木村天山旅日記

 フィリピンへ
 
平成21年
 1月
 

 第2話

朝、九時半の飛行機である。

前日の夕方、成田に向かった。

もし、雪でも降れば、バスか止まる。九時半の飛行機には、二時前の七時半までに行かなければならない。そのためには、部屋を五時半前に出ることになるので、前日にした。

 

チャイナエアラインである。

台北で、乗り継ぎ、その日の夕方、マニラに着く。

 

食事の時間以外は、寝ていた。

台北での乗り継ぎは、飛行機が遅れたので、すぐだった。

 

マニラの時間は、日本より、一時間遅い。

四時に着いた。日本時間では、五時である。

 

夕方の混雑している道を、タクシーに乗って、マニラ市内の、エルミタ地区のゲストハウスに向かう。

有名ホテルではないゆえ、タクシーが、迷った。

 

エルミタ地区は、繁華街である。

ジプニーという、乗り合いバスが、甚だしく多い。

昭和30年代の、トラックを改造したような、乗り合いバス。排気ガスが、また、酷い。

街中は、排気ガスと、外で、肉類などを焼く、煙で、濛々としている。

 

一泊、1000ペソの部屋である。2000円である。

円が強くて、大変得をしたように思う。

 

それ以下の、部屋は、後で知ることになるが、下が飲み屋で、その上に部屋があるという、へんてこなホテルである。

つまり、下で、飲んで、女と話が決まると、上の部屋にということなのだろう。

 

何件か、見て回ったが、泊まれる部屋ではなかった。

 

ゲストハウスは、1000ペソが、相場である。

そんな中でも、良い部屋は、1600ペソなどもある。

 

さて、最初の夜である。酷かった。

一晩、ほとんど、うとうとした眠りだった。

兎に角、煩い。

道路に面していて、車の音のみか、深夜になると、人の話し声から、歌う声、奇声である。

 

一晩で、諦めた。

 

安いので、レイテ島に行くまで、泊まるつもりが、翌日、チェックアウトの時間に、出ることにした。

スタッフは、皆とても、親切で良かったが、部屋が、悪すぎる。

 

私達は、支援物資を持って、移動した。

その前に、ある程度、地図を見て、少し歩いていたので、検討は、つけていた。

 

元は、個人宅だった、ゲストハウスである。

共同トイレ、バスだったが、部屋が綺麗で、完全に、下界と、切り離された家の奥なのである。プールもあった。

 

ところが、その周辺が、スラムだったということが、今回の旅の予定を、狂わせた。

 

部屋を移る前に、同行のコータと、大喧嘩をした。

何気ない、言葉のやり取りが、私を激怒させた。

このようなことは、多々ある。

 

私が、激怒すると、手がつけられない。

私は、一人で、荷物を持ち、ハウスを出た。

別々に、行動しても、いいと、思った。

 

汗だくになって、歩いた。コータが、後を付けて来る。

そして、タクシーに乗ろうと、話しかけるが、無視した。

何度か、呼ばれたので、道端で、大声で、怒鳴った。

 

お前のような、傲慢な者と、一緒にいられるか。

それは、歌を歌う声より大きく、周囲の人々が、立ち止まるほどの、大きさだった。

 

私の、怒りは、死んでもいいと思うほど、強いもので、自分でも、驚くばかりの、迫力なのである。

 

タイの、タクシー運転手ならば、銃で撃つほどのものだろう。

 

帰りのチケットをコータに、渡して、別々にと、思ったが、さすがに、コータは、それは後でと言い、タクシーを捉まえた。

 

ゲストハウスには、すぐに、着いた。

もし、タクシー運転手が、ぼろうとしたら、私の怒りは、完全に、タクシー運転手を殺すか、私が殺されていただろう。

 

ゲストハウスでは、二つの部屋を取った。

こんなことも、はじめてである。

 

コータと一緒にいなくないのである。

 

感情が激する人間は、本当に危ないものである。

 

私の部屋は、まだ、入ることが出来なかった。コータは、部屋に入り、疲れで、寝たようである。

 

私は、一人、その周辺を歩いた。

レストランが多く、ゲストハウスも多い。

そして、何より、現地の人の住まいがあった。

 

よく言って、長屋のような住まいであるが、路上生活をしている人も多い。

 

子供達が、遊んでいた。

汚い服を着ている子は、まだいいが、上半身裸の子もいる。

 

昼を過ぎたので、一件の屋台で、食事をすることにした。

フィリピンでいう、作り置きのスパゲティと、イカの丸焼きである。イカの中には、トマトと、玉ねぎが入っている。

 

160円ほどで、サービスに、スプライトがついた。

翌日、軽く食中りをした。

一日、下痢が続いた。

作り置きの、スパゲティのような気がする。

イカは、完全に焼けていた。

 

漸く、ホテルに戻り、部屋に入った。

大きい、ダブルベッドである。

 

二階に、三つ部屋がある離れのような作りの部屋である。

 

その周囲に、部屋が、点在するという、豪華さである。

1000ペソは、安い。

 

コータは、一号の部屋、私は、三号の部屋だった。

二号の部屋には、白人の男女のカップルである。

 

それが、また、悪かった。

夕方から、彼らは、セックスをはじめた。

最初は、ドアをノックしているのかと、何度か、ドアを開けたが、誰もいない。

 

何の音かと、耳を澄ませた。

すると、隣の物音である。

 

白人の、セックスは、兎に角長い。

五時間ほどしていたようである。

そのうちに、激しい音音音である。

 

壁を突き破るのかという程の音である。

 

横になって、体を休めようと思っていた私は、彼らのセックスの音で、横になるだけで、眠ることも出来なかった。

 

まだ、30前後の二人である。

それは、理解する。

 

漸く、終わったようで、最後の、激しい音が、止んだ。

 

そして、二人は、それぞれ、シャワーを浴びて、プール沿いの、パラソルで、食事を始めた。

 

私も、一緒にセックスをしていたかのように、ぐったりと、疲れた。

 

そんな時に、ノックである。

コータだった。

 

どうしたら、許してもらえますか

との、コータの言葉である。

 

コータの何気ない言葉に激怒したのである。

反省しての、お詫びである。

 

怒りとは、相手に対する怒りと、正すという怒りと、自分勝手な怒りと、色々ある。

 

所違えば、常識も違うので、そんなことでは、怒らない。

何気ない言葉は、許すが、一緒にいる者の、何気ない言葉には、怒りが必要なこともある。

 

コータは、まだ若い。

 

怒られた方がいい時もある。

 

私は、コータが好きだから、一緒にいられる。

また、それ程の怒りは、嫌いでは、起こらない。

 

コータを部屋に入れて、二人で、水を飲んだ。

夜は、焼肉を食べることにした。

 

あんたがいるから、安心して、この活動が出来ると、私は、言った。

感受性が高くなければ、私の主たる目的である、追悼慰霊の、お手伝いは、出来ないのである。

 

霊的な所作には、必ず、もう一人が、必要なのである。

その訳は、追々と、書く。