木村天山旅日記

  悲しみを飲み込んだハ
  
平成21年6月 

 

第11話

バンコクでは、二泊の予定である。

コータが、タイ語習得のために、二ヶ月滞在する、アパートを探し、更に、学校の入学手続きをする目的もあった。

 

スクンゥットの繁華街のゲストハウスは、改装工事中だった。

駄目かと、思いつつ、フロントへ。

使用している部屋がある。

ところが、500バーツが、600バーツに値上がりしている。

 

半分改装、半分は、使用していた。

全く、収入が無いのが、大変なのだろう。

 

何度も、使っているので、皆さんとは、顔馴染みである。

だが、聞いていないことも多々あった。

今回は、益々、そのゲストハウスの、皆さんと、親しくなった。

 

まず、フロントのおばさんの娘が、大学で、日本語専攻であり、娘は、日本語が出来るということが、解った。

それで、大変親日なのである。

 

私たちは、従業員の台所を使っていいですよと、言われた。

そこで、コーヒーなど、自由に飲むことが出来る。

 

私たちは、早速、コーヒーを煎れて、部屋にカップを持って、飲んだ。

値段が高くなった分の、サービスだったのかもしれない。

 

荷物は、大幅に減っていた。

支援物資のバッグは、あと、一つである。

 

それが、何と、矢張り、聞いてみなければ、解らない。

 

翌朝、ベッドメークに来た、おばさんたちと、話を始めた。

そして、そこには、九名のミャンマー・マンダレーから、出稼ぎに来ている人がいると、知った。

要するに、従業員が、皆、ビルマ人なのである。

 

彼らの、一ヶ月の給料は、5000バーツである。

それでは、生活することは、出来ない。

約、15000円である。

 

皆で、部屋を借りて、生活しても、大変な暮らしである。

その中で、お金を貯めて、マンダレーの家に送るとしても、僅かな額である。

それで、一人のおばさんが、チップが、頼りですと、言った。

 

支援物資の、バッグには、大人物が入っている。

私は、思い切って、衣類はあるが、必要ですかと、尋ねた。

すると、皆、欲しいと、言う。

そこで、九名のために、バッグを開けて、ベッドの上に、衣類を乗せた。

好きなものを、取ってくださいと、言った。

 

皆を呼びに出て、それぞれが、好きな衣類を取る。

 

男物が、残ったが、仕事のために、ここに来られないので、彼らのために、貰ってもいいかと、聞かれた。

そこで、それらも、すべて、差し上げた。

すべて、無くなった。

これで、支援物資は、何も無くなった。

 

私は、一度、マンダレーに慰霊に行きますと、言うと、おばさんたちは、合掌して、そうして下さいと、言う。

 

マンダレーには、日本兵の慰霊碑が、多くあるのを、皆、知っているのだ。

 

そして、最後に、一人、20バーツのチップを渡した。そこにいた、六名全員にである。

20バーツは、約60円である。それで、屋台売りの、果物を、二つ買うことが、出来る金額である。

 

ホーチミンで、差し上げるはずだったものを、すべて差し上げて、ホーチミンでは、慰霊のみを、行うことにした。

 

どこか、清清しい気持ちである。

これで、また、バンコクでの、知り合いが増えた感じ。

 

安いゲストハウスは、安い労働力に、支えられてあった。

ここは、コータが、連れ込み宿として、教えられたゲストハウスであるが、私たちは、定宿にしている。

これほど安い、ゲストハウスは、この辺では、見つからないのである。

 

改装工事が終わって、行くのが楽しみである。

今度は、新しくなった部屋に、泊まることになる。

 

ハウスの、オーナーから、従業員まで、すべての皆さんに、覚えられた、私たちである。

そして、実に親切である。

24時間体制で、フロントが開いているので、安全管理も良い。

 

その付近は、アラブ人街も近く、レストランが多い。

アラブ料理も食べられる。

私たちは、インドカレーの店が、安くて、旨いので、気に入っていた。

更に、屋台連合のようなタイ料理の、店があり、そこも、安くて、旨い。

 

路上の屋台売りの、果物から、とうきび、枝豆、焼き芋なども、10バーツから、20バーツで、買えるという、便利さである。

 

コータが、アパートを探し、学校の入学手続きをしている間、私は、マッサージを受けて、ゆっくりと、休んだ。

マッサージも、一番安い店である。

フットマッサージが、200バーツである。約、600円で、一時間。

オイルマッサージは、300バーツである。他の店では、500バーツである。

 

その、いつもの、マッサージ嬢に関する話も、聞いてみなければ、解らないことが、判明した。

 

そこで、働くマッサージ嬢は、皆、イサーンという、東北地方から出て来た、出稼ぎの人たちである。

 

見て、解り、聞いて、解ることは、旅の醍醐味である。

そして、彼女たちには、私たちの存在は、衣服を配る人という、イメージがある。

観光ではなく、衣服を配るために、来ていると、知っているのである。