木村天山旅日記 

  チェンマイへ

  平成21年10月 

 

第5話

一日ごとに、予定をこなして、最後の予定である、コンサートは、四日目である。

雨季の終わりであるが、雨には、当たらなかった。

支援の日、少しばかりの雨だったが、すぐに、止んだ。

コンサート当日も、晴れである。

矢張り、緊張感がある。

海外での、コンサートは、なんと言っても、体調である。

不調では、声が出ない。

私は、日本でのコンサートを、半分以下にして、いずれ、消滅させようと思っていた。

もう、必要無い。

テラの会、告知コンサートである。

そんなことをしなくても、テラの会は、知られるようになる。

コンサートは、私を含めて、三名が出演する。

辻友子、千葉真康である。

第一部は、私が、辻さんの伴奏と、千葉君の伴奏で、歌う。

第二部は、辻さんのステージである。

千葉君のソロ演奏が、間に入る。

スタッフは、受付、写真を撮り、更に、音響である。

一人で、何でもする。

実際、私も、受付に立った。

小西さんの、奥さんや、慧燈財団の事務局の方も、お手伝いに来てくれた。

第三回の、長い紙の看板が、舞台の後ろに、掲げられた。

それは、チェンマイ在住の、書家の方が、書いて下さったものである。

私たちは、4:30から、会場となるホールに入り、即、リハーサルである。

兎に角、辻さんが、歌う時の、伴奏カラオケが、入るのかが、問題だった。

前回は、CDに入れた伴奏が入らなかった。スタッフが、気を利かせて、テープにしていたので、その難を、クリアした。

今回も、二つ用意していたのである。

反響のスピーカが無いので、歌う者は、大変である。

私などは、伴奏と、歌と、ズレてしまい、苦し紛れに、この歌は、ズレるところが、聴きどころです、なんて、話したりして・・・

辻さんの、リハーサルが、上手くゆけば、上々である。

私は、何度も、千葉君とやっているので、歌詞の一番だけで、十分。

ただ、辻さんの、伴奏は、互いに、その時の、ムードであるから、緊張感あり。

案の定、私が、ああモンテンルパの夜は更けて、の、説明をして、歌いだすと、伴奏が無い。

さあ、どこから、入ってくるのかと、歌いながら、待つ。

モンテンルパの夜は更けて

募る思いにやるせない

遠い故郷偲びつつ

涙に曇る月影に

やさしい母の夢をみる

私の、語りを、そのままに、歌に移行して、最初は、アカペラを聴かせ、そして、涙に曇る月影、に、入ると、伴奏が鳴り出した。

すると、今度は、伴奏と、歌の、駆け引きである。

即興の、面白さである。

二番の歌詞に、すぐ入った。

次第に、伴奏が、激しくなる。

三番に入る前に、少し、間合いを、置く。

辻さんの、適当な合間の演奏が入り、さて、どこから、三番を歌いだすか・・・

三番は、聴かせどころ、である。

いつもより、控え目な、伴奏で、ある。

モンテンルパに朝がくりゃ

昇る心の太陽を

胸に抱いて今日もまた

強く生きよう倒れまい

日本の土を踏みまでは

思いっきり、歌い、最後の伴奏は、とても、言い表しえない、強さだった。

まとめ、である。

ちなみに、タイでコンサートをする場合は、まず最初に、王様賛歌の、歌を流し、全員起立である。

これ、常識である。

そして、君が代の、合唱である。

最初の音を、私が、高くしたものだから、とんでもなく、高い音の、君が代、になってしまった。

さらに、ちみなにである。

君が代は、きいみいがああよおおはあ、である。

とても、難しい歌である。

古今集、読み人知らずの歌であり、大切な人の、長寿を願い、祝う歌である。

それが、日本の古典歌の、様々な形で、歌われていたもの。

それを、明治に、国歌として、採用した。

その、メロディーは、薩摩琵琶からとられたものである。

君が代は

天皇のことではなかった。

天皇は、大君であり、君ではない。

しかし、これ以上は、省略する。

結局、難なく、無事にコンサートが、終わった。

特に、印象的だったのは、辻さんが歌った、私の作詞である、帰り来ぬ風、116万人遺骨戻らぬ悲しみの歌、である。

ただ今、ユーチューウブで、聴く事ができる。

私は、楽屋、舞台の後ろで、聴いていたが、感動だった。

かの南の島に吹く風はやさしい

一筋の突風が吹き

無念の思いが満ちる

故国への思い深く

そこに佇む魂

会場には、南の島で、兄が戦死したという方もいて、涙を流したという。

更に、終わって、玄関で、見送りをしていると、一人の男性に声を掛けられた。

何と、モンテンルパの世は更けてを、作曲した、伊藤さんを知っているというのである。

今年、六月に、亡くなられた。

こちらも、驚く。

しばし、伊藤さんのお話を、伺った。

コンサート終了である。

私たちは、疲れもあり、そのまま、ホテルに戻った。

そして、後始末を終えた、小西さん夫妻と、ホテルの、レストランで、ささやかに、打ち上げをしたのである。