木村天山旅日記

  モンテンルパ

  平成21年9月 

 

第4話

高山右近像の前で、写真を撮り、再び車に乗った。

私は、そのまま、ホテルに戻ると、思った。が、変だ。どんどん町から遠のくのである。

 

モンテンルパに行くのは、11時である。

 

どこに、向かっているの、と、私は、尋ねた。

モンテンルパ

えっ、11時じゃないの・・・

 

すると、運転手は、ああ、そうだった・・・いや、そうだった・・・

 

しかし、相当に、走っている。

私は、また、戻り、ホテルから出発するのは、嫌だと思い、いいよー、このまま、行ってくださいと、言った。

運転手は、少し日本語が出来る。

 

実は、この運転手は、偽者だったのだ。

ガイドを頼んだ、売春婦の女性が、店のマネージャーに相談しているのを、横で聞いていて、その仕事を横取りしたのである。

 

私は、それを、知らない。

ゆえに、その運転手が、その人だと、思ったのである。

 

運転手が、言う。

私は、運転も出来るし、日本語も、解るから、女のガイドいらないよ、と。

 

まあ、それもそうである。

 

兎に角、私たちは、モンテンルパに向かった。

 

モンテンルパの街中に入り、刑務所となっている場所を目指した。

運転手は、時々、車を止めて、道を人に尋ねていた。

 

道は、複雑だった。

 

そして、ようやく、刑務所の敷地内に、入る。

その時、警備の前で、書類を貰う。

 

昔は、監獄、今は、刑務所であるが、とても、大きい建物であり、周囲の壁がまた、延々と続く。

 

そこを通り過ぎて、ようやく、墓地が見えてきた。

その墓地を通り、目指す、日本兵慰霊碑の、庭園がある。

 

そのが、行き止まりの場所であった。

 

ああ ああ

やっと、モンテンルパに来た。

あの、歌に歌われた、モンテンルパである。

 

しばし、私は、感動した。

しかし、慰霊の行為を執り行わなければならないと、準備をはじめた。

 

日の丸の国旗と、御幣のために、近くの木の枝を折る。

それに、用意していた、御幣飾りの神紙を取り付けた。

 

運転手に、慰霊の説明をして、写真を撮ってもらう。

その時、一人の男がやってきて、私に、線香を差し出した。

 

きっと、今までの慰霊の人々が、そのようにしたのであろう。

私は、それは、必要ありませんと、断った。

 

彼らは、はじめて、見たのであろう。

私の、追悼慰霊の行為である。

 

霊位を、お祭りする反対を向き、太陽に向かって、神呼びをする。

日の丸と、御幣を掲げて、天照大神を、お呼びする。

そして、祝詞を唱える。

 

15分ほど、祝詞を唱えて、霊位に、向かい、深く頭を下げて、清め祓いを執り行う。

そして、哀悼の意深くして、お送りの、音霊を、述べる。

 

しばしの、送りの音霊である。

 

祝詞は、言霊の所作、音霊は、お送りの所作である。

崇敬の念深くして、霊位を、あるべき場所に、お送りする。

ただし、それは、霊位が、決めること。

 

靖国に戻られる方、故郷に戻られる方、父母の元に戻られる方。

次元を異にする方、様々である。

 

また、追悼の思い深くしてある場所であり、すでに、重い想念は無い。

 

兎も角、私は、ここに来て、その心を、現したのである。

 

四方を祓い清める時に、運転手が、写真を撮った。

 

更に、慰霊碑の庭園中央の、英語の記し書きの前で、日の丸と、御幣を持って、ああモンテンルパの夜は更けて、を、歌った。

 

運転手も、男も、ただ、呆然として、見ていた。

そんなことをした人は、いないのだろう。

 

歌い終わり、写真を撮ってもらった。

 

そして、慰霊の儀は、終了した。

 

庭園を出る時に、その管理者である、老人が出て来た。

そして、署名をと言う。

私は、また、引き返して、亡くなられた方の写真が掛けられてある、東屋の椅子に座り、署名をした。

すると、寄付を御願いされた。

管理をするために、必要なのですと、言われた。

私は、500ペソを一枚出した。すると、老人は、もう一枚と、言う。

もう一枚、出した。合わせて、1000ペソ、2000円である。

 

二日前にも、どなたかが、慰霊に訪れていた。

 

ようやく、終わり、車の場所に戻る。

男には、100ペソをチップとして、渡した。

すると、運転手が、駐車料として、出てきた、おばさんに、50ペソの、チップをと、言うので、その通りにした。

 

名残惜しかったが、車に乗り込んだ。

 

刑務所の、横を通るとき、黙祷を捧げた。

 

処刑された方も、帰還された方も、本当にご苦労様でした。

ただ、それだけである。

ただ、そのためだけに、訪ねて来た。

 

追悼慰霊は、平和を願う者の、当然の行為である。

 

御国のために、その人生を、また、その人生の一時期を、捧げたのである。

その苦労は、労っても、まだ、足りない。

 

戦後の人は、ただ、自分のために、生きられた。しかし、あの当時の人は、特に、男たちは、不可抗力である、戦争に駆り出された。

 

個人的には、抗えない、強制である。

 

国のために、戦わなければならないこともある。

そこから、逃れて、花実が咲かない時代である。

 

であるから、国は、最高の礼を尽くして、彼らを崇敬しなければならない。国民も、然り。

 

先進国で、日本だけが、戦没者の霊位に対して、真っ当できないでいる。

例えば、靖国神社である。

あれは、戦死者を、祭神として、お祭りする、日本の文化と、伝統の粋である。

国内の、マスコミさえも、政治家の参拝を、個人か、公人としてかなどという、馬鹿げた、質問をする。

 

どこの国でも、それなりの、宗教施設によって、戦死者を、慰霊し、崇敬している。

総理大臣が、参拝して、当然である。

それを、礼儀の知らぬ国が、不快感を表すなど、論外である。

 

靖国神社の成り立ちを見れば、それは、日本の文化と、伝統であることが、解る。

 

更に、日本には、戦犯という、罪名は、無い。

 

東京裁判は、実に、無効である。

 

もう一言言う。

靖国神社は、宗教施設というより、戦死者の追悼慰霊の、鎮まる社である。

 

そのように、理解してきた。

要するに、宗教というものを、超越する。

どこの国でも、戦死者に対して、最高の敬意を表するのが、世界の常識である。

 

無宗教の、追悼施設を建てるという、話は、検討違いも、甚だしい。

それは、日本の伝統文化を、全く理解していない証拠である。

 

更に、靖国神社には、その名前のみが、掲げられる。

 

瑣末な宗教団体が、靖国は、神道であると、検討違いを言うのは、全く、日本という国の成り立ちを、知らないか、理解していないのである。

 

左派、仏教系、キリスト教系の信徒は、国というものを、知らない。

国なくして、宗教も無いのである。

 

更に、靖国に、奉られることは、憲法違反などという、見解は、アホというしかない。

靖国には、名前だけが、捧げられてある。

 

日本の伝統は、名前を、ことのほか、貴ぶ伝統文化があるということである。

 

靖国に出向きたくない、遺族は、十分に、それぞれの方法で、慰霊をすれば、済むことである。

 

瑣末な宗教団体の、広告塔となっているのみ、である。

実に、あはれ、な、ことである。