木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第3話

トーペー寺を出て、来た道を戻り、最後の慰霊の場所、クンユアムに向かった。

 

まず、クンユアムの戦争博物館の前にある、ムェトウ寺である。

そこは、日本軍の病院跡である。

現在は、寺のみである。

そこに、慰霊碑がある。

 

病院で亡くなった兵士たち、約300名をその前の、クンユアム博物館のある場所に、埋葬したという。

 

私は、再度、木の枝を取り、依り代を作った。

慰霊碑の前に、それを、捧げて、神呼びを行い、祝詞を上げる。

 

暑いせいで、汗だくになる。

 

慰霊碑の前には、小さな、塔婆があり、南無妙法蓮華経と、書かれてある。

どなたか、日蓮宗の方が来たのであろう。

 

祓い清めをして、そのまま、クンユアム戦争博物館に歩いて行った。

 

運転手が気を利かせて、博物館へ案内するが、私は、まず慰霊の儀を執り行いたいのだ。しかし、しかたなく、博物館に入ることにした。

 

最初に、ビデオを見せられた。タイ語なので、意味は、解らないが、画面を見て、想像が出来た。また、その部屋には、タイだけではなく、サイパンの戦争犠牲者、バンザイクリフから、身を投げる人の写真などもあり、サイパン慰霊の旅を、思い出していた。

 

展示されている物は、日本兵の遺品である。

即座に、この場も、清め祓いが必要だと感じた。

物に、想念が溜まっている。それが、全体を、重苦しくしている。

 

だが、この博物館は、なんと、タイ人によって、作られたものである。

地元、クンユアム警察署長に就任した、チェーチャイ署長が発起人となり、開設されたのである。

 

彼は、署長に就任してから、地元の家々に、日本兵の遺品が数多くあることに、驚き、更に、地元民と、日本兵の友好の様に感動して、これらを集めて、戦争記念館を創設しようと、尽力したのである。

 

カンチャナブリにある、戦争博物館に、私は立ち寄ることがなかった。それは、見なくても、日本軍の残虐さを、語るべくのものだと知っているからだ。

 

戦争に、残虐さは、つきものである。

しかし、それを、表現する時、それぞれの民族の方法で、解釈する。

特に、カンチャナブリは、中国系の人によると、思われる。ということは、中国人の野蛮さと、残虐さによって、解釈される。

本当のところは、解らないのだ。

勿論、残虐行為は、多くあったが、中国人がする、残虐さで、解釈されれば、それを理解するのに、誤るのである。

 

この、クンユアムの博物館は、タイ人の好意的な、日本軍の解釈である。更に、地元民との、友好的な、付き合いを主にした解釈である。

 

チェーチャイ氏は、それまでの日本軍の有様とは、別の日本軍の有様を、ここで、見せてくれた。

 

日本人として、深く深く感謝する。

 

私は、一通り見て回り、すぐに、慰霊の儀をはじめた。

まず、チェンマイの小西さんに言われた、埋葬された、場所である、博物館の裏手に出た。

そこは、空き地になって、草が生えている。

 

何も無い、空き地で、私は、神呼びと、祝詞を唱えた。

祖国のために、戦い、そして、祖国に帰ることも出来ず、この地で、斃れた兵士たちの、霊位に、深く感謝と、慰霊の思い充ちての、祝詞である。

 

そして、そのまま、博物館の前の、慰霊碑に向かった。

そこでも、同じように、神呼びをして、祝詞を上げた。

この日、私は、大祓えの祝詞を、四度唱えたことになる。

 

最後に、太陽が出たので、依り代を、陽にかざし、皇祖皇宗を御呼びして、全体を祓い清めて、念じた。

 

靖国に、帰りたい方は、靖国に。故郷に帰りたい方は、故郷に。霊界に赴きたい方は、霊界に、行き給え。

 

気付くと、汗だくになっていた。

兎に角、暑い。

 

更に、館内に戻り、あまり大袈裟にならぬように、館内を、祓い清めた。

 

特に、軍刀の展示場所は、異様な気が充満しているのである。

人を斬って殺したであろう刀。

 

この展示物を見る人に、その想念が、及ばないようにと、清めた。

 

殺される前の人間が発する気は、恨み、悲しみ、憎みである。それを、まともに受ければ、どうなるかを、私はよくよく、知っている。

 

余談だが、戦争当時、日本軍が統治していた場所で、現地の人の、恨みを受けた人の子孫が、祟られている状況を見た。

三代前の、祟りである。

それは、如何ともし難いものであり、通常の祈りや、清め祓いでは、どうにも出来ないのである。

 

最低最悪の人生を送るべくの、呪いである。

呪いというものを、知らない人は、無いものである。また、そんなものは、信じないとい人は、呪われていないから、言える。

呪われている人は、言葉も無いのである。

 

最悪なのは、家系が絶えることである。

呪いは、そこまでやる。

 

男の子が、何人いても、必ず子孫が絶えるのである。

 

想像を絶する。

 

それを、解く、宗教家は、一人もいない。

勿論、霊能者もである。

 

民族の怨念を受けても、続く組織は、それはそれは、悪魔の組織、団体である。

これ以上は、省略する。

 

追悼慰霊の儀を終えた、私は、清清しい思いをしたか。

清清しい思いではなく、今、現在の日本を憂いだ。

ただ、憂いに、沈む。

 

戦争など、昔のことである。

そんなことで、死んだ者など、どうでもいい。兎に角、金を得て、楽しい人生を、送られればいいのである。

 

更に、私のように、追悼慰霊を行う者を、あろうことか、右翼系、右派と、言う者までいるのである。

 

私は、右でも、左でもないと、何度言っても解らない。

私は、上である。

カミである。

つまり、伝統行為を持って、追悼慰霊の儀を行っている。

 

何故か。

人は、目に見えないものによって、生かされて生きるのである。

目に見えるものだけを、見ていては、事の本質が見えない。

見えないものを、見て見よと、言う。

 

最新の心理学では、自由意志があるという、考え方に、疑問を呈している。

つまり、自由に意思を実行しているように、思えるが、実は、それは、あるモノによって、決めている。または、決められていると、考えるというのである。

 

その、モノとは、何か。

 

サブリミナル効果というものがある。

目には、見ない速度で、一定のメッセージを流すのである。

すると、何か飲みたくなるとか、何かの行動をとりたくなるのである。

 

その、サブリミナル効果に、近い感覚で、私たちは、目には清かに見えないモノに、支配されているのである。

 

それを、仏教では、因縁というが、そんなものではない。

または、業とも言うが、そんなものではない。

 

決定されているものである。

努力によって、変えられる人生とは、大嘘である。

 

何にも変えられない、宿命として、厳然としてあるものである。

 

それは、罪でもない。

 

遺伝子解明によって、それに、少し近づいている。

 

人は、生きるべきようにしか、生きられない。考えるべきようにしか、考えられないのである。

 

だから、私は、今、現在の日本を憂いでいる。