ようやく、ケアンズから去る日である。
チェックアウトが、朝十時である。
アーネムランド・ゴーブ行き飛行機は、夕方の六時である。
それまでの時間を、過ごすために、私たちは、バス乗り場の前にある、オーキッドプラザというビルの、二階に出た。
そこには、屋台の食べ物屋があり、私の好きな、おにぎり屋もあった。
食べきれなかった食料を持って、夕方、四時まで、過ごす予定である。
その辺りが、街の中心である。
繁華街である。
向かい側には、夜になると、開店するバーが、並んでいる。
私は、その一軒に、昨日出掛けた。
一番外れの、ゲイバーである。
ふらふらと、入ったバーであり、極々普通の店であった。ただ、内装が、凝っていて、豪華であった。
入ると、まず、一段階の部屋、そして、中の部屋、更に、奥の部屋があった。
私は、タイパンツと、Tシャツである。
店に入っても、何も言われない。
しばらく、店の中を見学して、ようやく、カウンターに行き、ウイスキーを注文した。勿論、メニューを見て、10ドルのウイスキーを示して、ウォーターと、加えた。
水割りという意味で、言うが、素敵なボーイさんは、シングルのウイスキーに、氷を入れて、私の前で、酒を計る小さなカップで、私を見ながら、水を少しづつ入れる。
オッケーオッケーと、言いつつ、私は、全部入れてもらった。それでも、水は、足りないが、もう、面倒で、それを、貰った。
適当に好きな場所に、座って飲む。
最初は、色々な椅子に、腰掛けてみた。
タバコが吸いたくなり、別のボーイに、ノースモーキングと、声を掛けると、ペラペラと、喋る。つまり、ここは、禁煙というのである。
私は、店から出て、外の席に座った。
そこで、タバコに火を点けた。
少しすると、警備のボーイが、何やら言う。
禁煙ブースだった。
そこで、グラスを持って、タバコを吸いつつ、水割りを飲もうとすると、また、警備のボーイが、何やら言う。
飲みながら、吸うなということだと思い、グラスを、テーブルに置いた。
そして、オッケーと、訊いた。
オッケーである。何か、決まりがあるのだろう。
ケアンズも、アルコールに関しては、結構厳しいものがある。
野中が、深夜出掛けて、ヨーロッパから来た、若者たちと、ビールなどを飲んでいると、警察が来て、ここは、飲む所ではないと、散らされたという。
一人の、ドイツ人の若者が、警察に、僕たちは、お金がない。店で、飲むような、金持ちではないから、ここで飲んでいると、勇気を持って言ったと、野中が、話していた。
警察は、騒ぐなよと、言って、その場は、収まったという。
アル中が多いのである。
実は、それには、訳がある。
アル中になるのは、大半がアボリジニたちである。
これについても、後で書く。
ゴーブでは、もっと、厳しかった。
午後二時から、酒の販売を開始し、八時で、終わる。そして、酒を買うためには、許可書を得なければならない。
私は、面倒なので、酒を飲むのを、止めた。
三日間の禁酒だった。
最初、そのバーは、ゲイバーには、見えなかった。
男女のカップルも多かったからである。
しかし、再度店に入り、中の部屋に入り、二人の男の、カップルの様子を見て、理解した。
腕を絡ませて、キスをするのである。
しかし、誰も気にしない。
男女のカップルも、平然としている。
そこで、私は、店の入り口に立つ、警備のボーイに、訊きに出た。
ここは、ゲイバーと、訊いた。
イエス。
あんたは、ゲイ。
ノー。
この辺は、ゲイバーなの。
いや、ここだけ。
そして、私はまた、店内に入った。
今度は、たっぷりとした、ソファーに座り、観察である。
そして、驚いた。
ある、ブースには、垂れ幕がかかり、その中が見えない。しかし、次々と、女が、入って行くのである。
非常に興味があった。
その中を、覗きたいという欲求である。
暫く、その、幕を見ていた。
チャンスが来た。
ボーイが、物を運んで入るとき、その、幕を大きく開けた。
仰天した。
中には、女が、一杯なのである。
ホント、女だらけ。ゲイバーである。つまり、レズの皆様である。
それが、男同士などより、断然多い。
その中は、女で溢れているのである。
アラアラ、言葉無く絶句した。
どうりで、色々着飾った女たちが、続々と入って行くのであった。
何かの、パーティーでもない。
レズの多いケアンズという、イメージが、強く強くなった。
私は、水割りを飲み終えて、ほろ酔いで、モーテルに帰った。
ゆっくりと、歩いた。
もう、ウイスキーなどは、合わないと知った。
日本酒が、一番いい。
広場には、警察の車が、止まっている。
監視しているのだ。
多くの店の明かりも、消えて、街灯の明かりの中を、とぼとぼと、歩いた。
ケアンズ、最後の夜であり、もう、二度と来ない街である。
珍しく、野中が、すでに寝ていた。
私は、シャワーを浴びて、歌を書き付けた。
いよいよ、明日は、アーネムランドのゴーブである。
ほとんどの人は、知らない街である。
アボリジニ、イダキ、ディジュルドゥに、興味を持つ人のみが、聖地として、崇める街である。
これから、エッセイとして、オーストラリアの歴史、そして、アボリジニの問題を、書くことにする。
たが、焦らない。
ゆっくりと、順々に書いてゆく。
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