ゴールデントライアングルに到着。
タイ、ラオスを隔てる、メコン河と、タイ、ミャンマーを隔てるルアク河が、合流する。
ソップ・ルアクという村である。
河に面して、最近建てられた大きな黄金の仏像が、目立つ。
英語のゴールデントライアングルという文字が、至る所に見える。
さて、と、私は、合流地点を見渡した。
どこで、慰霊をするかである。
観光客が多く、邪魔される怖れあり。
だが、どうしても、記念碑の横、つまり、突端で、行いたいと思った。
しかし、神道の所作ではない。
違うと、思った。
ここでは、日本兵というより、日本軍に強制的に連行された、クーリーつまり、荷物運びの人々の追悼慰霊である。
それは、多く中国人と、タイ人である。
その数は、日本兵の数より、多いという。
悲劇である。
何の関係も無い人が、強制的に、連行され、荷物を運び、遂には、死ぬのである。
この、合流地点である、河の底に、どれほどの、遺骨が眠っているか。
その場に行き、慰霊の所作を、感じるのである。
般若心経を唱えることにした。
それでは、線香と花を、求めたいと、近くの売店に行くと、その青年は、あそこにあると、指差す。
見ると、花も、線香も用意されていた。
大きな、布施箱が置いてあり、そこに、お金を入れる。
線香五本に灯を点けて、きくの花を、手に持って、般若心経を上げる。
最初は、何事も無い。
何度か繰り返すうちに、次第に、体が勝手に、川縁に向かいたくなった。
そこから、船着場に下りた。
揺れる船着場で、経を上げる。
舟が行き来する。
観光客を乗せて、遊覧しているのである。
その舟の波で、足場が揺れる。
私が、線香と花を持って、祈るのを、遊覧船の客が見つめている。
ただ、慰霊の思い篤くして、霊位に対する。
そして、花を一つ一つ千切り、河に投げ込む。
それは、その時に、そのようにするということで、その時にならなければ、解らない。
感じたことは、私の足が、足先から、重くなったことである。
ここでは、慰霊の行為が、あまり行われないようである。
水辺では、霊位が、足から感応してくる。
それは、良くないことである。
私が、霊能者ならば、やってられない場所である。
霊能者ではなく、慰霊する者だから、かろうじて、大事にならないでいる。
懸る、憑依するという現象がある。
それは、霊的感能力の強い人に、現れる。
その良し悪しは、別にしてである。
無念過ぎる人の死の想念は、たまらないものである。
ただ、水辺だということでの、救いはある。
流れは、慰霊の効果がある。
花を大半流して、私は、慰霊の所作を終えた。
線香も、流した。
一度や二度では、済まないことである。
矢張り、汗だくになった。
上に戻り、次は、どうするかということになった。
上の寺にある、慰霊碑に行かなければいけないが、荷物がある。
登るのに、荷物は、何倍もの時間がかかる。
荷物を預ける場所を探したが、無い。
しょうがないと、山に向かう。
すると、何と、ポリスの出先機関がある。
私は、勝手に、そこに向かい、食事をしていた、警察官に、合掌して、日本語で、荷物を預かって貰えますかと、尋ねた。
それで、通じた。
オッケー、オッケーと、何の抵抗無く、受け入れてくれた。
三人の警官たちは、笑顔で、私を受け入れてくれた。
有り難い。
それでは、と、身軽になって、山を登る。
しかし、山道である。汗が噴出す。
まず、中腹に出た。
寺があるが、入らない。
そこから、また、登る。
ようやく、上まで辿り着いた。
階段があり、僧が降りて来たので、合掌して、挨拶する。
ところが、その僧は、私たちに、何の引け目があるのか、目を伏せるのである。
何か、申し訳なさそうである。
理由は、後で知ることになる。
慰霊碑を、見つけた。
三体建ててある。
真新しい物である。
それほど、月日を経ていない。
だが、愕然とした。
何の気も、感じられないのである。
通常は、魂入れという行為をするものである。
どんな波動でも、碑には、それなりの存在感がある。
何も無い。
更に悪いのは、中途半端にしているゆえに、浮遊する霊の溜まり場のようになり、全く、慰霊碑の役割を果たしていないのである。
なんじゃ、これは。
私が言うと、スタッフの野中も、顔を曇らせて、嫌な表情である。
実は、彼は、私より、感能力が高い。それゆえ、変な所作は、行わない。
感受性が高いとも、言える。
私は、人様の慰霊碑であり、断らないで、慰霊の所作は、失礼であると、何も持たず、ただ、祝詞を献上して、その場の、清め祓いを行った。
太陽の光が、少し出たので、幸いと、太陽を拝して、更に、清めた。
辺りの空気が変化した。
これ以上は、省略する。
ある一基は、ここの、僧を日本に招いて接待し、慰霊碑建設の許可を得たという。
寺の所有する土地であるから、寺の許可が必要である。
日本式に、接待して、その許可を得たのであろう。
しかし、タイの仏教では、僧に対する布施行為は、寺全体に対する行為であり、僧ではない。僧が、単独で、何かを受けるということは、誤りである。
まして、接待という、世俗のもてなしを、希望するものではない。
あの出会った僧の、表情の意味が解るというものである。
私は、着物を着ていた。当然、日本人である。
どのような、接待が行われたのかを、知る者と、認識したのである。
まあ、それだけ、タイの僧は、純情だということ。
日本の僧ならば、当然、当たり前。
世俗よりも、甚だしい逸脱である。
現在の、タイ仏教も、腐敗の一途である。
長い間の、既得権益により、腐敗しているのである。
兎に角、タイの人は、貧しくても、寺には、寄進する。布施をする。
タンブンという。
寺にタンブンすることで、来世が決まるのである。
寺は、それにより、国が出来ない、福祉事業を為してきた。
貧しい子供は、寺に入れば、食べて行かれる。
学ぶことも出来る。中には、携帯電話を持つ、小僧さんもいるのである。
書きたくないが、肉も食べるし、遊ぶ。
男色行為は、当たり前である。
ただし、全部が全部ではない。
田舎には、戒律を守り、昔ながらの、修行僧も多くいる。
寺の中には、男子だけではなく、女子も受け入れて、養育する所もある。
ただし、それは、男子の余りで行うため、不足が多い。
一つの寺の、女子部では、生理用品や、タオルが足りないという。次に、私は、その女子部のために、生理用品などを、差し上げたいと思っている。
さて、慰霊碑の前で、写真を撮る。
写真に、嫌な物が、写らなければいいがと、思う。
そのような、場所になっているのである。
汗も引き始めて、下山することにした。
帰りは、楽である。
ポリスに立ち寄り、挨拶して、荷物を受け取った。
コープンカップ、そして、日本語で、日本式に、ありがとうございましたと、礼をした。
にこやかに、私たちを、送って下さった。
ここには、また、来ることになるだろうと、予感する。
以前の旅行記に、インパール作戦のことを、書いたので、省略するが、中国人、タイ人の、被害状況について、もっとよく調べて、書くことにする。
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