そのまま、客席に戻った。
辻知子の歌が終わるまで、舞台は終わらない。
さくら さくら やよいのそらは
それが、聴こえた時、私は安堵して、ぐったりとした。
さくら
なんと良い歌であろうか。
日本古謡である。
みわたすかぎり かすみか くもか いおいぞ いずる
大和言葉の、骨頂である。
いざや いざや みにーゆうかーん
私は、脱力した。
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