木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第9話

子供たちと、別れて、気分良く、家に戻った。

 

道端には、黒豚の子豚が、遊ぶ。犬が、寝ている。鶏が、走る。

時々、オートバイが走る。

しかし、皆、共生している。

 

不思議な光景だった。

 

夕食まで、家の周辺を見て周り、写真に収めた。

 

夕方、お父さん、お祖父さんが、帰ってきた。

しかし、お祖父さんは、自分の家、つまり、奥さんの家に帰る。

ここの、長男は、結婚して、妻の家に入った。

女系なのである。

 

夕食の前に、小西さんが、今夜は、特別な、お祭りがあるという。

昨年の米の収穫を祝い、それで出来た、酒を、男衆で、飲み交わす儀式という。また、それは、今年の、米の豊作を祈るものでもある。

 

だからと、小西さんが、どんな酒なのかと、私たちに、勧めてくれた。

家々で作る、米の酒、つまり、日本酒と同じである。

口に含むと、焼酎に似た感覚である。

 

この、麹は、いつの時代からのものか、解らないほど、代々伝えられているものという。

ぬか漬けと同じく、ぬか床が、代々伝わるという感覚である。

 

口当たり良く、スイスイと、飲んだ。

度数も、それぞれの家によって、違う。

 

今夜は、皆の家から、酒を持って、それぞれ代表者の家を回り、飲みあげてゆく儀式である。

 

これは、普段見ることのできないものである。

私は、野中に、フイルムの本数を確認した。

出来る限り、その光景を、写真にしたいと、思った。

 

夕食の、おかずは、なまずだった。

なまず、というものを、初めて食べる。

焼きなまずで、脂がのって、実に、旨い。

そして、二種類の、香辛料を混ぜたものである。

日本で言えば、漬物に似たものだと、小西さんが言う。

 

甘い辛さで、ごはんに合う。

ごはんを、腹一杯、食べた。

 

それから、徐々に、酒の酔いが、回ってきた。

 

私は、日本にいると、毎日、酒を飲むが、旅に出ると、疲れて、飲めなくなる。

その日は、三日振りに、酒を飲んだ。

 

夜の闇がおりる。

この闇が、非常に感動のものである。

それは、深夜に、解る。

 

食事の時、女たちは、座に加わらない。

男だけで、食事をする。

これは、バリ島のウブドゥでも、そうだった。

女たちは、後で、食べるようである。

 

儀式のある、お祖父さんの家に向かう。

歩いて、10分程度の場所に、お祖父さんの家がある。

高床式の、大きな家である。

 

二階に上がると、お婆さんがいた。二人暮しである。

お婆さんの顔は、威厳に満ちている。

頭に、伝統のカブリ物、今では、バスタオルのような布を、巻いている。女たちは、皆そうする。意識し始めた子供も、するようになる。

 

私たちが、最初である。

 

今は、皆で、それぞれの家を回っているという。

次第に、男が、増えてゆく。

待っている間、茶でもということで、出されるのは、噛み茶である。

最初、私は、何なのか、解らなかった。

それは、茶葉と、塩で噛む、お茶なのである。

 

真似て、噛んでみた。

そのうちに、目が冴えてくる。

茶葉を、そのまま、噛むのであるから、カフェインが、そのまま出る。

 

どんどん、男が、集ってきた。

しかし、まだ、待つ。

 

小西さんが、野中に、イダキの演奏を、皆に聞かせて欲しいと言う。

小西さんは、以前、オーストラリアにいた頃から、イダキが好きだったという。

日本語教師の資格を、取るために、オーストラリアに滞在していたのである。

 

イダキは、好評だった。

皆、見よう見まねで、吹いた。

 

今度は、私の番で、歌を披露して欲しいと、言われた。

私は、立ち上がり、童謡の、海を、歌った。

 

まだ、長老たちが、到着しないので、更に、私は、扇子を出し、黒田節を歌い、舞う。

その時、入ってきた、男が、何と私と一緒に、踊るではないか。

最後まで、私と一緒に、踊った。

 

非常に楽しい、おじさんである。

勿論、私も、おじさんであるが、おじさん、と言うのが、ぴったりである。

 

少し、イッている。

皆の、ピエロ役なのであろう。実に、楽しい。言葉は、解らないが、楽しいのである。

 

漸く、長老たちが、やって来た。

座が、少し緊張する。

 

皆の座と、向かい合わせに、何人かの、長老が、座った。

酒を、用意する者。

お猪口が、八つほど、並べられた。

皆の人数に比べたら、少ない。

 

三人の、長老に、酒が注がれた。

 

その、お猪口を持って、少し、前かがみになり、何やら、呪文のようなものを、唱え始めた。

その間、皆は、手を合わせる。

しかし、私語も、聞こえる。

カレンの儀式は、緊張感と、共に、リラックスしたムードもある。不思議な、儀式だった。

 

長老たちが、祈り終えると、それを、少し口に含み、皆で、回し飲みする。

全員が、飲み終わると、次に、酒を注いで、一人一人と、一気に飲み干す。

 

私たちには、その、一気に飲み干すものが、与えられた。

それからである。

何度も、それが、繰り返される。

酒がなくなるまで、続くのだ。

 

これは、酒に強くないと、大変である。

しかし、皆、淡々とこなす。

普段は、酒を飲まない男たちであるが、儀式の時は、このうよにして、飲む。

ただし、体調の良くない者は、隣の人に助けてもらう。

少しだけ、残して飲んでもらい、残ったものを、飲み干す。

 

私は、儀式に、緊張していたから、酔いは、あまり感じなかったが、家に戻り、安心すると、酒の酔いが、回ってきた。

 

約、一時間ほどの、儀式が続き、ようやく、終わった。

 

皆、適当に、帰り始める。

若者もいる。

 

実は、待っている、間、私は、二人の男の、簡単な治療をした。

本当は、書かないつもりだったが、書くことにする。

 

一人は、あの、面白いおじさんである。

右足の膝が、痛いという。

手当てをして、痛みを取る。

 

もう一人の、おじさんも、足が痛むというので、痛みを、取る。

しかし、それは、一時的なものである。

根本的、治療ではない。

もっと、その原因を、調べる必要がある。

 

何故、そんなことをしたかといえば、小西さんが、私を、日本の神様を、奉る人だと、紹介したからである。

それは、つまり、彼らには、司祭という意識になり、祈祷によって、病を、治すのが、普通であるから、私に、それを、求めたのである。

村には、祈祷で、病を、治す人もいる。

勿論、治らない人もいる。

 

昔と、違い、色々な、細菌が出ているので、祈祷だけでは、済まなくなった。

 

儀式が、終わった後で、おじいさんも、セキが出て、止まらないと言う。

一応、手当てをしたが、翌日、私は、咳止めの薬を、届けた。

 

旅の時には、必ず、風邪薬と、抗生物質、その他、常備薬を、持って出る。

皆、医者から、処方してもらうものである。

おじさんには、咳止めを、半分にして、飲むように言った。

薬を、飲まない地域の人である。効き過ぎることもある。

 

家に戻り、小西さんは、奥さんに、寝酒を、出させて、私たちに、ご馳走した。

しかし、もう、すべてに、酔っているのである。

 

小西さんの、日本革命の壮大な話を肴に、また、少し飲んだ。

楽しい。実に、楽しい酒だった。

 

深夜を過ぎて、ようやく、床に就くことにした。

私たちの、寝床は、蚊帳が吊られていた。

そして、枕元に、電池の電灯が、置かれていた。

家のすべての、電気が消された。真っ暗闇である。