木村天山旅日記

 バンコクの日
  
平成21年6月 

 

第2話

スタッフのアパート前に、出店のコーヒー店がある。

 

外なので、暑いのだが、朝のうちに、そこに行く。

挽きたてのコーヒーの、アメリカンを注文する。

20バーツ、60円である。

 

小さな椅子に、腰掛けて、タバコを、吹かしつつ、周囲を眺めている。

すぐ側では、バイクタクシーの、おじさんや、お兄さんがいる。

その奥さんや、家族が、時々出てきて、何やら、話をしている。

内容は、解らないが、何となく、懐かしい気分になる。

 

一度、夕方そこにいると、学校から戻った子供たちが、遊びはじめた。

そこで、私は、ぬいぐるみを、アパートから、持ってきて、手渡した。

 

とても、喜んだ。

その親たちも、とても、喜んだ。

決して、ぬいぐるみを、買える、ゆとりの無い生活である。

 

それで、その付近の人たちとの、付き合いが、はじまった。

別に、話をするわけではないが、皆さんと、挨拶をする、関係になる。

 

タイ語だったり、英語だったりする。

 

カラオケ店の、女の子たちは、皆、英語を話す。自然に覚えたものだろう。

彼女たちとも、昼間会うこともある。

 

夕方、丁度、一人の日本人男性が、コーヒー店に、やって来た。

 

最初は、挨拶だけである。

 

何となく、話しかけると、丁度、スタッフと同じアパートの部屋を、見学しに来たという。

彼も、タイ語を、学ぶために、その場所を探していた。

 

バンコクの、中心街、スクンウィットのホテルに滞在している。

 

チェンマイか、バンコクかを、考えていると、私に言った。

スタッフが、一度、チェンマイで、タイ語を、勉強していたので、紹介した。

 

いろいろと、話が弾んだ。

 

彼は、職を辞めて、タイに来たらしい。

職を辞めたというのは、もう、会社が、限界で、いつ、倒産しても、おかしくないと思い、その前に、やめて、新しい生き方を、考えた。

 

そういう日本人が多いんですよ

そうですか

何人も、会いました

二十代と、三十代ですね

会社が倒産したという人、多いです

 

確かに、そういう人が多くなっている。それで、安いタイにやって来たというが、実際、結構、お金を使う。

矢張り、スクンウィットなどにいると、どんどんと、お金が出てゆくのである。

 

夜の遊びなど、はじめたら、それはそれは、出てゆくだろう。

 

ところで、日本の何処ですかと、尋ねると、何と、横浜の、鶴見区在住である。

私は、西区です。

そうですかーーー

 

そうなると、また、話が弾む。

 

彼は、タイに来る前に、ベトナム、ラオスを回ったというので、実は、私も、これからラオスに行くと、言った。

ラオスでは、雨ばかりで、出掛けることが、少なかったらしい。

 

ベトナムは、ハノイであり、彼も、いろいろと、嫌な体験をした。

 

要するに、吹っかけられる。

バイクに乗る。

一ドルだと、言われて乗ると、ある所で、止まり、ここまでで一ドルだと、言われる。更に、また、止まり、ここまでで、一ドルだと、言われる。

また、タクシーからは、一度、降りたという。

 

降りたは、いいが、場所がどこか解らない。

呆然としていると、一人の日本人男性に声を掛けられて、助けて貰ったという。

 

その、男性が、衣服を配って歩く人だった。

ああ、こんなことをしている人、本当に、いるんだと、思った。

 

そこで、実は、私も、アジア各地で、慰霊と、衣服を配っていると、告げた。

 

アパートの一階に、インターネットがあります。

私の活動を見てくださいと、そこに、彼を案内して、ホームページを、見てもらった。

 

ハノイの、慰霊の様子を、見せると、彼も、その場所に出掛けたという。

 

ああ、その前の、スラムですね

そこで、衣服を差し上げましたよ

本当ですか・・・

 

暫く、彼は、ホームページを見ていた。

 

そして、彼の連絡先などを、教えて貰った。

 

もし、10月に、チェンマイに、滞在していれば、私たちは、コンサートをしますから、来てください。

その場所は、タイ語の、コースもある、場所である。

 

ラオスが、雨ばかりだというのが、気になったが、小一時間、彼と話をして過ごした。

 

日本人とは、あまり、話し合うことがないが、今回は、珍しいことだった。

 

日本人の姿は、多く見た。

スーパーなどでも、日本人が、買い物をしていた。

長期滞在している人も多いようだった。

 

タイでは、不思議なことに、日本人と、解っても、あまり話しはしないのである。