木村天山旅日記 

  チェンマイへ

  平成21年10月 

 

第11話

あと、一つのバッグが、残っている。

パタヤで、私は、後半の三日間に、それらを、ストリートチルドレンに、上げようと思った。

が、意外なことが、解った。

食事に出掛けた、レストランの前に、母と子、三人がいた。

話し掛けると、カンボジアの人である。

それから、注意して、路上にいる人を見た。

夜になって、街を歩くと、カンボジアから、来たという、母子が多かった。

私は、バッグを持って、彼らを探し、食べ物と、一緒に、衣服を差し上げた。

カンボジア語は、分からないし、相手も、英語も、タイ語も、通じないのである。

彼らの、事情を知るために、スタッフの知り合いの、レディボーイに、電話を通じて、話をすることにした。

他の子供たちを、カンボジアに残して、タイに出たという、母と子がいた。

食べていかれないという。

だが、グループで、タイに、渡って来たのではないかと、思えた。

それを、手引きする、人がいるはずである。

そうでなければ、タイの、パタヤまで来ることは、出来ない。

つまり、物乞い商売をさせて、お金を得る人たちである。

食べさせてあげるからと、勧誘して、連れてくるのである。

気をつけて、路上にいる人たちに、話し掛けると、すべてが、カンボジアから来たという。

ホテルを、より人の多く集まる、繁華街に移動した。

そこでも、多くのカンボジアの母と子を見た。

昼間でも、路上に座り、物乞いをする。

私は、衣服を差し上げて、身振り手振りで、話をしてみた。

子供は、全部で、七人いる。今は、赤ん坊だけを連れてきたのである。

どうして、カンボジアから、出て来たのかを、尋ねることは、出来なかった。

言葉が通じないのである。

確かに、世界的経済危機から、カンボジアも、大きな影響を受けている。

観光客が、激減しているのである。

更に、国内の経済は、全く、絶望的である。

何も、金になるものがない。

プノンペンに、ストリートチルドレンが、日増しに多くなっているという。田舎から、人の多い都会に出るのだ。

人の多いところには、何かしら、食べ物の、残りなどがある。

その他、私は、現地の、ストリートチルドレンも、探した。

彼らは、神出鬼没であり、いつ、どこに、現れるか、解らない。

夜は、ビーチのゴミ箱を漁っていると、聞いて、夜に出掛けた。

しかし、その日は、出てこなかった。

朝早く、街を歩いた。

人々が、ようやく、眠りについた、朝は、静かである。

一つの家族を、見つけた。

親子三人が、ビルの、庇の下にいて、子供は、寝ていた。

母親が、私に、子供を指差して、食べ物が欲しいと、言う。そのように、感じた。

私は、その、男の子に、声を掛けた。

すると、母親が、その子を、起こした。

私は、彼を誘って、どこかの、店で、食事をしようと、思ったが、彼は、恥ずかしがり、首を振る。

私は、オッケー、いま、戻って来るからと、日本語で言った。

そして、近くのコンビニに入り、パンや、ビスケット、水などを買い、彼の元に、戻った。

それを、差し出すと、母親が、とても、喜んだ。

そして、母親が、私に、彼らの仕事を示した。

空き缶を集めて、生活しているのである。

その時は、もう、衣服の支援は、すべて、無くなっていたので、上げられなかった。

私は、英語で、次に来たときは、服を持ってくると、言った。

母親は、大きく頷いた。

その朝、私は、残っていた、二本の、子供用のズボンを、ホテル近くに住む、子供に上げてしまったのだ。

街には、衣類が、売られているが、それを、買えない人が、大勢いる。

最低限の、衣類も無い人もいる。

更に、街から、離れると、まだ、貧しい人がいる。

勿論、それらすべてに、差し上げることは、出来ないが、出会う人には、差し上げたいと、思う。

こちらは、日本の皆さんから、頂いたものである。

そして、十分に、まだ、使用できるものである。

タイは、途上国から、中進国と、言われる。

確かに、豊かになったと、思われる。

だが、まだまだ、体を売るということで、生活を立てている人は多い。

タイ全土から、仕事を求めて、集まる、パタヤである。

しかし、その日暮らしが多い。

街全体が、観光客に、頼っている。

観光客の、懐に、頼っているのである。

ある程度の、レストランに入るのは、皆、観光客である。

地元の人は、屋台と、路上で、販売している、食べ物を買って、生活しているのである。

勿論、それが、タイ、パタヤの生活である。

そこに、何の、哀れさもない。

私も、一人の観光客である。

そして、ただ、違うのは、捨てられる日本の、衣服を持って来ているというだけである。

特別なことではない。

ただ、そのことにより、私は、アジアと、世界の状況を、鑑みることが、出来るのである。そして、それは、私の生きた知識となり、教養となるのである。

今回は、これで、おしまいにする。