朝、九時半の飛行機である。
前日の夕方、成田に向かった。
もし、雪でも降れば、バスか止まる。九時半の飛行機には、二時前の七時半までに行かなければならない。そのためには、部屋を五時半前に出ることになるので、前日にした。
チャイナエアラインである。
台北で、乗り継ぎ、その日の夕方、マニラに着く。
食事の時間以外は、寝ていた。
台北での乗り継ぎは、飛行機が遅れたので、すぐだった。
マニラの時間は、日本より、一時間遅い。
四時に着いた。日本時間では、五時である。
夕方の混雑している道を、タクシーに乗って、マニラ市内の、エルミタ地区のゲストハウスに向かう。
有名ホテルではないゆえ、タクシーが、迷った。
エルミタ地区は、繁華街である。
ジプニーという、乗り合いバスが、甚だしく多い。
昭和30年代の、トラックを改造したような、乗り合いバス。排気ガスが、また、酷い。
街中は、排気ガスと、外で、肉類などを焼く、煙で、濛々としている。
一泊、1000ペソの部屋である。2000円である。
円が強くて、大変得をしたように思う。
それ以下の、部屋は、後で知ることになるが、下が飲み屋で、その上に部屋があるという、へんてこなホテルである。
つまり、下で、飲んで、女と話が決まると、上の部屋にということなのだろう。
何件か、見て回ったが、泊まれる部屋ではなかった。
ゲストハウスは、1000ペソが、相場である。
そんな中でも、良い部屋は、1600ペソなどもある。
さて、最初の夜である。酷かった。
一晩、ほとんど、うとうとした眠りだった。
兎に角、煩い。
道路に面していて、車の音のみか、深夜になると、人の話し声から、歌う声、奇声である。
一晩で、諦めた。
安いので、レイテ島に行くまで、泊まるつもりが、翌日、チェックアウトの時間に、出ることにした。
スタッフは、皆とても、親切で良かったが、部屋が、悪すぎる。
私達は、支援物資を持って、移動した。
その前に、ある程度、地図を見て、少し歩いていたので、検討は、つけていた。
元は、個人宅だった、ゲストハウスである。
共同トイレ、バスだったが、部屋が綺麗で、完全に、下界と、切り離された家の奥なのである。プールもあった。
ところが、その周辺が、スラムだったということが、今回の旅の予定を、狂わせた。
部屋を移る前に、同行のコータと、大喧嘩をした。
何気ない、言葉のやり取りが、私を激怒させた。
このようなことは、多々ある。
私が、激怒すると、手がつけられない。
私は、一人で、荷物を持ち、ハウスを出た。
別々に、行動しても、いいと、思った。
汗だくになって、歩いた。コータが、後を付けて来る。
そして、タクシーに乗ろうと、話しかけるが、無視した。
何度か、呼ばれたので、道端で、大声で、怒鳴った。
お前のような、傲慢な者と、一緒にいられるか。
それは、歌を歌う声より大きく、周囲の人々が、立ち止まるほどの、大きさだった。
私の、怒りは、死んでもいいと思うほど、強いもので、自分でも、驚くばかりの、迫力なのである。
タイの、タクシー運転手ならば、銃で撃つほどのものだろう。
帰りのチケットをコータに、渡して、別々にと、思ったが、さすがに、コータは、それは後でと言い、タクシーを捉まえた。
ゲストハウスには、すぐに、着いた。
もし、タクシー運転手が、ぼろうとしたら、私の怒りは、完全に、タクシー運転手を殺すか、私が殺されていただろう。
ゲストハウスでは、二つの部屋を取った。
こんなことも、はじめてである。
コータと一緒にいなくないのである。
感情が激する人間は、本当に危ないものである。
私の部屋は、まだ、入ることが出来なかった。コータは、部屋に入り、疲れで、寝たようである。
私は、一人、その周辺を歩いた。
レストランが多く、ゲストハウスも多い。
そして、何より、現地の人の住まいがあった。
よく言って、長屋のような住まいであるが、路上生活をしている人も多い。
子供達が、遊んでいた。
汚い服を着ている子は、まだいいが、上半身裸の子もいる。
昼を過ぎたので、一件の屋台で、食事をすることにした。
フィリピンでいう、作り置きのスパゲティと、イカの丸焼きである。イカの中には、トマトと、玉ねぎが入っている。
160円ほどで、サービスに、スプライトがついた。
翌日、軽く食中りをした。
一日、下痢が続いた。
作り置きの、スパゲティのような気がする。
イカは、完全に焼けていた。
漸く、ホテルに戻り、部屋に入った。
大きい、ダブルベッドである。
二階に、三つ部屋がある離れのような作りの部屋である。
その周囲に、部屋が、点在するという、豪華さである。
1000ペソは、安い。
コータは、一号の部屋、私は、三号の部屋だった。
二号の部屋には、白人の男女のカップルである。
それが、また、悪かった。
夕方から、彼らは、セックスをはじめた。
最初は、ドアをノックしているのかと、何度か、ドアを開けたが、誰もいない。
何の音かと、耳を澄ませた。
すると、隣の物音である。
白人の、セックスは、兎に角長い。
五時間ほどしていたようである。
そのうちに、激しい音音音である。
壁を突き破るのかという程の音である。
横になって、体を休めようと思っていた私は、彼らのセックスの音で、横になるだけで、眠ることも出来なかった。
まだ、30前後の二人である。
それは、理解する。
漸く、終わったようで、最後の、激しい音が、止んだ。
そして、二人は、それぞれ、シャワーを浴びて、プール沿いの、パラソルで、食事を始めた。
私も、一緒にセックスをしていたかのように、ぐったりと、疲れた。
そんな時に、ノックである。
コータだった。
どうしたら、許してもらえますか
との、コータの言葉である。
コータの何気ない言葉に激怒したのである。
反省しての、お詫びである。
怒りとは、相手に対する怒りと、正すという怒りと、自分勝手な怒りと、色々ある。
所違えば、常識も違うので、そんなことでは、怒らない。
何気ない言葉は、許すが、一緒にいる者の、何気ない言葉には、怒りが必要なこともある。
コータは、まだ若い。
怒られた方がいい時もある。
私は、コータが好きだから、一緒にいられる。
また、それ程の怒りは、嫌いでは、起こらない。
コータを部屋に入れて、二人で、水を飲んだ。
夜は、焼肉を食べることにした。
あんたがいるから、安心して、この活動が出来ると、私は、言った。
感受性が高くなければ、私の主たる目的である、追悼慰霊の、お手伝いは、出来ないのである。
霊的な所作には、必ず、もう一人が、必要なのである。
その訳は、追々と、書く。
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