衣服支援の日である。
その学校は、チェンマイ市内から、30分ほどの、郊外にある。
寺の中に作られた、学校である。
寺には、男子が、出家して、そこで生活し学ぶというのが、伝統である。
しかし、女子には、開かれていなかった。
新しい時代がきて、地元や、人々の、願いが、寺に来た。
女子のためにも、そういう、場所を設けて欲しい。
タイの、福祉は、多くが、寺が、受け持つ。
タンブン、つまり、布施されたものは、人々に還元されるのだ。
私たちが、伺うのは、少数民族の、少女たちが、生活し、学ぶ学校である。
約、200名の生徒がいる。
当日は、休みの期間でもあり、実家へ帰っている子もいて、約、70名が、出迎えてくれた。
大歓迎である。
特に、女の子たちであるから、声が高い。
ワーッといっても、それが、華々しく、美しい。
私たちは、早速、支援物資を、示された、大きな部屋に運んだ。
生徒たちも、手伝う。
テーブルに、衣服を、並べ、更に、市内で買った、生理用品を、置いた。
自然に、生徒たちが、列を作って、座る。
私が、挨拶した。小西さんが、通訳をしてくださる。
日本からの、プレゼントを持ってきました。
いつか、日本が皆さんに、助けてもらわなければ、ならない日が来たときは、どうぞ、よろしく御願いします。
そして、一人一人に、衣服を渡すために、グループごとに、まとめて、その順番を、じゃんけんで、決めた。
沢山の中から、選ぶという、楽しみ。
彼女たちには、それが、無いだろう。
一つしかない。選ぶことなど、出来ない生活である。
矢張り、女の子である。
多くの中から、自分に合うものを、探している。実に、楽しそうである。
五つのグループで、選んだので、一時間近くを経た。
校長先生もいらして、椅子に腰掛けて、その風景をご覧になる。
私は、校長先生に合うであろうものを、何枚が、手渡した。
生徒たちが、歓声を上げる。
すべて終わり、テーブルに置いた衣服は、今、休みで、帰郷している生徒たちに、渡すことになった。
校長先生が、それぞれに、選ばせたいと言った。
私は、今、いない人たちのことを、思い出して、代わりに、取ってくださいと言ったとき、校長先生が、いや、生徒たちに、選ばせたいと言ったのである。
残りを、私たちが、持って帰ると、思ったのかもしれない。
さて、次に、生理用品を、五つのグループの代表に渡す。
チェンマイ市内の、大型スーパーで、買ったものである。
勿論、それでは、まだまだ、足りないのである。
次回は、もっと、多く持って行きたい。
彼女たちは、自給自足しながら、そこで、生活し、勉強をしている。
端的に言えば、体を売らなくても、いいように、である。
知識と、教養と、職業を得るための、最低限の、ことを、そこで、学ぶ。
その後、進学する子もいるという。
私たちは、すべての、手渡しを終えて、最後に、ギター演奏と、辻友子の歌による、ステージを行った。
それは、朝、決めたことである。
折角だから、生の演奏を聞かせてあげたい・・・
それは、大成功だった。
クラシックギターの、生演奏である。
決して、普段は、聴くことが、出来ないもの。
辻友子は、日本の童謡を歌った。
それも、よかった。
簡単に、小西さんに、解説していただき、聴いてもらう。
それぞれに、イメージが、膨らんだことだろう。
そろそろ、お別れの時間である。
私は、次に来た時は、日本の舞踊を、見せますと、言った。
これも、その時でた言葉である。
生徒たちが、歓声を上げた。
一年後に、また、ここを訪れることになる。
バスタオル、フェイスタオル、そして、生理用品を、届けたい。
衣服は、勿論のこと、できる限りの、プレゼントを、持参したいと、思った。
私たち、日本人にも、伝統と、その教えがあるように、彼女たちの民族にも、それがある。
それを、それぞれ、尊重し、更に、助け合うことで、人間としての、温かい付き合いを、願う。
そして、いずれは、相互扶助の精神に則り、社会を、世界を、明るくする。
彼女たちの、村に、日本人が、伺った時、彼女たちは、親切に、もてなしてくれるだろう。
さようなら、は、速やかに。ダラダラしない。また、来ますーーーーである。
|