木村天山旅日記

  レイテ慰霊

  平成21年9月 

 

レイテ慰霊 第10話

昭和19年、1944年である。

10月20日、アメリカ軍が、レイテ島に上陸する。

 

海軍の、大西滝治郎第一航空艦隊司令長官は、戦艦「大和」「武蔵」を主力とした、栗田艦隊の、レイテ湾突入を成功させるために、神風特別攻撃隊、しんぷう とくべつ こうげきたい、を、発令した。

 

10月25日、栗田艦隊は、レイテ湾突入を、断念した。

しかし、その日、神風特攻隊の「敷島隊」がマニラの北の町、マバラカットから、出撃した。

 

空母一に、二機が命中し、撃沈。

空母一に、一機が命中し、大火災。

巡洋艦一に、一機が命中し、撃沈。

 

アメリカ軍に、特攻攻撃しか術をなくした、海軍は、その後も、純忠、誠忠、忠勇、義烈の、神風特攻隊を編成し、更に、陸軍も、第一から、第十二の、八紘隊を派遣した。

 

レイテ戦と、引き続き行われた、フィリピン戦で、戦死した海軍特攻隊は、判明しているだけで、417名、陸軍は、251名である。

 

事実だけを、述べておく。

 

ここで、私の特攻隊に思う、思いを、書かない。

 

志願する、特攻隊員の気持ちを思えば、ただ、ただ、黙祷する以外に術は無い。

 

善悪、善し悪しの問題ではない。

 

現在の目で、それを、見て、何かをいうことは、実に、愚劣なことである。

目の前に迫った状況を見て、そのことを、考える。

 

私ならば、どうしたか・・・

それが、問題である。

 

ちなみに、沖縄陥落後も、特攻は、続けられた。

敗戦までに、戦死した、特攻隊員は、海軍、2506名、陸軍、1404名。

敗戦当日、独断で、特攻攻撃をした、宇垣中将以下17名の特攻隊が、それに、加わる。

 

ここに、深く哀悼の意を、示し、かむながらの世界への、かむあがりを、祈念する

 

さきはえ たまえ まもり たまえ

 

かけまくも かしこき ひのもとの みおや あまてらすおおみかみ に ことあげして もうす

 

みくにのために いのちささげしもの ひきあげたまえ 守護したまえと

かしこみ かしこみ もうす

 

尽きぬまで

命投げ出し

国守る

何ゆえなりか

直に答えよ

 

御霊に捧げて

 

大君の

ためなるは それ

国のため

命投げ出す

その あはれさを

 

海と空

レイテの花の

それゆへか

涙にかかる

やまと心を

 

逝く者を

問う無かれかし

もののふの

そのいのち ありて

我 今日ここに

 

木村天山