第4話
こいつは若い。カトリック右派が、どういういきさつでアメリカの傀儡政権の前衛集団になったかなんてことは知るまい。そういう役割がいかに売国的であるかということもわかるまい。こいつは何も知らんのだ。歴史を知らんのだ。知らぬままに、つまりだまされて、コマンドーなんかになって・・・三人もの娘殺しを手伝って・・・馬鹿! 哀れな奴!
歴史の中に住む人間に、歴史をあるがままに認識することはむずかしい。歴史生成の現場を見なかった人間には、それはますますむずかしい。嘘の歴史を教えられればなおさらのこと。こいつも、まあ、言ってみれば歴史の犠牲者には違いないが・・・・
だがキエンは、この若者も許す気にはなれなかった。若者の無知に、むしろ最大限の怒りを覚えていた。彼はその若いカトリックの男を冷たくつき放した。
戦争の悲しみ バオ・ニン
ハノイでの、支援物資の手渡しが、大変であるということを知り、部屋に戻って、今までにない、疲れを感じた。
後で、受け取らない意味を知るが、それが、まだ、解らない時であるであるから、疲れが倍増する。
更に、重たい気分である。
計画、変更。
よし、今日、追悼慰霊をしよう。
その場所は、日本で、決めていた。
ホン川にかかる、ロンビエン橋の上である。
ハノイと、ロンビエン地区を結ぶ橋は、北ベトナム軍の補給路だった。爆撃のたびに、補修を繰り返し、最後まで、橋は、生かされた。ベトナム戦争を勝利へ導いた、陰の立役者である。しかし、その被害も、甚大である。
下に川が流れるのは、慰霊に最適である。
更に、衣服を持って行く。
慰霊を終えて、差し上げる人がいれば、それを、実行する。
その日は、雨模様であり、曇り空である。
雨の上がるのを、待ちつつ、用意する。
これも、偶然であるが、実は、雨が降る前に、とんでもない、雷が、何度も落ちた。
最初は、その音に、ベッドから、飛び起きた。
どこかで、爆弾が破裂したのかという、大音響である。
それから、しばらく、雷が、響いた。
一度、朝早く、ハノイの街に、出てよかった。
雨は昼過ぎまで、続いた。
雷の音を聞いて、更に、今日の慰霊が、良いということを、感じた。
そのためな、来たのである。
三つのバッグを用意し、慰霊の準備をして、外に出た時は、雨が上がり、空には、しかし厚い雲が覆う。
タクシーを拾い、ロンビエン橋へと向かう。
そこには、バスターミナルもあり、市場もありと、人の流れかが、すさまじいばかりの、場所である。
10分ほどで、到着したが、今度は、橋の上に向かって、歩かなければならない。
更に、橋の上を、また、歩いて、慰霊に相応しい場所まで、歩く。
勿論、だらだらと、汗が流れる。
浴衣が、汗に浸る。
ロンビエン橋は、鉄道が通り、その両側を、バイク、自転車、人が通る。
しかし、いつ、落下してもおかしくない、恐ろしい、橋である。
丁度、中間に、慰霊すべくの、広い場所があった。
木の枝の一本を折り、御幣を作る。
そして、太陽を拝する。
と、薄日が差した。
まさに、ここにいる、というべく、太陽が姿を現す。
言霊、音霊による、清め祓いを、執り行う。
更に、御幣で、四方を祓う。
最後に、多くの死者の霊位に、私の慰霊の意志を伝える。
つまり、黙祷である。
更に、僭越ながら、引き上げたまえと、この地に、囚われる霊位を、引き上げて頂く。
おおよそ、20分程度の時間である。
すべてが、終わると、何と、太陽には、薄雲が、幾重にも、かかり、その姿を隠すのである。
執り行っている最中に、バイクが、接触して、転倒した。
私の行為を、見て走っていたのだろう。
怪我はなかったから、良かった。
浴衣を着た、日本人が、一体、何をしているのかと、疑問に思うのは、当たり前である。
さて、私たちは、元来た道を、戻った。
その途中である。
下を見ると、橋の、下に、長屋建ての、住宅のような建物があり、その真ん中あたりに、親子三人がいた。
手を振ると、手を振る。
そこで、私は、ぬいぐるみを取り出して見せ、今、そちらに行くと、身振りで、示した。
彼らの、笑い声が聞えた。
そこまで、行くのが、また、大変である。
橋を降りて、広い道路に出て、市場の中を越えて行くのである。
私たちの出掛けた時間は、市場が終わって、皆、休憩をしていた。
さて、どの方向なのかと、歩く。
迷いつつ、歩く。
行き止まり。
また、戻って、あの、建物のある場所に向かう。
|
|