木村天山旅日記

  悲しみを飲み込んだハ
  
平成21年6月 

 

第1話

キエンはこの地域をよく知っていた。1969年、彼の所属していた第27歩兵大隊は、ここで敵に包囲されて事実上全滅したのだった。残虐、凄惨、非道といった言葉を絵にしたような戦闘だった。あの不運な大隊で生き残ったものは数人だけだった。

あれは、そう、乾季の終わるころだった。太陽は容赦なく屋根屋根をこがし、風が谷間に吹き荒れていた。

敵はジャングル一面にナパーム弾を投下した。地獄の火だった。炎の海が大隊を取り囲んだ。ちゃちな野戦用の塹壕は、ナパームの火に対しては無力だった。兵士たちは塹壕から出て散り散りに逃れようとしたが、ナパーム弾は残酷に彼らを追いまわした。

大隊長は危険を承知で彼らを塹壕の一角に呼び集め、敵のヘリコプターに反撃しようとした。だが、集まろうとした兵士たちは、炎の中でたちまち方向感覚を失い、多くはコブラ「米海兵隊の攻撃用ヘリコプター」の機銃撃に身をさらして死んでいった。

コプラは木々とほとんど同じ高さで旋回し、逃げまどう兵士一人一人を撃ち殺した。彼らの背中から血が噴出し、赤土のように流れるのが見えた。

大隊長は狂乱状態になった。彼は「降伏するより死ね、お前ら、死んだ方がいいぞ」と叫び、キエンの目の前でピストルを振りまわし、あげくに銃口を耳に当てて自分の脳味噌を吹き飛ばした。キエンは喉の奥で声にならない叫びを上げたが、大隊長の死体にかまっている余裕はなかった。空からの攻撃に続いて、米軍陸上部隊の攻撃が始まっていた。

あとで知ったことだが、米軍はその戦場の一角に焼け残った草木をダイヤモンドの形に刈り取り、そこへキエンの戦友たちの死体を高く積み上げたと言う。全身ばらばらで誰のものともわからなくなった死体。四肢を吹き飛ばされた死体。焼けこげた死体。

これも戦後にキエンが聞いたことだが、その場所の空は数日間、死体を食らおうとするカラスと鷹の群で暗くなった。ナパームに焼かれてジャングルの各所にできた湿地は、二度とジャングルに戻らなかった。一本の木も生えなかった。

 

戦争の悲しみ バオ・ニン

 

ベトナム戦争経験者である作者の小説である。現実を、小説の形にして、作品にした、見事な文芸である。

戦争のすべては、事実であり、そこに、ストーリーを、作為的に取り入れた。

 

ハノイは、北ベトナムの、中心であり、今は、ベトナムの、首都である。

 

北ベトナム軍は、アメリカを、ベトナムから、追い出した。

あらゆる、悲劇を飲み込んで、戦争に勝利した。

アメリカに勝った、唯一の国である。

 

しかし、その代償は、大きかった。

 

まさに、悲しみを飲み込んだ街、ハノイなのである。

 

前回の、ホーチミン慰霊と、衣服支援の旅日記に、私は、ベトナムの歴史を俯瞰して書いている。

今回は、戦争というものを、見つめつつ、この旅日記を書くことにする。

 

私は、戦争に反対する。

それでは、戦争のない状態とは、何と言うか。平和と言う。

では、戦争がなければ、平和なのかといわれれば、解らない。

 

しかし、平和を望むのならば、平和を打ち破る、戦争を知らなければならない。それでは、戦争とは、何か。

私は、戦争を知らない。

では、戦争を知る方法とは、過去の戦争の、記しを見ることである。

そして、戦争後の、その場の様子を見ることである。

さらに、戦争後に、人は、どのようにして、生きるのかということを、見るべきである。

 

誰も、戦争は、したくない。しかし、戦争は、起きる。何故か。それも、よく解らないのである。

 

30年前まで、ベトナムは、戦時下にあった。

つまり、私は、ベトナム戦争終結を、二十歳前後の時に、知っているということだ。

そんな、少し前のことである。

 

実は、上記の、記述は、米海兵隊の手記である、ペリリュー・沖縄戦記の記述にも多く、似たようにある、悲惨な情景である。

 

戦争とは、人が人を殺すことである。

しかし、単に、簡単に殺すのではない。

こちらが死ぬか、相手が死ぬか、どちらが死ぬのか、皆目検討がつかない状況の中で、起こる、実に、不気味な、そして、実に、無意味な、殺し合いなのである。

そして、その人々は、顔も知らない、全くの他人である。

個人的な、恨みや、憎みも無い。

 

それだけでも、恐ろしい。

 

そして、人類は、延々として、その、戦争というものを、続けてきているのである。

 

人の命が、木の葉のように軽く、扱われている様。

敵兵を、殺して、喜ぶ様を、どのように、理解すれば、いいのか、私には、解らない。

 

更に、殺した後も、敵の死体を、蹂躙する様。

人の命の、尊厳も何も、無い状態に、ただただ、呆然とする。

 

殺してからも、その死体の、その人間を、屈辱するために、行う、様々な、虐待である。

人間が、ここまで、残虐になるものなのか。

 

日本兵が、殺したアメリカ兵の、死体を遊び、ペニスを切り取り、その口に、詰め込む様などを、記されると、絶句する。

さらに、次は、アメリカ兵が、日本兵の死体を、切り刻むという。

 

一体、そこまでの憎悪が、何ゆえに、芽生えるものだろうか。

 

つい先ほどまでは、知らなかった人間である。

ただ、敵であるというだけで、どうして、そのような感情が、湧いてくるのか。

 

戦争とは、何か。

 

平和を求めるということは、戦争に反対することなのか。

そして、反対すれば、戦争は、起こらないのか。

全く、逆である。

どんなに、平和を叫んでも、起こるべき時には、戦争が、起こる。

 

さらに、平和を、求めれば、求めるほど、戦争の危険性が高くなる。

つまり、平和を叫ぶということは、戦争を前提にしているからである。

平和を、求めているように見えるが、それは、戦争を引き付けているのではないのかと、私は、考えるようになった。

戦争が、前提にある、平和は、実は、平和でもなんでもない。

平和遊びである。

無意識に、人は、戦争を望んでいるゆえに、平和を、叫ぶとしか、思えなくなった。

 

もし、本当に、平和を、求めるならば、戦争で亡くなった人々の追悼慰霊にしか、無いのである。

 

追悼慰霊が、唯一、戦争を回避させる、方法であると、私は、気づくのである。

そう、このような、慰霊を、行わなくても、いいことが、いいことなのであると。