第2話
ルアンパバーンは、1995年、街全体が、世界遺産に登録された。
それは、仏教寺院のある街、ルアンパバーンであった。
メコンの流れと、その風情は、一朝一夕に作られるものではない。
1975年の、社会主義革命で、仏教が否定された時、80を超える寺院の存続が、危うくなった。
しかし、20年後の、世界遺産に登録されることにより、伝統ある、托鉢の行事が、俄かに、活況をもよおした。
政府も、否定しなかった。
それから、街が、どんどんと、出来上がる。
つまり、観光客のための、街造りである。
街の中心は、ゲストハウスで、占められるほどである。
ただし、ホテルと、ゲストハウスの、違いは、部屋数によるものである。
私は、あらかじめ、ゲストハウスを決めて、トゥクトゥクの運転手に伝えた。
中心部から、やや西にある、ゲストハウスを選んだ。
メインストリートより、安いからである。
それでも、比較的、高い値段のゲストハウスにした。
少し、小太りのおばさんが、経営していた。
二泊の予定である。
二泊で、21ドルである。
部屋は、ダブルベッドがある、広めの部屋で、エアコン、温シャワーである。
ちょうど、オフシーズンでもあり、お得な料金だった。
二泊三日である。
しかし、私には、長い、時間だった。
まず、一度、着替えて、エアコンで暑さをしのいだ。
しばらく、ぼっーとしていた。
やるべきことは、メコン川での、慰霊と、衣服支援である。
しかし、全く、検討がつかない。
トゥクトゥクで、通った時に見た、裸足の男の子がいた場所に、出向いてみようと思った。
十足ほど、子供用の、靴やサンダルを持っていたからである。
小さい方のバッグに、詰めて、出掛けた。
通った道を、戻ってみた。
街中に入ることになる。
こういうのを、暗中模索という。
足の向くままに、歩いて、ひとつの細道に入った。
そして、目に入ったのが、裸足の男の子である。
ボーイと、呼んで、おいでおいでをした。
すると、男の子は、少し恐る恐る、近づいて来る。
私は、彼に合う、サンダルを出した。
そして、彼の足元に、差し出すと、何か言う。
雰囲気で、それを、私が売っているのと、言うように感じた。
そこで、プレゼントと言って、差し出すと、横から、道で作業をしていた男が、近づいてきた。
そして、その子の足に合わせて、少し小さいなーと、言うように聞こえた。
全く、私には、言葉が分からないのである。
しかし、意味が分かる。
確かに、小さかった。
だが、それ以上に大きなものはないので、諦めた。
残念だが、私は、また、歩き始めた。
一軒の家の前で、女の子二人が遊んでいる。
ガールと、声を掛けた。そして、すぐに、ぬいぐるみを取り出して、渡した。二人は、躊躇なく、それを受け取り、一人の子は、他の子供に声を掛けた。
すると、家からも、人が出てきた。
そこで、私は、バッグを開けて、中身を見せた。
必要ですか、と、手を差し出した。
すると、すぐに、隣近所から、人が出て来る。
赤ん坊を抱いた女も、来た。おばさん、おばあさんも来た。
そこで、少しばかり、衣服を差し出して、選ばせた。
皆、遠慮せずに、受け取る。
赤ん坊を抱いた女は、とても、喜んだ。
私は、写真を撮った。
そして、一人の子に、写真を撮ってもらった。
衣服の分量は、多くはなかった。
今回は、20キロを持参した。
飛行機に無料で乗せられる、ギリギリの量である。
そこで、差し上げた分量は、たいした量ではない。
そこを立ち去り、私は、暑いので、一度、ゲストハウスに戻ることにした。
更に、三時を過ぎて、少し空腹を覚えた。
あれほど、満腹だったのだが、緊張感による、ストレスなのであろうか・・・
ゲストハウスの、近くにある、麺屋に出掛けた。
もちろん、地元の人が食べる店である。
しばらく、様子を眺めていて、身振りで、欲しいものを、示した。
一万キップだった。
ちなみに、一ドルは、8800キップである。
100円が、8800キップとなる。
小型フランスパンの、サンドイッチが、一万キップであり、おおよそ、地元の人が食べる料金である。
一度の食事は、100円と少しである。
果物も買ったが、パイナップルの一個分が、5000キップである。
それも、食べやすく、皮を剥いて、均等に切り分けてある。
その夜だけは、ラオス料理のセットメニューをレストランで食べた。それは、なんと、10ドルだった。
その一度だけである、そんな高い料金を払ったのは。
しかし、それには、理由がある。
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