子供たちと、別れて、気分良く、家に戻った。
道端には、黒豚の子豚が、遊ぶ。犬が、寝ている。鶏が、走る。
時々、オートバイが走る。
しかし、皆、共生している。
不思議な光景だった。
夕食まで、家の周辺を見て周り、写真に収めた。
夕方、お父さん、お祖父さんが、帰ってきた。
しかし、お祖父さんは、自分の家、つまり、奥さんの家に帰る。
ここの、長男は、結婚して、妻の家に入った。
女系なのである。
夕食の前に、小西さんが、今夜は、特別な、お祭りがあるという。
昨年の米の収穫を祝い、それで出来た、酒を、男衆で、飲み交わす儀式という。また、それは、今年の、米の豊作を祈るものでもある。
だからと、小西さんが、どんな酒なのかと、私たちに、勧めてくれた。
家々で作る、米の酒、つまり、日本酒と同じである。
口に含むと、焼酎に似た感覚である。
この、麹は、いつの時代からのものか、解らないほど、代々伝えられているものという。
ぬか漬けと同じく、ぬか床が、代々伝わるという感覚である。
口当たり良く、スイスイと、飲んだ。
度数も、それぞれの家によって、違う。
今夜は、皆の家から、酒を持って、それぞれ代表者の家を回り、飲みあげてゆく儀式である。
これは、普段見ることのできないものである。
私は、野中に、フイルムの本数を確認した。
出来る限り、その光景を、写真にしたいと、思った。
夕食の、おかずは、なまずだった。
なまず、というものを、初めて食べる。
焼きなまずで、脂がのって、実に、旨い。
そして、二種類の、香辛料を混ぜたものである。
日本で言えば、漬物に似たものだと、小西さんが言う。
甘い辛さで、ごはんに合う。
ごはんを、腹一杯、食べた。
それから、徐々に、酒の酔いが、回ってきた。
私は、日本にいると、毎日、酒を飲むが、旅に出ると、疲れて、飲めなくなる。
その日は、三日振りに、酒を飲んだ。
夜の闇がおりる。
この闇が、非常に感動のものである。
それは、深夜に、解る。
食事の時、女たちは、座に加わらない。
男だけで、食事をする。
これは、バリ島のウブドゥでも、そうだった。
女たちは、後で、食べるようである。
儀式のある、お祖父さんの家に向かう。
歩いて、10分程度の場所に、お祖父さんの家がある。
高床式の、大きな家である。
二階に上がると、お婆さんがいた。二人暮しである。
お婆さんの顔は、威厳に満ちている。
頭に、伝統のカブリ物、今では、バスタオルのような布を、巻いている。女たちは、皆そうする。意識し始めた子供も、するようになる。
私たちが、最初である。
今は、皆で、それぞれの家を回っているという。
次第に、男が、増えてゆく。
待っている間、茶でもということで、出されるのは、噛み茶である。
最初、私は、何なのか、解らなかった。
それは、茶葉と、塩で噛む、お茶なのである。
真似て、噛んでみた。
そのうちに、目が冴えてくる。
茶葉を、そのまま、噛むのであるから、カフェインが、そのまま出る。
どんどん、男が、集ってきた。
しかし、まだ、待つ。
小西さんが、野中に、イダキの演奏を、皆に聞かせて欲しいと言う。
小西さんは、以前、オーストラリアにいた頃から、イダキが好きだったという。
日本語教師の資格を、取るために、オーストラリアに滞在していたのである。
イダキは、好評だった。
皆、見よう見まねで、吹いた。
今度は、私の番で、歌を披露して欲しいと、言われた。
私は、立ち上がり、童謡の、海を、歌った。
まだ、長老たちが、到着しないので、更に、私は、扇子を出し、黒田節を歌い、舞う。
その時、入ってきた、男が、何と私と一緒に、踊るではないか。
最後まで、私と一緒に、踊った。
非常に楽しい、おじさんである。
勿論、私も、おじさんであるが、おじさん、と言うのが、ぴったりである。
少し、イッている。
皆の、ピエロ役なのであろう。実に、楽しい。言葉は、解らないが、楽しいのである。
漸く、長老たちが、やって来た。
座が、少し緊張する。
皆の座と、向かい合わせに、何人かの、長老が、座った。
酒を、用意する者。
お猪口が、八つほど、並べられた。
皆の人数に比べたら、少ない。
三人の、長老に、酒が注がれた。
その、お猪口を持って、少し、前かがみになり、何やら、呪文のようなものを、唱え始めた。
その間、皆は、手を合わせる。
しかし、私語も、聞こえる。
カレンの儀式は、緊張感と、共に、リラックスしたムードもある。不思議な、儀式だった。
長老たちが、祈り終えると、それを、少し口に含み、皆で、回し飲みする。
全員が、飲み終わると、次に、酒を注いで、一人一人と、一気に飲み干す。
私たちには、その、一気に飲み干すものが、与えられた。
それからである。
何度も、それが、繰り返される。
酒がなくなるまで、続くのだ。
これは、酒に強くないと、大変である。
しかし、皆、淡々とこなす。
普段は、酒を飲まない男たちであるが、儀式の時は、このうよにして、飲む。
ただし、体調の良くない者は、隣の人に助けてもらう。
少しだけ、残して飲んでもらい、残ったものを、飲み干す。
私は、儀式に、緊張していたから、酔いは、あまり感じなかったが、家に戻り、安心すると、酒の酔いが、回ってきた。
約、一時間ほどの、儀式が続き、ようやく、終わった。
皆、適当に、帰り始める。
若者もいる。
実は、待っている、間、私は、二人の男の、簡単な治療をした。
本当は、書かないつもりだったが、書くことにする。
一人は、あの、面白いおじさんである。
右足の膝が、痛いという。
手当てをして、痛みを取る。
もう一人の、おじさんも、足が痛むというので、痛みを、取る。
しかし、それは、一時的なものである。
根本的、治療ではない。
もっと、その原因を、調べる必要がある。
何故、そんなことをしたかといえば、小西さんが、私を、日本の神様を、奉る人だと、紹介したからである。
それは、つまり、彼らには、司祭という意識になり、祈祷によって、病を、治すのが、普通であるから、私に、それを、求めたのである。
村には、祈祷で、病を、治す人もいる。
勿論、治らない人もいる。
昔と、違い、色々な、細菌が出ているので、祈祷だけでは、済まなくなった。
儀式が、終わった後で、おじいさんも、セキが出て、止まらないと言う。
一応、手当てをしたが、翌日、私は、咳止めの薬を、届けた。
旅の時には、必ず、風邪薬と、抗生物質、その他、常備薬を、持って出る。
皆、医者から、処方してもらうものである。
おじさんには、咳止めを、半分にして、飲むように言った。
薬を、飲まない地域の人である。効き過ぎることもある。
家に戻り、小西さんは、奥さんに、寝酒を、出させて、私たちに、ご馳走した。
しかし、もう、すべてに、酔っているのである。
小西さんの、日本革命の壮大な話を肴に、また、少し飲んだ。
楽しい。実に、楽しい酒だった。
深夜を過ぎて、ようやく、床に就くことにした。
私たちの、寝床は、蚊帳が吊られていた。
そして、枕元に、電池の電灯が、置かれていた。
家のすべての、電気が消された。真っ暗闇である。
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