木村天山旅日記

トラック諸島慰霊の旅 平成20年1月

第七話

追悼慰霊の朝である。

 

八時頃に、ホテルのレストランに入り、朝食にする。

そこで、再度、おじさんに連絡して、駄目なら、漁師たちの所に行き、直接交渉しようということになった。

 

レストランの外に、海に面したコーナーがあり、そこで、分厚いパンと、サラダを食べる。

コーヒーを二度、お替りした。

 

その横に、ダイビング専門のショップがある。

私は、その店に近づき、周辺の海の図を見た。

艦船の沈んでいる場所に、赤い点がある。

夏島、竹島の付近に、それが多い。

さらに、日本の艦船だけではなく、ゼロ戦や、アメリカの飛行機、艦船も、沈んでいるのである。

 

その図の、写真を撮ることを、忘れたことが、残念である。

 

すると、一人の男が、来た。

ダイビングの店に入る。

一度、店の鍵を開けて、そして、出てきた。

私は、急いで、彼の元に向かい、話し掛けた。

 

少しの英語であるから、野中を呼んだ。

すると、色々と、説明してくれた。

 

海中を撮った、DVDもあるという。それを、見ると良いと、言われた。

そして、私は、遺骨を見ることを聞いた。

 

彼の話である。

遺骨を、見ることは、出来る。多くの遺骨のある場所もある。しかし、遺骨を見るための、ダイビングは、実に大変なことであると。

ダイビングの、経験が多くなければ、非常に危険であるという。

そこは、深い場所であり、また、艦船の中に入るので、迷路に入ることになり、一人では、無理だ。

遺骨を、見世物にしている場所もあるのかと、問うと、あるにはあるが、それも、知る人は少ないという。

チップを取って、見せるのかと、訊くと、ダイビングの案内は、料金がかかるという。当然である。それが、仕事であるから。

 

つまり、見世物にして、陳列しているという、意味にも、取れないこともないが、そこまで、ダンピングするには、相当の経験者でなければ、出来ないということだ。

 

単に、陳列して、見世物にしているという、表現は、当たらないのである。

 

一つの、有力な情報を得た。

 

DVDを、見るかと、いわれたが、時間がない。

私たちは、お礼を言い、部屋に戻った。

すでに、九時半近くになっていた。

おじさんとは、連絡がつかない。

 

私たちは、ホテルを出た。

港に向かう。

 

日差しが、どんどんと、強くなる。

 

港の前の、市場に行き、私は、花を探した。

しかし、花のみは無く、皆、花飾りである。

一ドルの、花飾りを二つ買った。

 

そして、すぐ横の漁師たちが、たむろする場所に行った。

皆、声を上げて、歓迎してくれる。

日本人かと、訊く。

頷くと、握手を求められる。

 

野中が英語で、海上に出たいと言う。

皆、オッケーと答えた。

 

一人の男が、バッジを出した。警察のバッジである。何か、免許のようなものなのだろうと、思った。

俺が行くという。

野中が、料金の交渉をした。

50ドルである。

 

野中が、30ドルでは、どうかと訊いた。

油が高いので、50ドルでなければと、言う。

私は、それで、決めた。

 

船に乗ると、男が、油を買いたいので、先に、お金が欲しいと言う。

私は、すぐに、50ドルを渡した。

 

実は、漁師たちが、魚を捕らないのは、そういうことなのである。

魚を捕っても、油代にもならないのである。また、逆に赤字になるのである。

それより、ダイバーたちを乗せて、海に出ると、金になる。

 

実は、ホテルで、夕食に、シーフードと言ったが、魚が無いという。

不思議に思った。

目の前が海なのである。

魚がないことはない。

しかし、理由が解った。

 

男は、油と、缶ビールを10缶ほど買い、船に、戻った。

 

船外機が、大きな音を立てて、動き出した。

凪た海の上を、船がスムーズに滑る。

 

男が言った。俺は、船の沈んでいる場所を知っている、と。

そして、缶ビールをあおる。タバコを取り出して、私たちに、飲んでくれ、という。

勇ましい男である。

 

船は、春島から、夏島と、竹島の間に向かった。

ダイビングショップで見た、図の通りである。

 

ただ、私は、慰霊する場所は、私の、霊感、あるいは、勘で、決めたいと思っていた。

 

春島から、離れると、波が少しつづ、高くうねる。

それが、次第に、大きくなる。

船先が、どすんどすんと、落ちる。

前にいた私は、両側の、淵を掴んで、振り落とされないようにしていた。

 

20分程度、船が進んだ。

私は、あの辺りで、と、感じた。

目の前に、夏島が見える。

そこには、日本軍の多くの施設がある。皆、慰霊の人は、夏島に上陸して、慰霊碑に、向かうはずだ。

 

私が、ここでと、思い、後ろの男を見ると、男が、頷いた。

そして、指差し、浮き輪を指した。

白く丸い浮き輪である。

 

その下に、潜水艦が沈んでいるという。

 

その辺り一体が、戦場であった。

 

エンジンが止まり、男は、浮き輪に、船のロープを巻きつけた。

 

私は、すぐに、御幣と、日本酒、花を船先の、小さなスペースに置き、御幣を、持ち上げて、太陽にかざした。

 

そして、大声で、神呼びをした。

神呼びとは、皇祖皇宗である、天照大神、さらに、天津神、国津神、八百万の神、そして、この地の、産土の神、さらに、ここで散華した、多くの戦士たちの、命、みこと、である。

大祓い祝詞を唱える。

太陽に、その土地の、樹木の一枝を、掲げて祈るのは、伊勢神宮の所作である。

ただし、現在の伊勢神宮が、云々というものではない。

私の方法である。

 

太陽の、霊光を、願い、その力、霊力により、その場を、清めるのである。そして、さらに、祓うのである。

 

自然信仰の、そのままである。

 

祝詞を終えて、私は、静かに、申した。

ここに散華した、多くの命、みことに申すーーーーーー

 

波が荒く、体が、大きく揺れる。

両足に、力を入れて立つ。

 

どうぞ、靖国に、帰りたい方は、靖国に。故郷に、帰りたい方は、故郷に。母の元に、帰りたい方は、母の元に。次元を異にする霊界に、行く方は、霊界にとの、祈りの言葉を、宣る。

 

そして、太陽の霊を頂いた、この地の枝で、清めたまえ、祓いたまえと、繰り返した。

 

暫くの、私の所作である。花飾りを海に投じ、日本酒を撒きつつ、清め祓いを行った。

 

最後に、神送りの、言霊である、音霊を、唱えた。

 

そして、すべてを、皇祖皇宗に、お返しするため、御幣を海に投じた。つまり、すべては、皇祖皇宗のお力であるという意味だ。

 

すべてを、終えて、男を見た。

呆然として、私を見ていたようである。

私が頷くと、男も、頷き、浮き輪から、ロープを離した。

 

オッケーと、言うと、男は、エンジンを掛けた。ゴーバック。

 

船は、元の道を戻る。

私は、船先にいて、また、しっかりと、両側の淵に手を掛けた。

 

船が速度を上げた。

すると、私の口から、念仏が出る。

その、念仏は、三種類の、唱え方だった。

繰り返し、繰り返し、念仏が口から出る。

 

どうしたのか。

冷静になりつつも、口からの念仏を、私は聞いた。

なむあみだぶつ なむあみだーぶ なむあみだんぶー

なむあみーだーぶ

それは、島に着くまで、続いた。