木村天山旅日記

 バリ島 平成20年5月 

 第4話

ガムランとの共演は、ウブドゥ、クトゥ村の、アナンガサリ楽団である。

 

六時に、クトゥ村の寺院集会所にて、リハーサルの予定。

私たちが、到着した頃には、すでに、楽団の主な人々が、練習をしていた。というより、私の舞踊の、音楽を作っていた。

 

初めて、ガムランの曲を作る場面に、出会った。

一人の指導者が、太鼓で、調子を作り、それに、合わせて、曲調を積み上げてゆく。

 

特に、熟練者たちが、最初にそれをすることを、知った。

後で来る者は、彼らの作ったものに、合わせて、演奏するのだ。

 

通常は、ラーマヤナ物語の、場面などを踊るので、おおよその曲は、出来上がっているのだが、私の場合は、日本舞踊である。

イメージを作るのが、難しいであろうと、思った。

 

音作りを、聞いていると、一度、舞台に立ってくれと、言われた。

そして、彼らの音に合わせて、少し踊ってみた。

私が、静かに動くと、音も静かになり、激しく動くと、激しく演奏する。それが、基本だった。

 

私は、作曲の方に、好きなように、作って下さいと、言った。

後は、イメージで、踊ると、告げた。

 

約10分程度の曲である。

作り上げる曲を、舞台の前で、聴く。

ところが、作曲は、数名でするが、本番は、大勢が加わるのである。

全然別物に、聴こえることもあると、後で知る。

 

おおよそ、出来上がると、指導していた方が、私のところに来て、簡単な英語と、身振り手振りで、曲が静かな時は、静かに、激しい時は、激しく踊ってくれという。

その表現は、バリ舞踊の姿で、思わず、微笑んだ。

日本舞踊の形も何も、解らないのだから、本当に気の毒に思えた。

 

結局、やってみなければ、解らないのである。

 

私の出番は、丁度、真ん中あたりである。

最初の舞台を、見学していた。

 

バリ舞踊は、兎に角、一瞬も、止まることがない。止まっていても、手の指が、動いている。その、指の動きに、意味があるのだろう。

 

そして、目である。

首振りと、目の動きに、特徴がある。

インドの舞踊にも、影響を受けていると、共に、沖縄などの、踊りの要素もある。

 

それを、見ていて、私も、一瞬も止まらずに、舞うことを、考えた。

日本舞踊は、止まる、留まるという姿が、見せ場である。しかし、今回は、バリ舞踊に、準じてみようと、思った。

そして、バリ舞踊の手の動きに、私も、日本舞踊の手の動きを、特に強調してみようと、考えた。

それは、正解だった。

 

まだ、出演に間があると、思って舞台を見ていたが、突然、出演が早まったようで、迎えが来た。

 

団長の意見で、順番が変わった。

 

一人で踊るバリ舞踊の次に、私が、踊ることになった。

 

それは、また、正解だった。

バリ舞踊と、日本舞踊の違いが、よく解るような、順番である。

 

実は、日本人は、私だけではなかった。

一人の日本の女性が、出演していた。バリ舞踊である。彼女は、前回も、出演していた。バリ島に、留学して、バリ舞踊を学んでいる女性だ。

彼女は、翌日の、テラハウスのコンサートにも、来てくれた。

 

さて、私の出番である。

 

男振りの良い、指揮者の、男性の合図で、出ることになっていた。

私は、彼の、指示を待って、舞台の、奥に立った。

しかし、彼は、私の方を見ない。

おかしい。

 

合図が無い。

 

演奏が始まっている。

しかし、私に合図がないのだ。

 

彼を見つめたが、彼は、私を見ない。

はて、どうしたのかと、思いつつ、私は、そろそろ出た方が良いと判断して、舞台に出た。

 

舞台は、真ん中から、出るようになっている。

静々と、私は、能舞のように、ゆっくりと、出た。

そして、舞台の中央に、進んだ。

 

すると、演奏が、次第に激しくなる。

いよいよかと、私は、扇子を掲げて、右に進んだ。

音が、激しくなったので、大きく動き出した。

 

私の舞に、ガムランが、呼応するように、鳴り響く。

もう、思うように舞うことだと、必死に、男舞を舞う。

 

後半は、女舞にする予定だった。

 

ガムランの音が、少し、落ち着いた時、私は、扇子を後ろに、投げて、女型になった。

そして、手の舞を、存分に表現した。

ガムランが、それに、呼応する。

 

十分に、女踊りを舞った。

 

最後に、もう一つの扇子を出して、極めた。

そして、先ほど、後ろに捨てた扇子を拾い、両手で、扇子を持って、いよいよ、最後の舞に移った。

そのまま、登場した、舞台の真ん中に、向かって入った。

その時の、気持ちを、書くのは、難しい。

 

残心。

 

名残惜しく、舞台から、遠のくという、後姿の舞を見せて、舞台から去った。

 

汗だくに、なっていた。

 

ガムランの音、更に響いて聴こえた。

 

拍手が聞こえた。

団長が、私に、握手をする。

言葉は、解らないが、何かを言う。

 

ホッとして、私は、外に出た。

 

まさか、こんな展開になるとは、思ってもみないことだった。

 

今回は、千葉真康のギター伴奏で、辻知子も、歌うことになっている。

私は、そのまま、客席に戻った。

 

辻知子の歌が終わるまで、舞台は終わらない。

 

さくら さくら やよいのそらは

 

それが、聴こえた時、私は安堵して、ぐったりとした。

 

さくら

なんと良い歌であろうか。

日本古謡である。

 

みわたすかぎり かすみか くもか いおいぞ いずる

 

大和言葉の、骨頂である。

 

いざや いざや みにーゆうかーん

 

私は、脱力した。