マルガ英雄墓地を出て、クタに向かって車が走る。
どこの場所かは、解らないが、地元の食堂を見つけた。
その間に、幾つかの、村を抜けた。
一休みである。
私は、ナシゴレンを注文した。焼き飯である。
他の人も、それぞれを、注文した。
ちなみに、私は、ナシゴレンか、ミーゴレンという、焼きソバを主にして、食べる。味付けにより、とんでもないものもあるからだ。
後は、解りやすい、焼き鳥とか、豚肉料理である。
ナシチャンブルは、その店により、味が全く違うものになる。
それなりに食べられるが、美味しいと思うものは、少ない。
暫し、時間がかかり、ナシゴレンが出て来た。
腹が空いていたので、まずまずだった。
食べ終わり、休んでいた時に、コータに呼ばれた。
隣で工事をしている、少年に、衣服を渡したらどうかと言う。
大人物もあったので、一応、衣服を調べた。
サイズが合うかどうか解らないが、とりあえず、私は、衣服を持って、隣の工事現場に、出た。
一人の少年がいた。
衣服を示して、必要かと、身振りで言う。
最初は、恥ずかしがった。
私は、ズボンを差し出した。すると、彼は、作業を止めて、私の方に、来た。
サイズを、合わせて、大丈夫ということで、差し上げると、喜んだ。
その、喜びが、伝わる。
すると、一人の少年が出て来た。
私は、身振りで、ちょっと、待っててと、言い、彼のサイズを探しに、車に戻った。
シャツと、ズボンがあった。
それを、持って、彼のところに行く。
サイズを合わせて、よしと、彼に渡した。
その、喜びの顔が、忘れられない。
彼は、シャツも、ズボンも、その一つしかなかったようである。
まだ、高校生くらいの、二人の少年だった。
シアパ ナマ アンダ
名前はと、尋ねた。
私達は、それぞれ名前を名乗り、握手した。
家の建設現場で、裸足で、働いていた。
私達の、車を彼らは、見送ってくれた。
とても、良い支援が出来たと、喜んだ。
コータが、二人は、あれしかないんだよ、きっと、と言った。
私も、そう思った。
幸せであるという、感覚は、実に、個人的な感情である。
何が、幸せなのかは、人それぞれ、違う。
一枚の、シャツ、ズボンでも、幸せを感じる人もいる。それは、能力でもある。幸せ感覚は、才能でもある。
貧しい生活に慣れた、バリ島の人は、強いが、しかし、豊かさを求めても、いいのである。
一枚が、二枚になることを、求めても、間違いではない。
一枚で、幸せだと、言う人には、差し上げなくてもいい。
しかし、もう一枚があれば、洗濯する時に、裸でいなくても、いいと、思う人もいる。
十枚は、必要ないが、二三枚は、必要だと、思う人もいる。
何が、どれが、良いのかということは、言えない。
だから、私は必要ですか、と問い掛ける。
必要だという人に、差し上げる。
すると、沢山貰って、それを、売るという人もいるかもしれないが、それはそれでいい。ただし、それ程の、枚数を一人の人に、差し上げられないことも、事実である。
彼らは、どうして、あの人が、衣服をくれたのかと、考えただろうか。
考えなくても、いい。
たまたま、逢ったのである。だから、差し上げられた。それだけである。
私は、好きで、やっている。貰う人は、丁度良かったと、貰う。それで、いい。それ以上の、意味や、理屈が必要だろうか。
観光旅行の、延長にある。
さて、車は、クタに近づいて、次第に、渋滞に巻き込まれることになる。
そろそろ、渋滞に近づく、時間帯である。
バイクが、多い。それが、ぞろぞろと、続く。
レギャンの、見覚えのある、市場を通る時、市場が、無くなっていた。
どこかに、移動したのか。
いつも、そこで、果物や、安い、お土産物を買っていた。
そこを過ぎると、クタに入る。
一方通行なので、大きく迂回して、車が走る。
私たちの、泊まるホテルは、中小路の、小さなホテルである。
一泊、30万ルピア。つまり、三千円以下のホテルである。
クタビーチ沿いに出て、その小路に入る。
辺りは、中級以下のホテルと、安宿が多い。
無事に到着して、チェックインする。
そこで、皆さんと、五月の再会を、約束して、別れた。
私は、追悼慰霊が、出来たという、充実感があった。
ウブドゥから、喧騒のクタである。
だが、それもまた、バリである。
帰国する日まで、そのホテルに三泊することにした。
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