天山旅日記
ベトムへ
平成20
10月
 

第9話

レディボーイの、福祉施設に出掛けた、スタッフが、中々戻らないので、六時前に、電話をした。

すると、今戻るところだという。

 

五時間ほど、その施設で過ごしていたことになる。

その報告が、楽しみだった。

しかし、私は、簡単に書くことにする。

いずれ、彼が、詳しく書くことになると思う。

 

タイ政府の支援ではなく、アメリカの民間団体と、タイの民間団体が、支援金を出して、レディボーイのための、レディボーイによる、万相談所だった。

 

どんな相談にも、のってくれるのが、自分と同じ、レディボーイなのである。

医者の診療もあり、ホルモン投与なども行う。

 

それで得た情報は、何から何まであったという。

生活のことから、噂話まで、

 

その、活動は、チェンマイまで、広がっているとのこと。

そして、ゲイ関係の施設とも、連携としているようである。

パタヤには、別に、ゲイの福祉施設もある。

 

何と、スタッフは、会員になり、会員証まで、持ってきた。

 

すっかり、レディボーイになっていた。

人生とは、実に面白い。

人は行為によって、成りたいものに、なれるのである。

 

タイでは、レディボーイで、通したら・・・

そうだね、である。

 

バンコクに出た時も、レディボーイの恰好で、行ったから、楽しい。

ホテルに、入った時は、女と、認識された。

 

そこで、面白いことが、起こった。

何度か、出入りしていて、彼が、男用になっていた時、二人で、フロントから鍵を渡して貰った。

その時、フロントの女性が、スタッフに、あなたは、どこへ行くのと、声を掛けた。

 

その、安いゲストハウスのようなホテルは、フロントが、厳しく出入りを、確認している。それが、安心で、私も、そのホテルに泊まるのである。

 

一緒ですと、スタッフが答えると、フロントの女性は、私に、あの、もう一人の女性はと、尋ねるのである。

 

えっーーーもう一人の女性・・・

 

あっ

スタッフが、何と、日本語に訳すと、私は、おかまです。時々、女になったり、男になったりしますと、説明したのである。

 

唖然とした表情を見て、私は、笑った。

タイでは、当たり前の感覚で、受け入れるが、まさか、日本の、おかまが、という、複雑な表情である。

 

一件落着したが、後で、あの女性は、食事の時でも、他のスタッフに、ちょっと、泊まっている日本人がさあー、おかまでさー、などと、噂すると、想像した。

 

ということで、レディボーイの施設侵入は大成功だった。

アジアのトランスジェンダーの問題に、関わるつもりである。

 

帰国して、数日後に、韓国で、23歳の役者が、テレビで、ゲイであることをカミングアウトすると、すべの仕事が、キャンセルになり、絶望して、自殺したという、ニュースが、入った。

そして、続けて、そのような、自殺が、続いた。

 

痛ましいことである。

ただ、ゲイであるということでの、差別である。

韓国でも、ゲイは、盛んである。

しかし、根強い差別がある。それは、キリスト教である。

あの、排他的、非寛容の教えである。

これを、書き始めると、止まらなくなるので、別の機会にする。

 

その夜、初めて、少し高めの、レストランに行き、ステーキを食べることにした。

二人で、1000バーツの食事をした。

勿論、スタッフは、女に化けた。

 

生きるということは、演じることである。

親を演じ、子を演じ、男を演じ、女を演じ、夫を演じ、妻を演じる。

演じる時は、徹底して、演じることである。

それが、私の教えである。

 

私の本来は、何も変わらない。

故に、成りたいものに、なればいい。

私は、木村天山を演じている。

 

ドロボーは、物を盗んで、はじめて、ドロボーになる。

物を盗みたいと考えている時は、ドロボーではない。

行為して、はじめて、ドロボーになるのである。

 

聖者になりたければ、聖者を演じるとよい。

演じ続けて死ぬと、聖者として、生きたことになる。

 

成りたいものになれ、とは、私の教えである。

 

その端的な、生き様が、レディボーイである。

実に、興味がある。

 

今日の寝る場所を確保し、今日の食べ物を確保するために、人は生きる。辛いときは、夢や理想を思い描いて、脳内物質の、快楽物質を出して、乗り切る。

生きるとは、そういうことである。

 

そして、その大半は、死ぬまでの、暇潰しなのである。

 

暇潰しに、命懸けになるほど、面白いことはない。

 

老死を逃れることは、出来ない。

事実である。

人は、事実のみを、生きる。

真実などは、人の数ほどある。

真実、真理が、一つであるというのは、支配するための、策略である。

宗教を見れば、解る。

主義を見れば、解る。

あれらは、糞でもくらえ、である。

 

ステーキは、実に、拙かった。

後悔しても、始まらない。

いつも、家では、北海道からの、贈り物である、ステーキを食べているのである。

板を食べているようであった。

 

コックが出てきて、私を見るので、頷いて、拙いと思念を送るが、コックは、自信を持っている。美味いと、私が言っていると、信じている。

信じる者は、騙される。

 

1000バーツ、約3300円と、奮発したのにーーーー

 

帰りは、屋台で、スイカと、パイナップルを買った。

40バーツ、約130円。

 

あの、固いステーキ肉を、消化するために、体は、どんなにストレスかと、思いつつ、早々に寝ることにした。

 

明日の一日は、マッサージに賭けることにした。

パタヤは、実は、タイ全国から、マッサージ嬢が集う場所でもある。

下手も、上手も、色気も、タイマッサージのすべてがある。

 

今回は、最後に、五十過ぎのおばさんに、目の覚める、マッサージのテクニックを見た。

私は、彼女をマッサージの名人と見た。

彼女の胸には、誇り高い、タイマッサージのライセンスの、名札がついていた。

 

そして、もう一人は、東北部イサーンから出て来たという、23歳のマッサージ嬢である。

その親切と優しさに、私は、心で泣いた。