木村天山旅日記

  レイテ慰霊

  平成21年9月 

 

レイテ慰霊 第9話

朝、九時にホテルを出る。

私は、港の、ジプニー乗り場に行く。

そこが、バスターミナルだと、思っていた。

 

バスターミナルと、伝えると、ドアボーイが、ホテル前から、ジプニーをつかまえてくれる。だが、沢山ジプニーは来るが、どれも駄目である。

バスターミナルに行かないという。

変だ。

 

バイクタクシーでと、思い、料金を聞くと、40ペソである。

高いので、断る。

ようやく、ドアボーイが、バスターミナル行きの、ジプニーが来たという。

 

それに、乗り込んだ。

 

港の、ジプニー乗り場は、すぐである。

しかし、港に着いたが、止まる気配が無い。

港を通り過ぎるのである。

 

私も、途中で、降ろしてくれと、言わなかった。

バスターミナルが、何所にあるのか、興味を持った。

空港までは、十分に時間があるので、そのバスターミナルまで、乗っていようと、思った。

 

30分以上を過ぎて、ようやく、バスターミナルに到着した。

そこから、空港行きのバスがあると、思った。

 

人々が、私に興味を持ち、話し掛けてくる。

マニラに行くと、言うと、おじさんが、バスに案内する。

ところが、それは、空港行きではなくて、マニラ行きである。

 

違う、違う、エアポート行きの、ジプニー乗り場だというと、一台の、バイクタクシーを紹介する。

バイクタクシーに、空港行きのジプニー乗り場だと言うと、100ペソという。

また、港に戻るのに、100ペソは、高い。

今の、ジプニーは、7ペソだった。

 

すると、バイクタクシーのおじさんが、空港のまで、直接行かないかと言う。

ハウマッチ

500ペソ。

500と、私は、大きな声を上げた。

すると、おじさんは、すぐに、300に、落とした。

 

時間を見ると、危ういと、それで妥協した。

ブルブルと大きく震える、バイクタクシーに乗って、レイテ島の風景を見ることになる。

 

私が、何故、港のジプニー乗り場に、行けなかったのかは、単に、港という、英語が、思い出せなかったのだ。

そして、乗り込んで、港を通過した時に、何所まで行くのかと、興味を抱いたのだ。

 

この少年のような、無謀な心・・・

 

さて、バイクタクシーのおじさんが、音の大きな中で、色々と、話し掛ける。

 

少し、おじさんの英語が、解るので、質問してみた。

生活のことである。

すると、こういうことが、解った。

 

バイクタクシーは、一日、300ペソで、雇い主から、借りる。

売り上げは、300ペソを引いた分であり、一日、回っても、収入は少ない。更に、オイルも、自分持ちである。

 

マッサージと、同じである。

要するに、500ペソは、雇い主が取る。後は、自分で、稼ぐことなのだ。

そういう、システムが出来上がっている。

そして、彼らは、独立することが、出来ない。

法整備が、敷いてあるからだ。

誰が・・・

 

搾取する者は、そのために、法を作る。

 

貧しい人は、貧しいままでいることなのだ。

 

彼は、自分の着ているものと、靴を見せてくれた。

靴は、ゴムを切って、自分で、作ったものだ。服は、もう、何年も同じものを着ているという。

子供が、三人いて、大変だという。

 

そして、親は、やせ細り、子供を育てるというようなことを、言った。

 

マニラだけではなく、フィリピンに、蔓延している、搾取のシステムを、嫌と言うほど見せられた。

 

空港に到着した。

300ペソを、払う。これで、彼は、一日の、借り賃を得た。

後は、収入になる。

 

ジプニーでは、50ペソで、来ることが出来たが、私は、別の面で、色々と知ることになり、結果としては、良かった。

 

二時間前で、まだ、搭乗手続きは、はじまっていない。

 

トイレに行って、驚いた。

小便用の、便器三台のうち、一台しか、使用できない。

更に、同じように、大便用のトイレも、一台しか、使用できないのだ。

 

この感覚が、理解できないのである。

ホテルでも、修理せずにいる。

どうして、なのか・・・

 

そうして、平気で、料金を取るのである。

日本では、商売にならないのである。

 

この、だらしない有様。

 

搭乗する時、最後に乗り込み、後備座席の開いている席に、座った。

マニラまで、寝ているつもりである。

 

次も、セブパシフィックに乗る。一番安い料金である。