あと、一つのバッグが、残っている。
パタヤで、私は、後半の三日間に、それらを、ストリートチルドレンに、上げようと思った。
が、意外なことが、解った。
食事に出掛けた、レストランの前に、母と子、三人がいた。
話し掛けると、カンボジアの人である。
それから、注意して、路上にいる人を見た。
夜になって、街を歩くと、カンボジアから、来たという、母子が多かった。
私は、バッグを持って、彼らを探し、食べ物と、一緒に、衣服を差し上げた。
カンボジア語は、分からないし、相手も、英語も、タイ語も、通じないのである。
彼らの、事情を知るために、スタッフの知り合いの、レディボーイに、電話を通じて、話をすることにした。
他の子供たちを、カンボジアに残して、タイに出たという、母と子がいた。
食べていかれないという。
だが、グループで、タイに、渡って来たのではないかと、思えた。
それを、手引きする、人がいるはずである。
そうでなければ、タイの、パタヤまで来ることは、出来ない。
つまり、物乞い商売をさせて、お金を得る人たちである。
食べさせてあげるからと、勧誘して、連れてくるのである。
気をつけて、路上にいる人たちに、話し掛けると、すべてが、カンボジアから来たという。
ホテルを、より人の多く集まる、繁華街に移動した。
そこでも、多くのカンボジアの母と子を見た。
昼間でも、路上に座り、物乞いをする。
私は、衣服を差し上げて、身振り手振りで、話をしてみた。
子供は、全部で、七人いる。今は、赤ん坊だけを連れてきたのである。
どうして、カンボジアから、出て来たのかを、尋ねることは、出来なかった。
言葉が通じないのである。
確かに、世界的経済危機から、カンボジアも、大きな影響を受けている。
観光客が、激減しているのである。
更に、国内の経済は、全く、絶望的である。
何も、金になるものがない。
プノンペンに、ストリートチルドレンが、日増しに多くなっているという。田舎から、人の多い都会に出るのだ。
人の多いところには、何かしら、食べ物の、残りなどがある。
その他、私は、現地の、ストリートチルドレンも、探した。
彼らは、神出鬼没であり、いつ、どこに、現れるか、解らない。
夜は、ビーチのゴミ箱を漁っていると、聞いて、夜に出掛けた。
しかし、その日は、出てこなかった。
朝早く、街を歩いた。
人々が、ようやく、眠りについた、朝は、静かである。
一つの家族を、見つけた。
親子三人が、ビルの、庇の下にいて、子供は、寝ていた。
母親が、私に、子供を指差して、食べ物が欲しいと、言う。そのように、感じた。
私は、その、男の子に、声を掛けた。
すると、母親が、その子を、起こした。
私は、彼を誘って、どこかの、店で、食事をしようと、思ったが、彼は、恥ずかしがり、首を振る。
私は、オッケー、いま、戻って来るからと、日本語で言った。
そして、近くのコンビニに入り、パンや、ビスケット、水などを買い、彼の元に、戻った。
それを、差し出すと、母親が、とても、喜んだ。
そして、母親が、私に、彼らの仕事を示した。
空き缶を集めて、生活しているのである。
その時は、もう、衣服の支援は、すべて、無くなっていたので、上げられなかった。
私は、英語で、次に来たときは、服を持ってくると、言った。
母親は、大きく頷いた。
その朝、私は、残っていた、二本の、子供用のズボンを、ホテル近くに住む、子供に上げてしまったのだ。
街には、衣類が、売られているが、それを、買えない人が、大勢いる。
最低限の、衣類も無い人もいる。
更に、街から、離れると、まだ、貧しい人がいる。
勿論、それらすべてに、差し上げることは、出来ないが、出会う人には、差し上げたいと、思う。
こちらは、日本の皆さんから、頂いたものである。
そして、十分に、まだ、使用できるものである。
タイは、途上国から、中進国と、言われる。
確かに、豊かになったと、思われる。
だが、まだまだ、体を売るということで、生活を立てている人は多い。
タイ全土から、仕事を求めて、集まる、パタヤである。
しかし、その日暮らしが多い。
街全体が、観光客に、頼っている。
観光客の、懐に、頼っているのである。
ある程度の、レストランに入るのは、皆、観光客である。
地元の人は、屋台と、路上で、販売している、食べ物を買って、生活しているのである。
勿論、それが、タイ、パタヤの生活である。
そこに、何の、哀れさもない。
私も、一人の観光客である。
そして、ただ、違うのは、捨てられる日本の、衣服を持って来ているというだけである。
特別なことではない。
ただ、そのことにより、私は、アジアと、世界の状況を、鑑みることが、出来るのである。そして、それは、私の生きた知識となり、教養となるのである。
今回は、これで、おしまいにする。
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