岸に着く頃、私の念仏も、終わっていた。
男は、大仕事をしたような、顔付きをしていた。
ただ、私が握手を求めると、私と目を合わせないのである。
あまりに、驚きの行動だったのかもしれない。野中とは、言葉を交わしていた。
何ともいえぬ、疲労感を覚えた。
少し、放心したのかもしれない。
漁師たちが、皆、声を掛けてくれる。
何となく、頷き合うから、面白い。
昨日の約束通りに、ツゥジィーさんの店に向かう。
時間は、正午前だ。約、一時間の間である。
ツゥジィーさんの店に向かう途中、男の子が、声を掛けてきた。
日本人ですかと、英語で言う。
そうだというと、嬉しそうに笑った。
年は、16歳で、高校生である。
私と野中と、交互に話をした。私は、片言の英語で、会話した。結構、うまく話が進む。
将来の希望を訊くと、政治家と言うから、驚いた。
その訳は、後で、解ることになる。
彼は、暫く、私たちと、歩きつつ、話をした。一緒に、何か食べようかと誘うと、バスが来るからと、別れた。
ツゥジィーさんの店に行くと、店員が、出ていた。
私たちを見ると、笑顔で、迎える。
ツゥジィーさんは、まだ、来ていなかった。
昨日と、同じ部屋に通された。
お客は、私たちしか、いない。
私は、ポークカレーを、野中は、チキンカレーを注文した。
そして、アイスティーである。
これは、何倍飲んでもいいということで、ツゥジィーさんが、勧めてくれた。
半分ほど食べていると、ツゥジィーさんが、やって来た。
今度は、すぐに、椅子に腰掛けた。
マアマに、私たちのことを、話したと言う。
すると、色々な話を、ツゥジィーさんにしたという。
日本の軍人は、素晴らしかったという。
ある、艦船は、沈没することが解って、皆で、船と共に、見事に死んだという。
その船を、ダイバーが見に行くと、船長室では、皆、椅子に座ったままに、死んでいた。
そんな話を、多く聞いた。
日本が戦争に負けた時、自分たちが、負けたように思ったらしい。
1945年に、太平洋戦争が終結すると、アメリカの占領が始まる。
二年後の、1947年には、国連の太平洋信託統治領として、本格的にアメリカの統治政策が、始まった。
島の至るところが、攻撃されて、穴ぼこだらけであった。
何もかもを、失ったのである。
後で、書くが、文明から、逆行するような、生活の様になる。
日本の統治時代に出来た街は、破壊されて、皆、散り散りになった。
夏島の人々は、現在のモエン島、春島にやって来た。
今の夏島は、原始生活のようであるという。勿論、モエン島の大多数の人の生活も、そうである。
1965年、ミクロネシア議会発足。太平洋信託統治地域に関する日米協定終結。ミクロネシア協定である。
1969年、信託統治終了後の政治的地位に関し、アメリカとの、交渉が始まり、その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、現在のミクロネシア連邦が、それぞれ別個に、アメリカと交渉することになる。
現在の、ミクロネシアは、四州に分かれている。
チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ、総称して、カロリン諸島である。
首都は、ポンペイの、バリキール。
1978年、四州で連邦を構成する憲法草案が住民投票で、承認される。
翌年、憲法施行。自治政府が発足し、初代大統領に、日系のトシオ・ナカヤマ氏が、就任する。
この、ナカヤマの、姓が、実に多いことに、驚く。
日本もアメリカの下にあるが、ミクロネシアも、同じく、アメリカの下にある。
国防を見ると、米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシアの安全保障、国防上の権限は、アメリカが持つ。
市民が、アメリカ軍の兵士に採用されている。
2003年のイラク戦争では、ミクロネシア出身の兵士も参加した。
ただし、米軍の軍事基地は無い。
2005年の一人当たりの、GNPは、2,300ドルであるが、今は、もっと少ない。
仕事が無い。全くの無収入が、島民の大半である。
すべて、仕事は、出稼ぎになる。
そこで、どうして、生活出来るのかといえば、島にある物を、食べて、暮らしを立てているのである。
山に住めば、野生の物で、十分に食べられるという。
翌日、私は、それを、この目で、見ることになる。
国内の生産性は、実に低く、生活必需品の多くを、輸入に頼る。
貿易収支は、恒常的に、赤字である。
連邦政府歳入の約七割は、アメリカとの、自由連合盟約による、財政支援である。
そして、日本である。2005年までの、日本からの無償支援額は、144,11億円である。また、技術協力では、61,28億円を、日本が支援している。
国際航空の、建物、道路が、日本の支援で成ったという。
その時、日本の企業が来て、島人を、雇用し、大変喜ばれたという。
兎に角、貧しいのである。
しかし、不幸ではない。環境破壊の無い、自然の中で、自然の物を食べて暮らしているという、贅沢さである。
一見すると、勘違いするが、貧しさが、不幸ではないという、証を見るのである。
さて、ツゥジィーさんとの、会話は、実に楽しいものだった。
一つ、面白いと、思ったことは、日本の神社を、神様というのである。
今は、キリスト教徒だが、神様といえば、神社のことを言う。
それでは、キリスト教の神様を、何と呼ぶか。イエズス様である。
プロテスタントでは、ジェイズスという。
天皇陛下を、どう思うかと、訊きたかったが、今更なので、止めた。
カレーの量が多かったせいもあり、突然の、眠気が襲う。
私は、ホテルに戻り、すぐに、ベッドに寝た。
野中は、出掛けて行った。
これで、また、色々な情報を仕入れてくるのである。
|
|