第2話
成田空港に、予定より早く、八時半頃に到着した。
新型インフルエンザのことで、心配していたが、なーんだ、少しの人が、マスクをしている程度。
私も、マスクはしない。
機内でも、しなかった。
搭乗手続きである。
問題なし。
ただし、荷物の分量が、三人で、60キロである。それが、65キロを超えた。
結局、60,4キロまで、落とした。つまり、機内に、持ち込むことにした。
それでも、60キロをオーバーしたが、受付のお姉さんが、大丈夫と言う。
機内持ち込みは、ぬいぐるみのバッグと、小さめの、バッグである。
もし、受付のお姉さんが、固い人物なら、とても、苦労することになったと、思う。絶対、オーバーは、駄目という、公務員のような人がいるのである。
三人で、何と、八個のバッグである。
ガルーダーインドネシア航空を使った、格安ツアーであり、更に、早割りであるから、国内旅行より、安い、八日間である。
ちなみに、ガルーダーインドネシアは、テロ対策不十分と言われて、他の航空会社との、提携が無いのである。
この、ガルーダーの飛行機は、落ちないことになっていると知る人は少ない。
それは、もう随分前のことである。
何度か、落ちた。
バリ島にも、落ちた。
そこで、バリ島の霊能者、祈祷師、ルックンパパという、御方に、ガルーダーが、落ちないようにと、お願いした。
それ以来、一度も、落ちていない。
その御方が、亡くなられたら、どうなるか、解らないが、生きている間は、落ちないことになっている。
飛行機が、落ちると、利用者が、ガタンと、落ちる。
タイの、ワンツーゴーが、そうである。
プーケットで、落ちて、百名以上が、死んだ。
それ以来、乗る人が、激減した。
さて、テロ対策不十分な、ガルーダーの良さは、まだある。
特に、連休明けは、空いているのである。
つまり、席が空く。
すると、体を横にして、眠ることが出来る。
私たち、三名、コータと、辻友子は、飛行機の扉が、閉まった段階で、すぐさま、空いている、席に移動した。
そして、のんびり、ゆったりと、三人分から、四人分の席を使用する。
一人分の、料金で、四人分の席である。
ビジネスクラスに乗るより、いい。
帰国の時も、同じく。
それに、ガルーダーの乗務員は、適当に、親切なので、気が楽。
あまり、干渉しないのがいい。
あと少しで、着陸しますよー、などと、アナウンスが、流れるが、煩く、着陸の態勢指導に来ない。
勿論、最低限の、指導はする。
何となく、適当なのが、非常によろしいのだ。
それに、機内サービスは、抜群である。
他の、航空会社よりも、物を多く出すような気がする。
私は、最初に貰った、ピーナッツが美味しいので、トイレに立った時に、あの、ピーナッツありますかと、言うと、すぐに、二袋くれた。
さて、私たち三人は、別々の席で、バリ島に向かった。
不思議なことに、機内サービスの頃になると、目覚めるのである。といより、そのように、暗示を掛ける。
貰える物を、貰わなかった時は、非常に残念である。
私は、朝、お握りを、六個作ってきた。
コータと、辻友子は、成田行きのバス中で、二個づつ食べた。
私は、空港で食べようと、思ったが、一個だけ蕎麦を食べる時に、食べて、機内に持参した。
旅の朝に、お握りを作るという、私は、実に、マメである。
私の、お握りは、とても、美味しい。
今回は、明太子のお握りである。
更に、十穀米の、ご飯である。
大切に、一個を取っておいたが、バリ島、最後の日まで、食べずに、最後に、捨ててきたのが、悲しい。
冷蔵庫に入れて、最後の最後まで、共にしていたのである。
ストリートチルドレンに、これが、日本のお握りだよと、何故、渡さなかったのかと、悔やまれる。
ガルーダーインドネシアは、矢張り、落ちることなく、無事に、バリ島、デンパサール空港に、到着した。
現地時間で、夕方の五時過ぎである。
日本時間では、六時過ぎになる。
バリ島は、雨が降っていた。
スコールというより、梅雨時期のような雨だった。
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