第6話
メコン川は、歩いて、すぐだった。
茶色の流れが、目の前に広がる。
緑と、茶のコントラストである。
子供たちも、一緒に付いてきて、私よりも、先に、メコン川で待っていた。
そして、私がその場に行くと、子供たちが、川に飛び込んで、歓声を上げる。
子供たちの、歓迎の儀式である。
バリ島の、海がめの島に行った時も、子供たちが、私に、海に飛び込んで、歓迎してくれた。
バクテンを見せてくれた男の子もいる。
何度も、それを、繰り返してくれた。
彼の、ズボンは、大きな穴が開いていた。
私は、今回、男の子の、下着や、ズボンを持ってゆくのを、忘れた。皆、上着である。本当に、済まないと思ったほど、男の子の、ズボンは、擦り切れていた。
私は、メコン川に向かって、拍手を打った。
途端に、子供たちが、静まり返った。
それは、見事だった。
だが、私は、長い言葉を、唱えるつもりはなかった。
ただ、アラテラス大御神と、三度、唱えただけである。
そして、祓い給え、清め給えと、四度、唱えた。
それで、十分だった。
拍手を打ち、終わると、また、子供たちが、私に、泳ぎを見せてくれた。
彼らは、祈る姿を、お寺で、いつも見ている。だから、私の行為も、理解した。
一人の男の子は、じっーと、私を見つめていたようである。
それは、写真を見て、分かった。
祈りは、当たり前にある。
生活の中に、祈りがある。
だが、それを、宗教と、勘違いする。
それは、伝統行為なのである。
その親が、その祖父母が、そのように、行為していたことを、子供たちも、する。
宗教行為ではなく、伝えられた行為、つまり、伝統行為である。
ニッツは、私の写真を何枚も、撮っていた。
私は、三枚で、いいと、言ったが、彼は、フイムルをすべて、それで、使ってしまったのである。
その写真を、見て、私の目の前の、メコン川が、光っていた。
ああ、良かったと、思った。
それは、フラッシュのせいで、あろう。
でも、雨雲の中で、光が、差すようにしてある写真は、気持ちのよいものである。
その後、ニッツは、その村の、小学校に私を連れた。
平屋の学校である。
だが、現実は、教科書が無い。文具が無い。そして、先生が、来ないのである。
先生は、副業で、忙しい。給与で、生活できないからである。
学校は、無料であるが、教科書も文具も無ければ、どのようにして、学ぶのか。更に、先生が、来なければ、生徒は、どうするのか・・・・
私は、ラオスの批判をすることは、出来ないのである。
私は、日本人である。
それを言うのは、僭越行為である。
次に来る時は、文具も、もって来ると、考えた。
だが、溜息が出た。
きっと、世界には、このように場所が、多くあり過ぎるのである。
それを、後進国という。
だが、後進国が、先進国になるとしたら、どうなるのか・・・
先進国とは、何か。
ニッツは、私を促して、村に戻った。
少し、考える時間が、必要だった。
何が、出来るのか。
だが、ニッツは、英語で、色々と説明する。
私に、考えるなと、言うばかりに、である。
しょうがなく、私は、ゲストハウスに戻る、と、ニッツに言った。
差し上げる物もなくなり、その場所にいる必要も無い。
しかし、子供たちが、着いてくる。
村の、寺院に、ニッツは、私を、案内した。
そして、子供たちと、寺の入り口で、写真を撮った。
帰国して、その写真を見ると、子供たちが、とても、喜んでいる様子が、写る。
私は、私の無力を、感じないわけには、いかなかった。
だが、私は、知っている。それ以上の行為は、僭越行為なのである。
私は、何様でもない。
ただ、追悼慰霊をする、一人の日本人である。
それで、よろしい。
それ以上のことは、実に、僭越なのである。
ただ、また、子供たちに、会いたいのである。それだけである。
いや、子供たちだけではない。村の皆さんに会いたいのである。
私は、その時、もし、一生、この村に私が住むことになったら、どうするだろうと、思った。
それは、無理だと、思った。そして、それを、運命づけられたらと、考えると、それで、善しと、思えた。
彼らは、知らない。だから、その村でも、生きられる。
そして、彼らは、その村が、故郷である。
捨てられるものではない。
と、いうことで、私は、今ある、私の、現実を、すべて、受け入れることが、出来たのである。
私は、日本に住む、日本人である。
|
|