木村天山旅日記 

  チェンマイへ

  平成21年10月 

 

第4話

衣服支援の日である。

その学校は、チェンマイ市内から、30分ほどの、郊外にある。

寺の中に作られた、学校である。

寺には、男子が、出家して、そこで生活し学ぶというのが、伝統である。

しかし、女子には、開かれていなかった。

新しい時代がきて、地元や、人々の、願いが、寺に来た。

女子のためにも、そういう、場所を設けて欲しい。

タイの、福祉は、多くが、寺が、受け持つ。

タンブン、つまり、布施されたものは、人々に還元されるのだ。

私たちが、伺うのは、少数民族の、少女たちが、生活し、学ぶ学校である。

約、200名の生徒がいる。

当日は、休みの期間でもあり、実家へ帰っている子もいて、約、70名が、出迎えてくれた。

大歓迎である。

特に、女の子たちであるから、声が高い。

ワーッといっても、それが、華々しく、美しい。

私たちは、早速、支援物資を、示された、大きな部屋に運んだ。

生徒たちも、手伝う。

テーブルに、衣服を、並べ、更に、市内で買った、生理用品を、置いた。

自然に、生徒たちが、列を作って、座る。

私が、挨拶した。小西さんが、通訳をしてくださる。

日本からの、プレゼントを持ってきました。

いつか、日本が皆さんに、助けてもらわなければ、ならない日が来たときは、どうぞ、よろしく御願いします。

そして、一人一人に、衣服を渡すために、グループごとに、まとめて、その順番を、じゃんけんで、決めた。

沢山の中から、選ぶという、楽しみ。

彼女たちには、それが、無いだろう。

一つしかない。選ぶことなど、出来ない生活である。

矢張り、女の子である。

多くの中から、自分に合うものを、探している。実に、楽しそうである。

五つのグループで、選んだので、一時間近くを経た。

校長先生もいらして、椅子に腰掛けて、その風景をご覧になる。

私は、校長先生に合うであろうものを、何枚が、手渡した。

生徒たちが、歓声を上げる。

すべて終わり、テーブルに置いた衣服は、今、休みで、帰郷している生徒たちに、渡すことになった。

校長先生が、それぞれに、選ばせたいと言った。

私は、今、いない人たちのことを、思い出して、代わりに、取ってくださいと言ったとき、校長先生が、いや、生徒たちに、選ばせたいと言ったのである。

残りを、私たちが、持って帰ると、思ったのかもしれない。

さて、次に、生理用品を、五つのグループの代表に渡す。

チェンマイ市内の、大型スーパーで、買ったものである。

勿論、それでは、まだまだ、足りないのである。

次回は、もっと、多く持って行きたい。

彼女たちは、自給自足しながら、そこで、生活し、勉強をしている。

端的に言えば、体を売らなくても、いいように、である。

知識と、教養と、職業を得るための、最低限の、ことを、そこで、学ぶ。

その後、進学する子もいるという。

私たちは、すべての、手渡しを終えて、最後に、ギター演奏と、辻友子の歌による、ステージを行った。

それは、朝、決めたことである。

折角だから、生の演奏を聞かせてあげたい・・・

それは、大成功だった。

クラシックギターの、生演奏である。

決して、普段は、聴くことが、出来ないもの。

辻友子は、日本の童謡を歌った。

それも、よかった。

簡単に、小西さんに、解説していただき、聴いてもらう。

それぞれに、イメージが、膨らんだことだろう。

そろそろ、お別れの時間である。

私は、次に来た時は、日本の舞踊を、見せますと、言った。

これも、その時でた言葉である。

生徒たちが、歓声を上げた。

一年後に、また、ここを訪れることになる。

バスタオル、フェイスタオル、そして、生理用品を、届けたい。

衣服は、勿論のこと、できる限りの、プレゼントを、持参したいと、思った。

私たち、日本人にも、伝統と、その教えがあるように、彼女たちの民族にも、それがある。

それを、それぞれ、尊重し、更に、助け合うことで、人間としての、温かい付き合いを、願う。

そして、いずれは、相互扶助の精神に則り、社会を、世界を、明るくする。

彼女たちの、村に、日本人が、伺った時、彼女たちは、親切に、もてなしてくれるだろう。

さようなら、は、速やかに。ダラダラしない。また、来ますーーーーである。